恋のリハーサルは本番です

第214話 自由にしてください

クランクアップ前夜。

撮影は押していた。

予定していた最後のシーンは、どうしても一度で決めきれず、

スタッフの表情にも、疲労がにじんでいる。
それでも、誰も焦ってはいなかった。

このシーンが、この作品の“芯”だと、全員が分かっているからだ。

セットの一角で、あかりはモニターを見つめていた。

ラストに近い場面。

二人が言葉を交わす、その直前の沈黙。

脚本上は、簡潔だ。

台詞も、動きも、最小限に抑えている。

だからこそ、ここで何が起きるかは、役者に委ねられている──
はずだった。

「……もう一度、いきます」

監督の声がかかる。

蓮は、静かに位置についた。

表情は落ち着いているが、昼間までとは、どこか違う。

あかりは、その変化に気づいていた。

──踏み込むつもりだ。

そう直感する。

カメラが回る。

照明が落ち、空気が張りつめる。

蓮は、台詞を言う。

脚本通りだ。

一字も変えていない。

だが、
言葉が終わったあと、
沈黙の質が変わる。

間が、深い。

観ている側に、
「続きを想像させる沈黙」。

あかりの指が、無意識にペンを握りしめる。

──違う。

そう思いかけて、
その感覚を、自分で止めた。

これは、脚本の外側だ。

自分が、今まで書かなかった場所。

「……カット」

監督が言う。

スタッフの間に、微妙なざわめきが走る。

良かったのか、
やりすぎたのか、
判断が分かれる沈黙。

監督が、あかりを見る。

「水無月さん、どうですか」

現場の視線が、一斉に集まる。

ここで修正を入れれば、
話は簡単だ。

テンポを戻し、
意味を固定し、
“安全なラスト”にできる。

あかりは、モニターから目を離さなかった。

舞台の記憶が、よぎる。

あのときも、
本番だけの芝居が生まれた。

そして、自分は―──書けなかった。

けれど、今は違う。

書かない、という選択が、
逃げではないと、ようやく分かる。

あかりは、ゆっくりと口を開いた。

「……ここは」

一瞬、言葉を切る。

現場の空気が、張りつめる。

「自由にしてください」

その一言で、
何かが解けた。

監督は、短く頷く。

「じゃあ、もう一度。
 今の感じで」

蓮は、何も言わない。

だが、その目に、はっきりとした覚悟が宿る。

再テイク。

同じ台詞。

同じ動線。

それでも、今度は迷いがない。

蓮は、
“役として”ではなく、
選び、引き受ける人間として、そこに立っていた。

沈黙が、観る側に届く。

説明されない。

定義されない。

それでも、意味だけが、確かに伝わる。

「……カット。OKです」

その瞬間、
現場に、静かな拍手が起きた。

大きな歓声はない。

だが、誰もが分かっていた。

──決まった。

あかりは、モニターから目を離し、
深く息を吐いた。

胸の奥にあった、重たいものが、少しだけ軽くなる。

書けなかった一行は、
消えたわけじゃない。

けれど、
もう“書かなくていい場所”に、ちゃんと置かれた。

蓮が、こちらを見る。

視線が合う。

言葉は、ない。

それで、十分だった。

夜更け、
セットが片づけられていく。
クランクアップは、もうすぐだ。

そして、
この物語は──
次の“本番”へ向かって、動き出していた。
< 215 / 218 >

この作品をシェア

pagetop