「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
「アン、ジェリカ……?」
 ヴィルヘルムがゆっくりと顔を上げる。灰青の目は怪訝な色を宿してアンジェリカを捉える。

「ですから、幸せとはなんですか、とお伺いしております」

「それは、俺にもよく分からないが……」
 狼狽えたように顔を背ける。その肩に手を置いて、こちらを向けさせた。

「よく分からないのに、こんなことをなさるのですか!」
「けれど、ここにいても、俺は君を不幸にするだけだ」

「幸せが分からないのなら、不幸も何もないのでは?」

 嘘のように言葉がすらすらと出てきた。頭に血が上っているせいかもしれない。だって、十六歳の彼は有無も言わさずいなくなってしまったから。

「こんなかっこつけたことだけ言って、逃げて、わたしが幸せになれるとでも」

 だから駄目押しのように、こう告げた。

「二度もわたしを、捨てるのですか」

 ヴィルヘルムの切れ長の目が、真ん丸になった。

 痛いぐらいの沈黙が満ちて、部屋の中で二人見つめ合った。

「……ごめん」

 恐々と探るように手の甲が頬に当てられる。そのままその手は頬を滑って、流れた涙を拭っていく。
 そうされてはじめて、自分が泣いていることに気が付いた。

「君を傷つけたいわけじゃなかった」

 今度はそう、包み込まれるような抱擁だった。頭の後ろに手が回されて、その胸に顔を埋める。宥める様にゆっくりと髪を撫でられた。

 ぎゅっと強張るほどにヴィルヘルムの服を握りしめてしまっていた。

 軽妙な声が、踊るように言う。脳裏で銀色の髪が跳ねる。

 ――何回だって、あんたのこと、好きになるよ。

「何回だってわたしを好きになる、って言ってくれたじゃないですか」

 それなのにこれじゃああんまりだ。わたしはまた、独りぼっちだ。

「それは、できない」

 ヴィルヘルムの腕の中で、アンジェリカは硬直した。その否定は、凍るように冷たく響く。けれど振り解こうとしたら、言葉とは裏腹に引き寄せられた。

 続く告白に今度は自分が目を見開く番だった。

「俺は、最初から君のことが好きなんだ……」

「へっ、うそ」

 信じられずに二度瞬きをした。けれど真っ赤に染まった耳元を見ればそれは嘘ではないと分かった。

「本当は最初に会った時から惹かれていたんだ。一目惚れだった。でもどうすればいいのか、ずっと分からなかった」

 甘えるように肩の上に頭を乗せてくる。そんなところまでそっくりだった。そもそも本人なのだから当然なのかもしれないが。

「だから、兄上が生き返ればそれでいいと思った。俺が兄上になれば、兄上が君を幸せにしてくれる。そう思って、十六歳の自分になることを受け入れたのに」

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