Existence *
「ありがと」


置かれた資料をペラペラと捲り目を通していく。

その間、沙世さんは店の準備を始めていた。

どれくらい時間が経ったか分からない頃、俺はその資料を抱えて立ち上がる。


「沙世さん、帰るわ」

「あ、うん。またね」


カウンターから振り向いてきた沙世さんはニコッと笑みを漏らし、俺は沙世さんの店を出た。

出て大通りに向かう途中、「あ、おい。…翔」その声で必然的に俺の足は止まる。

振り返る先には流星が居て、流星は速足で駆け寄ってきた。


「こんな所で何してんの、お前」


流星が俺を見て視線を手元に移す。


「沙世さんのとこ」

「あー、飯食いに?」

「いや、まぁ食ったけど、それメインじゃねぇし」

「あぁそうなん?それより――…」

「あーっ、楓じゃん!」


流星の声を遮って弾けた声が飛んでくる。

その声に視線を向けると、前方から女が駆け足で走って来るのが分かった。


「マジか、」


思わず呟いてしまった声に、流星が苦笑いになる。


「この周辺でお前と話し出来ねぇな、」

「大事な話なのかよ」

「普通」

「は?普通ってなに?」

「社長の報告だけ」

「悪い。ちょっと沙世さんの所に行っといてくんね?後で行く」

「わかった」


流星がその場を離れると、女が近づき俺の腕を掴んだ。


「ねぇ、楓。戻ってきてよ。楓が居なくなってからつまんない」


俺の腕を揺すりながら女は頬を膨らませて俺を見上げる。


「ねぇ、楓。お願い。帰ってきてよ」


続けられる言葉に俺は困った様に頬に笑みを作った。


「悪いけど、もう戻るつもりはないんだけど」

「えーっ、なんで?」

「なんでって未練ないからかなー…」

「私にも未練ないの?」


その言葉に俺はフッと鼻で笑う。


「なにその、私にもって。俺よりも沢山いい男いんだろうよ」

「いないよっ、楓以外いない」

「悪いな。俺もうホストじゃねぇから」

「だったら戻ってきてよ」

「いや、だから戻んねぇって。ごめん、急いでっから行くわ」

「えーっ、」


背を向けた俺の背後から女の声が飛び交う。

ほんと、むやみにこの周辺歩けねぇわ。

なんて思いながらため息を吐き出し、俺はもう一度沙世さんの店へと向かった。

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