「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 朗々とした声でそんなことをのたもうた。

「なっ!」

 恥ずかしいと口に出されることほど、恥ずかしいこともない。アンジェリカはうっかり椅子から立ち上がりそうになったところを、寸前のところで留まった。

 目を遣れば、クレアが微笑んで礼をしてくるりと後ろを向き、グレンが恭しく頭を下げて同じように背を向けた。
 それを見て、控えていた者達も続く。

 どうしてだろう。この目に見えるのは背中だけなのに、グレンもクレアも、どこか嬉しそうに見える。

「ね、これならいいでしょ」

 得意げにヴィルヘルムが言う。その灰青が、また宝石のように輝いた。
 誰も見ていない。目の前にいるこの夫一人を、除けば。
 それだけは、事実である。

「じゃあ、今度こそ、あーん」

 差し出されたそれを、アンジェリカはもう断れなかった。

 少しだけ口を開けて、スプーンに口をつけた。野菜の滋味が舌の上に広がって、ほどよい温かさのスープが喉を滑り落ちていく。

「どう? おいしい?」
「はい、おいしいです」

 これは嘘ではない。王宮で供される料理はどれも贅の尽くされたものだが、どうしてだかいつもそれほどおいしいとは思えなかった。

 けれど、ヴィルヘルムが手ずから食べさせてくれたこれは違う。はっきりと味があって、身に染み込んでいくような気がする。

「もう少し、食べる?」
 そう言って、ヴィルヘルムはもう一さじスープを掬う。

「あの、でもそんなことをしたら殿下の分が」
「いいよ。オレはアンに食べてもらった方が嬉しい」

 その言葉に、二の句が継げなくなった。切れ長の目がひどく優し気に細められる。

 頬が熱くなっていくのはどうしてだろう。
 これは、王太子妃としては正しい行いではないと、分かっているのに。

 自分とヴィルヘルムの間の空気がゆったりと流れていく。まるでこの世界に二人きりのような気さえしてくる。こんな感覚を、アンジェリカは今の今まで知らなかった。

 誤魔化すように、また差し出されたスープを飲んだ。それを何回か繰り返して、アンジェリカは結局スープを全て飲み干してしまった。

 なんだか空っぽだったお腹の辺りがぽっとあたたかくなった。ずっと埋まらなかった欠落にすとん、と何かがはまったような気がした。
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