忘却の蝶は夜に恋う

 反皇帝派は父親を手にかけて玉座に就いたヴィルジールを非難しているが、先代の皇帝は無意味な戦に明け暮れ、夜は女に溺れていた。民は重い税と戦火に苦しめられていたというのに、自分は城の奥で贅沢を尽くしていたのだ。ヴィルジールが皇帝となっていなければ、この国はさらに傾いていたことだろう。


 私室で書類と向かい合っていたノクスは、ふと顔を上げた。壁にかけてある古時計を見遣ると、針は真上を指している。喧しいイスカとセバスチャンの小言から逃げるように私室に篭っていたが、彼女はともかくセバスチャンが訪ねてこないなど珍しい。

 セバスチャンは夜が深まる頃、必ずノクスの部屋を訪ねてくる。自分はもう寝るが要り用の物はあるか、と。

(……まさかこんな時間まで彼女と話しているのか? それとも──)

 いくらセバスチャンが病気ひとつしない人とはいえ、彼はもうおじいさんだ。どこかで倒れて動けなくなっているのではないかと思ったノクスは、椅子の背に掛けていたカーディガンを羽織り、急いで部屋の出入り口へと向かった。

 ノクスがドアノブに手を掛け、回そうとしたその時。

「──開けてくれないか。婚約者殿」

 爽やかな声が背後から聞こえた。部屋の扉はノクスの目の前にあるというのに。

 恐る恐る後ろを振り向くと、窓の外にはイスカの姿があった。
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