忘却の蝶は夜に恋う
「何だ」

「私の願いを叶えてくれたのは、あの日の罪滅ぼしかい?」

 イスカはヴィルジールの目を真っ直ぐに見つめながら、ふんわりとした声で問いかけた。

 海よりも淡く、空よりも濃いヴィルジールの瞳に映るイスカの表情は、笑っていると言うには少し不恰好で。その理由を知っているヴィルジールはイスカから目を逸らすと、数秒の沈黙の後に硬い声で返した。

「……違うと言ったら嘘になる」

「ふふ、嘘がつけないのは相変わらずだね。……でも、ありがとう」

「お礼を言われる資格は──」

 ない、と言いかけたヴィルジールの声を遮ったのは、執務室の扉が叩かれる音だった。

「──皇帝陛下、プルヴィア様がお越しです」

 扉の向こうに立つ警護の騎士が告げたのは、イスカの婚約者となったノクスの名だ。ここへ来たということは、婚約の件で文句を言いに来たのだろう。

 イスカは苦笑を浮かべながら、窓の縁に手を掛けた。

「……窓を何だと思っている」

 ヴィルジールの鋭い眼光がイスカへと向けられる。

「私にとっては扉の一つさ。それじゃあまたね、ヴィルジール」

 イスカは爽やかに笑うと、窓の外へと飛び出していった。

 世紀の大泥棒や手練れの暗殺者ならまだしも、大貴族の令嬢が猿のような動きで窓から出ていくとは。慣れてはいるが理解に苦しむヴィルジールは、今日で何度目か分からないため息を吐いた。
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