恋のリハーサルは本番です

第203話 同じ場所に立つ、ということ

撮影現場は、朝から落ち着かない空気に包まれていた。

クランクイン二日目。

昨日よりスタッフの動きは速く、声は短く、確認は最小限。

「始まってしまった」現場特有の、前にしか進めない気配。

蓮は控室の隅で、台本を開いていた。

文字を追っているふりをしながら、実際にはほとんど読んでいない。

(……昨日の、あの沈黙)

仕事以外の、たった数分の会話。

それだけで、こんなにも頭の中を占領されるとは思っていなかった。

「桜井さん、次スタンバイお願いします」

声をかけられ、顔を上げる。

返事をして立ち上がった瞬間、視界の端に、あかりの姿が入った。

モニター前。

脚本家としてではなく、原作者として。

現場に溶け込むように立っている。

目が合う。

──ほんの一瞬。

昨日ほど気まずくもなく、

かといって、気軽に笑える距離でもない。

会釈だけ。

それで十分だと、お互いに分かっているようだった。

蓮はセットに向かう。

カメラの前に立ち、役としての呼吸に切り替える。

「──よーい」

あかりはモニターを見つめる。

自分が書いた台詞を、蓮が口にするのを聞きながら、
胸の奥が、静かに締め付けられる。

(書けなかった台詞は、まだある)

でも今は、それを足す時間じゃない。

削る時間でもない。

ただ、進めるだけ。

「──アクション」

声がかかり、芝居が始まる。

役として向き合う二人。

視線も、距離も、感情も、すべて“設定通り”。

なのに。

画面越しに見える蓮の表情が、
昨日より、ほんの少しだけ柔らかいことに、あかりは気づいてしまう。

(……気のせい、だよね)

自分に言い聞かせるように、ペンを握り直す。

カットの声。

現場が動き出し、
次の準備、次の段取り、次のシーン。

誰も立ち止まらない。

蓮は立ち位置を変えながら、
ふと、さっきの一瞬の視線を思い出していた。

(送らなくてよかったのか)
(送らなかったから、今があるのか)

答えは、まだ出ない。

でも──
少なくとも今、同じ場所に立っている。

それだけで、この一日は、逃げ場がない。

そして、
送れなかったままの感情を抱えた二人の時間は、
静かに、確かに、次のシーンへと進んでいく。
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