恋のリハーサルは本番です

第215話 同じ台詞、違う意味

再撮影は、深夜に行われた。

クランクアップ直前。

スタッフの数も減り、現場は静かだった。

この時間帯の撮影は、どこか“余白”がある。

余計な説明も、演出も、入り込まない。

セットの中で、蓮は立っていた。

昼間と同じ衣装。

同じ立ち位置。

同じ台詞。

けれど、身体の感覚だけが違う。

──もう、役に隠れなくていい。

そう思った瞬間、
芝居が、驚くほどシンプルになる。

「……」

最初の沈黙。

ここは、本来なら“感情を溜める”間だ。

役の内面を想像させるための、演技上の装置。

だが今、蓮は違う場所に立っていた。

想像させる必要がない。

説明する必要もない。

ただ、そこにいる。

カメラが回る。

蓮は台詞を口にする。

脚本通りの言葉。

語尾も、間も、指示通り。

それなのに──

その言葉は、
「この人物が言っている台詞」ではなく、
“今、ここにいる人間が選んで口にした言葉”に聞こえた。

あかりは、モニター越しに、それを見ていた。

最初は、戸惑いだった。

──これは、誰の芝居?

役としては、少し踏み込みすぎている。

演技論的には、危うい。

けれど、目が離せない。

言葉が終わったあと、
沈黙が落ちる。

その沈黙は、
舞台の本番とも、
これまでの撮影とも、違っていた。

答えを待たせる沈黙ではない。

もう答えを出した人間の沈黙。

あかりの胸が、強く鳴る。

──ああ。

その瞬間、
彼女は理解してしまった。

これは、
自分が書けなかった一行の“答え”だ。

文字にすれば、
定義できたかもしれない。

けれど、
定義しなくても、
こうして“生きた形”で差し出されることもある。

「……カット」

監督の声が、少しだけ掠れている。

「OKです」

短い言葉。

それ以上、何も要らない。

蓮は、ゆっくりと息を吐いた。

芝居が終わったあと、
胸に残るのは、高揚ではなかった。

静かな確信。

──逃げなかった。

あかりは、立ち上がらなかった。

拍手もしない。

ただ、モニターの前で、
目を伏せる。

視界が、少し滲む。

「……見ちゃったな」

誰にも聞こえない声で、そう呟く。

書けなかった一行は、
もう“未完”ではない。

書かなかったからこそ、

ここまで届いた。

蓮が、こちらを見る。

視線が合う。

その瞬間、
二人の間にあった最後の保留が、
静かに消える。

言葉は、いらない。

この芝居が、
もう一度繰り返されることはないと、
二人とも分かっていた。

これ以上、
役に委ねることはできない。

──次は、現実だ。

セットの照明が落ちる。

クランクアップは、目前。

そして、
物語は“本番”へ向かって、最後の直線に入る。
< 216 / 218 >

この作品をシェア

pagetop