「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
「え、やだよ、オレ」

 アンジェリカが何も返せずにいたら、横からヴィルヘルムが言った。取り囲む者達が狼狽えるように自分とヴィルヘルムを交互に見つめる。

 率直な言葉に、傷つかなかったと言えば嘘になる。

「だってまだ会ったばっかじゃん……そんな」

 ヴィルヘルムはそう言って、ぷいっとアンジェリカから顔を背ける。

「まだ本当に好きな人と、したこともないのに」

 シルバーブロンドから覗く耳が赤い。本気で嫌がっているというよりは、照れているだけなのかもしれない。

「あんたはさ、オレと、そういうことしたの?」
「と、当然でしょう」

 応えた声が、僅かに上擦った。そう、アンジェリカは二十八歳の彼の妻であるということからすれば、当然なのである。

「いいわ、あなたはそこでじっとしていて」

 アンジェリカは立ち上がって、ヴィルヘルムの前に立った。

「いや、だからってさ、おばさん。あんただってやだろ」
「別に」

 思い出したのは、婚姻の儀だった。純白のドレスとファーレンホルスト王家に代々受け継がれるティアラを身に着けたアンジェリカの前に、ヴィルヘルムはすっくと立った。

 男の手が頬に添えられて、長身は覆いかぶさるように屈んだ。熱くて大きな手だった。

 その目はまるで後悔するように伏せられた。
 鼻先に吐息がかかって、その唇が触れると思ったところで、彼は留まった。

 あの時、ヴィルヘルムはアンジェリカに誓いのキスをしなかった。大きな手は巧みにそれを隠し通した。
 頭の中で鳴るのは、ひどく冷たく響いた拒絶。

『私は、君に触れることはない。だから、君もそのつもりでいてくれ』

 四年も前だというのに、囁かれたその声を鮮明に思い出すことができる。できてしまう。

 形だけはそうしたように振舞ったから、アンジェリカとヴィルヘルム以外にこのことを知る者はいない。

 あの時、ヴィルヘルムは何を考えていたのだろう。目の前の十六歳の彼は知らない。今はどうしたって知ることは出来ない。

 なんだっていい。この人を元に戻せるなら。実際はともかく、今はアンジェリカの方が彼より年上だ。ここは、自分がリードすべきだろう。

 わたしは、この身の全てを捧げてこの国にいるのだ。
 これが愛じゃないなら、何を一体愛と呼ぶのだろう。

 両手でそっと挟むようにして、すべらかな頬に触れる。眼前で端正な顔が分かりやすく歪んだ。
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