忘却の蝶は夜に恋う
イスカことイスカーチェリ・ハインブルグは、公爵家の令嬢である。
ハインブルグ家はこのオヴリヴィオ帝国の大貴族に名を連ねており、代々息子は皇室の忠臣に、娘は妃となり皇帝の子を産んだりと、皇族とも縁が深い家だ。
そんなイスカは、社交界で“変わり者令嬢”と呼ばれている。
「──やぁ、ヴィルジール」
初春の柔らかな風が、イスカの透き通るような黄金色の髪を揺らす。長身なイスカはクラシカルなロングスカートがよく似合い、上品なフリルシャツの胸元では翡翠のブローチが存在を主張するように光っていた。
──ヴィルジール=フォン=セオドア=オヴリヴィオ。このオヴリヴィオ帝国の皇帝であるヴィルジールは、窓から入ってきたイスカの姿を見て、手に持っていた羽根ペンを置いて立ち上がった。
「……窓から入ってくるのはやめろと、何度も言ったはずだが」
ヴィルジールはため息混じりにそう言うと、窓の縁に手を掛けているイスカを静かに見下ろす。
「そうは言ってもね、君の執務室の外には警護の騎士がいるではないか」
「当たり前だろう。ここをどこだと思っている?」
「皇帝の執務室だね」
イスカは「よいしょ」と室内に入ると、悪戯が成功した子供のように笑った。その姿を見たヴィルジールはまた一つため息を零したが、イスカへと手を差し出した。