恋のリハーサルは本番です

第216話 用意されていない一言

初日舞台挨拶。

ロビーには花が並び、
フラッシュとざわめきが、否応なく気持ちを高揚させる。

作品は完成した。

評価も、前評判も、悪くない。

今日は、その“結果”を見せる日だ。

あかりは、客席の一角に座っていた。

表に出る予定はない。

脚本家として、今日は裏方だ。

それでいい。

そう思っていた。

壇上には、監督と主要キャスト。

蓮も、そこにいる。

スーツ姿の彼は、
舞台の頃よりも、少しだけ大人びて見えた。

司会者が、無難な質問を投げる。

制作秘話。

役作り。

撮影中のエピソード。

予定通りの言葉が、
予定通りに交わされていく。

蓮も、同じだ。

「この役は、
 言葉よりも、沈黙をどう扱うかが難しかったです」

観客が頷く。

誰もが、映画を思い出す。

──いい答えだ。
──役者として、正解だ。

あかりも、そう思う。

司会者が、締めに入る。

「最後に、主演の桜井さんから、
 ご挨拶をお願いします」

ここまでは、台本通り。

蓮は、マイクを持つ。

一瞬、視線が泳ぐ。

その目が、客席を探す。

あかりは、なぜか分かった。

──探している。

視線が、ぶつかる。

ほんの一瞬。

だが、確かに。

蓮は、息を吸った。

「この作品は、
 たくさんの人の“言葉にしなかったもの”で
 できていると思います」

会場が、静かになる。

少しだけ、空気が変わった。

「台本に書いてある言葉だけじゃなくて、
 書かれなかった行間や、
 説明されなかった沈黙が、
 この映画を形作った」

あかりの胸が、きゅっと縮む。

──それ以上、言わなくていい。

そう思うのに、
同時に、続きを聞きたい自分もいる。

蓮は、間を置いた。

ここから先は、
用意されていない場所だ。

「……その中で」

蓮の声が、少しだけ低くなる。

「僕は、
 “待たない”という選択をしました」

ざわり、と会場が揺れる。

役の話ではない。

誰もが、直感的に分かる。

「役としてではなく、
 一人の人間として、
 引き受けたいものがあったからです」

司会者が、口を挟もうとする。

だが、タイミングを失う。

蓮は、マイクを握り直す。

視線は、もう逸れない。

「この映画の脚本家に」

あかりの呼吸が、止まる。

会場の空気が、完全に静まる。

「……人生の続編を、
 書いてほしいと思っています」

一拍。

理解が、遅れて広がる。

そして──
どよめき。

拍手。

驚きの声。

あかりは、立ち上がれなかった。

逃げ場は、ない。

でも、
逃げたいとも思わない。

壇上の蓮は、
役を降りていた。

ここにいるのは、
選び、引き受けた人間だ。

司会者が、戸惑いながらも言う。

「水無月さん……
 お返事を、いただいても……?」

視線が、一斉に集まる。

あかりは、ゆっくりと立ち上がった。

スポットライトは、当たらない。

それでも、十分だった。

マイクを受け取る。

言葉は、
もう決まっている。

脚本家としてではない。

役者に委ねるためでもない。

ただ、一人の人間として。

「……はい」

一拍。

「喜んで」

拍手が、会場を包む。

フラッシュが、瞬く。

その中で、
あかりは思う。

──書けなかった一行は、
──ここに辿り着くための、余白だった。

そして、
二人の人生は、
ようやく“本番”に入った。
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