「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 己の未来を知りたいというのは、根源的な欲求の一つだろう。どんな風に大人になるのかを夢見ていた頃は、アンジェリカにもある。

「もっとちゃんとした大人になれるんだって勝手に思ってたんだけどさ、そうじゃないのかもしれない」

 けれど、それが現実として訪れたところで幸せではないのかもしれない。誰だって、思っていた通りの大人になれるとは限らない。その事実をむざむざと突きつけられるだけだ。

 ぴたりと引っ付いた体を、ヴィルヘルムは離した。そのことにどうしてだろう、一抹の寂しさのようなものを感じる自分がいる。

「きっとオレ、いい夫じゃなかったんだろ」

 自嘲するように、ヴィルヘルムが言った。くるりと背を向けられて、アンジェリカからは彼がどんな顔をしているのか見えなくなる。

「兄上が死んだのにのうのうと生き長らえて、平然とあんたのことを(ないがし)ろにして」

 やさしい夫というものに、ずっと憧れていた。アンジェリカを見て、アンジェリカだけを愛してくれる、そんな人。

 ヴィルヘルムは理想の王子様とは、少し遠いけれど。

「元のオレに戻りたくないな、ってもしょうがないけどさ」
「戻らなくて、いいですよ」

 きゅっと、その上着の裾を掴んだ。弾かれたようにヴィルヘルムが振り返る。

 ファーレンホルストとブロムステットが結んだのは、“王太子”と“王女”の政略結婚だ。
 だから、相手がコンラートという兄でもヴィルヘルムでも、祖国の側から見れば大差がない。王子が()げ替わっていたとしても、何の問題にもならない。

 そしてそれは、ファーレンホルストの側から見ても同じことだろう。
 嫁いできたのはアンジェリカでも、他の姉妹でも、誰でも、よかったはずだ。

 けれど、今はもう、違う。
 わたしは、この人をたった一人、夫としていたいのだ。

「わたしも、今のあなたの方が、好きです」
「ほんと?」

 ヴィルヘルムが不安げに訊ねてくる。見る角度によって絶妙に輝きを変える灰青が揺れる。

「はい」

 手が顔に伸びてくる。掠めるのは、巻き付けたハンカチの感触と確かめるようにアンジェリカの頬をなぞる指先。
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