恋のリハーサルは本番です

第212話 背中を押す、不在

メッセージが届いたのは、撮影のない朝だった。

目覚ましより少し早く、スマートフォンが震える。

蓮は半分眠ったまま画面を確認し、差出人を見て、一瞬だけ目を閉じた。

──高峰翔。

開くかどうか、迷うほどの内容ではない。

翔は、そういう書き方をしない。

短い文面だった。

現場、壊してないならそれでいい。

選ばせたなら、最後まで引き受けろ。

それだけ。

感想も、助言も、感情もない。

だが、蓮はしばらく画面を消せずにいた。

「……やっぱり、そう来るか」

小さく笑ってから、息を吐く。

翔らしい。

どこまでも、役者で、どこまでも、他人事のふりをしている。

だが、蓮には分かる。

──これは、逃げ道を塞ぐ言葉だ。

選ばせたなら。

その主語は、あかりだ。

そして同時に、
選ばせるところまで踏み込んだのは、蓮自身だということでもある。

舞台のとき、
あの沈黙の中で、
翔は一歩も引かなかった。

譲らなかったし、
奪おうともしなかった。

ただ、“立った”。

だからこそ、あかりは書けなかった。

だからこそ、舞台は成立した。

蓮は、そこで初めて理解する。

──俺は、まだ途中だ。

待たない、と決めた。

行動もした。

仕事としても、前に進んだ。

それでも、
覚悟の引き受け先を、まだ曖昧にしていた。

選ばれたい。

だが、選ばれた結果に責任を持つ覚悟を、
完全には引き受けていなかった。

翔は、それを一言で突いてきた。

「……厄介な人だな」

誰もいない部屋で呟く。

だが、不思議と嫌な気分ではない。

メッセージに返信はしない。

する必要がない。

翔は、もうこの物語の中にいない。

それでも、彼が残した“基準”だけが、ここにある。

蓮は立ち上がり、カーテンを開けた。

朝の光が部屋に入る。

今日も、現場は続く。

芝居も、仕事も、予定通りだ。

だが、蓮の中では、
一つだけ、はっきりと変わったことがあった。

──選ばれるのを、待たない。
──選ばせた責任からも、逃げない。

それは、
役者としてではなく、
一人の人間としての決断だった。

現場に向かう車の中、
蓮は台本を開く。

次に撮るシーンは、
物語の核心に近い場面。

彼は、指で一行をなぞりながら、思う。

──ここからは、役じゃない。

選ばせたなら、
最後まで引き受ける。

その覚悟が、
芝居の呼吸を、ほんの少しだけ変え始めていた。
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