忘却の蝶は夜に恋う
「私はノクスがお生まれになった時から、お傍におります」
「婚約者殿は使用人がいる家で生まれたということかい?」
「いいえ、普通の家庭ですよ。私はノクス様のお父上に命を救って頂いた身なのです」
セバスチャンは「ほほほ」と笑い、大きな麻袋を両手に持って立ち上がった。その目は青く澄んだ空へと向けられている。
「ノクス様のお父上は十年前に事故で、母君はノクス様が幼い頃に病で亡くなられました。私は亡き旦那様に恩を返さねばと思うて、使用人として置いて頂いておりますが、困ったことにじじい扱いされておりましての」
イスカは苦笑を漏らした。使用人ではなく、おじいさんとして接するのはノクスらしいと思う。それは彼が平民だからなのか、使用人がいる貴族のような生活を送るのが嫌だったのかは分からないが──セバスチャンと彼は主従関係というよりも同居人のように見えた。
「そうか。長らく二人で暮らしてきたんだね」
「ええ。必死に勉強をして、晴れて政官になられた姿を見た時は……まだまだ生きなければと思うたものです」
セバスチャンはイスカに視線を戻すと、にっこりと笑った。
「では中に戻ってお茶を淹れましょう。もう少ししたら、夕食の材料を買いに市へ行かねば」
「私に手伝えることはあるだろうか」
「もちろんありますとも。今夜はノクス様のお好きなものを作りますので、芋をたくさん剥いていただきましょう」
それなら、とイスカは笑った。芋どころか林檎の皮さえ剥いたことはないが、なんとかなるだろう、と。