「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 アンジェリカは、あの時ヴィルヘルムがそうしたのを真似るように、指先でそっと花びらを撫でた。
 常のリラの花と違い、この花の花びらは五枚だ。

『知ってる? 五枚の花びらのリラは幸せのお守りなんだって』

 聞いたことはある。けれど、アンジェリカは本当に目にするのははじめてだった。王宮の庭園でも、五枚のものは見たことがない。

 ヴィルヘルムは一体どこから、この花を摘んできたのだろう。聞いても「内緒」と返すだけで、彼は教えてくれなかった。どうやら他の誰も幸運のリラの咲いている場所は知らないらしい。

 日常のふとした時に頭の片隅や真ん中で、ヴィルヘルムが少年のように笑う。
 そして、その度に溜息が零れる。

 ほのかに色づいたような気さえする己の吐く息はふわふわと漂うようにそこにあって、掴もうとすればするりと手から抜け落ちていく。

 そこで花というのは随分と厄介なものなのだと思った。咲いている間、目に入る度に、それを贈ってくれた人のことを考えずにはいられないのだから。

 このくすぐったいにも似た気持ちがなんなのか、アンジェリカには分からない。けれど、浮かび上がってくるのは恥ずかしさだけではなかった。

 ただこんな日がずっと続けばいいとだけ、漠然と考えていた。

 ひとつだけ、引っかかっていることがある。

 あの十六歳のヴィルヘルムの延長線上に、二十八歳のヴィルヘルムはいるはずなのに。

 ――私は、君に触れることはない。

 脳裏から離れない冷たい声と髪を梳いてくれた優しい手が、アンジェリカにはどうしても、連なっているようには思えなかった。

 そしてそれは、のどに刺さった小骨のように、時折ちくりと首をもたげてくるのだった。
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