忘却の蝶は夜に恋う
ノクスの部屋に入って真っ先に目に入ったのは、二方面の壁をびっしりと埋め尽くしている本棚だった。近づいてタイトルを見てみると、この国の地理や歴史に関する文献や植物や鉱物などの図鑑、薬学に医学に他国の歴史書などと、様々な分野の本が綺麗に並べられている。
棚の一角にはイスカの好きな童話もあった。それを指先で撫でてから、イスカはノクスの顔を見上げた。
「君は本が好きなのかい?」
「知識を得るために必要だっただけだ」
イスカはぱちくりと瞬きをした。年頃の少女が読むような王子と姫の夢物語からは、どのような知識を得たのだろうか。
「私は好き嫌いを尋ねているんだけどね」
イスカは苦笑しながら、ノクスとの距離を一歩詰める。
ノクスは夕食の時よりも機嫌がいいのか、あるいは諦めて対話することにしたのか、腕組みをしながらイスカと向かい合っている。
ほんの少しの沈黙の後に、ノクスは無表情のまま唇を薄く開いた。
「聞きたいことがある」
イスカは返事の代わりに頷き、側にあった黒塗りの椅子に浅く腰掛けた。
「貴女は皇族に嫁ぐような家柄のご令嬢なのに、なぜ平民の僕を選んだんだ? 皇帝陛下を巻き込んでまでして」
真冬の海のように冷えているノクスの青い瞳は、イスカの真昼の空色の瞳を真っ直ぐに捉えると、静かに一度だけ揺れた。