忘却の蝶は夜に恋う
◆
ノクス・プルヴィアは平民出身でありながら、史上最年少で政官の試験を突破した男である。
艶めくような黒髪に、切れ長の青色の瞳。肌が雪のように白い為、一見すると女性と見紛うほどの端正な容姿である。
一度見たら忘れられない美貌の持ち主であるノクスだが、政界の星と謳われる一方で“死神政官”と恐れられてもいた。
「──一体どういうことでしょうか」
ノクスは不機嫌を宿した声で問いかけた。同時に婚約の命令文書を突き出したが、皇帝であるヴィルジールはそれに一瞥もくれずにペンを走らせている。
「今度はお前か。何の用だ?」
「分かっておられますよね。婚約の件です」
「それがどうした」
ノクスは執務机に両手をついた。誰かに見られたら間違いなく不敬罪で訴えられるが、今は誰もいない。眉一つ動かさないヴィルジールの顔を覗き込むと、ノクスよりも淡い青色の瞳と視線がぶつかる。
「一体どういうことですか? よりにもよって、公爵家の令嬢など」
「男爵家の女なら良かったのか?」
「そういうことではありません。──言ったはずです、僕は結婚はしないと」
「これは命令だ」
ヴィルジールはノクスを拒絶するように目を伏せると、もう下がれと言わんばかりに手を振る。納得がいかないノクスは食い下がろうとしたが、ヴィルジールが立ち上がったのを見て押し黙った。
「少しの間でいい。あいつの気が済むまで、付き合ってやってくれ」
「……それは、どれくらいでしょうか」
ヴィルジールは「さあな」と告げると、ノクスから窓へと目を動かした。窓の向こうの曇り空へと向けられた視線に、いつもの刺々しさはない。その物憂げな横顔を見ているうちに、ノクスは何も言えなくなってしまった。
ノクス・プルヴィアは平民出身でありながら、史上最年少で政官の試験を突破した男である。
艶めくような黒髪に、切れ長の青色の瞳。肌が雪のように白い為、一見すると女性と見紛うほどの端正な容姿である。
一度見たら忘れられない美貌の持ち主であるノクスだが、政界の星と謳われる一方で“死神政官”と恐れられてもいた。
「──一体どういうことでしょうか」
ノクスは不機嫌を宿した声で問いかけた。同時に婚約の命令文書を突き出したが、皇帝であるヴィルジールはそれに一瞥もくれずにペンを走らせている。
「今度はお前か。何の用だ?」
「分かっておられますよね。婚約の件です」
「それがどうした」
ノクスは執務机に両手をついた。誰かに見られたら間違いなく不敬罪で訴えられるが、今は誰もいない。眉一つ動かさないヴィルジールの顔を覗き込むと、ノクスよりも淡い青色の瞳と視線がぶつかる。
「一体どういうことですか? よりにもよって、公爵家の令嬢など」
「男爵家の女なら良かったのか?」
「そういうことではありません。──言ったはずです、僕は結婚はしないと」
「これは命令だ」
ヴィルジールはノクスを拒絶するように目を伏せると、もう下がれと言わんばかりに手を振る。納得がいかないノクスは食い下がろうとしたが、ヴィルジールが立ち上がったのを見て押し黙った。
「少しの間でいい。あいつの気が済むまで、付き合ってやってくれ」
「……それは、どれくらいでしょうか」
ヴィルジールは「さあな」と告げると、ノクスから窓へと目を動かした。窓の向こうの曇り空へと向けられた視線に、いつもの刺々しさはない。その物憂げな横顔を見ているうちに、ノクスは何も言えなくなってしまった。