恋のリハーサルは本番です

第204話 名前だけが、先に来る

撮影の合間、スタジオの片隅で、スタッフが何気なくスマホを見ていた。



「……あ、これ出てますね」



誰に向けた言葉でもなかった。



ただ、空気に落としただけの一言。



蓮は、無意識にそちらを見た。



スタッフの指先が止まっている画面には、映画とは関係のない記事が表示されている。



《日本人若手俳優、海外舞台で快挙》

先月ロンドンで上演された舞台作品において、

脇役ながら強い存在感を示した俳優・高峰翔──



そこで、文字が終わっていた。



それ以上、読まなくても分かった。



名前だけで十分だった。



「……へえ」



蓮は、感情を含まない声を出したつもりだった。



けれど、その直後に胸の奥で、何かが小さく音を立てた。



翔。



もうこの現場にはいない名前。



それでも、いまもどこかで“続いている”存在。



「海外行ってから、ずっと出てますよね。インタビューとか」



スタッフは軽い調子で言った。



まるで、天気の話でもするように。



「日本に戻る予定は、いまのところ未定だそうです、って」



未定。



その言葉が、妙に引っかかった。



蓮は、ふと視線を上げる。



セットの向こう側、脚本を手にしたあかりが、助監督と何か話している。



彼女はまだ、その記事に気づいていない。



少なくとも、顔には出ていなかった。



──知らせるべきか。

──知らせないままでいいのか。



そう考えた瞬間、蓮は気づく。



それ自体が、すでに“揺さぶられている”証拠だということに。



そのとき、スタッフの一人が言った。



「そういえば、この映画の脚本って、

 “舞台出身の俳優の存在がきっかけになった”って噂ありますよね」



空気が、一瞬だけ止まった。



「モデルがいるとか、いないとか」



笑い混じりの声。



根拠のない話。



けれど、その言葉は、確実に核心をかすめていた。



あかりが、こちらを見た。



ほんの一瞬。



視線が合い、そして逸れる。



何も言わない。



何も確認しない。



それでも、二人とも分かっていた。



翔という名前は、

もう“過去”として片づけられる位置にはいない。



外部から投げ込まれた、無遠慮な言葉や記事が、

丁寧に積み上げてきた沈黙を、少しだけ揺らした。



そして、その揺れは──

まだ、収まる気配がなかった。

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