推しで一途な婚約者は、国一番の人気者!つまり毎日が修羅場です。
3章「vs麗しきご令嬢」_29話:夜会へ
陽が昇った。新しい1日の始まりである。
と本題に入る前に、偽アルフレードについての進展があったので報告させて欲しい。
丁度アンジュとアルフレードも、ウィリアムからあらましの説明を受けているところだ。彼の話から、要点を纏めて話をしようと思う。
まず、偽アルフレードが逮捕された。今まで集めた証拠と裏どりが認められ、朝一番に男を逮捕に向かった。丁寧に片付けられた部屋で、彼は静かに待っていたと言う。逮捕に来た同胞が、罪状を読み上げている間安堵のため息すらついていたと、現場にいた担当官の話である。
犯人の男は、アルフレードが信頼を置いている人物であった。集められた証拠から導き出された存在に、アルフレードは間違いであって欲しいと祈っていたが、逮捕された彼は全てを認めていると説明にされ、彼は静かに受け入れている。
次に、アンジュに散々喧嘩を売っていた伯爵令嬢が行方不明になっている件について。5日前に家族との話し合いの中で、殴られた彼女は感情の限り暴れ屋敷を飛び出した以降、未だに行方不明。使用人らも必死に探しているが、一向に手掛かりが掴めていない。
唯一得ている確証は彼女が突然姿を消した、状況のみ。男が逮捕された今、1番の問題はこちらだ。最悪が起こる、その懸念。家族との話し合いで忍耐の線が完全に切れた彼女は感情に支配された獣であったと屋敷の様相は酷いものであった。
彼女はすでに理性の境がなくなっていると考えていい。そんな存在が、覚悟を決めた、また追い詰められた末に起こす行動恐ろしさを軍人はよくよく知っている。
「いざとなれば信頼できるのは自分自身だ」
ウィリアムは淡々と部下に告げる。
「はい。しかし軍人になってから、常時その危険は心得ております。何より、今は2人ですから」
するとアンジュは平然と答えた。その態度には、諦観も不安もない。いつもの様に前を向いている。彼女の言葉に、アルフレードもしっかりと頷いている。
「健やかな時も、病める時も、か。存分にやればいい。変わらず見張りはつける。何かあれば存分に暴れろ。責任は俺が取る」
「班長、何が何でも責任を取っていては今後の動きに支障が出ますよ」
「俺個人で他に成せることもない。今は令嬢も見失った。なれば部下と、他国民を守るのが俺のできる仕事だ」
ウィリアムはそう言い残すと、そして来た時同様颯爽と立ち去り街の喧騒へと姿を消した。
彼も今日は仕事は休みだ。男逮捕の知らせを聞きつけ、人ごみの中わざわざ借家にまで出向き、2人に仔細を伝えに来たのである。恐らく今日も、独自調査に精を出すのだろう。仕事熱心と言うべきか、独断が過ぎると表現すべきか…。何を言ったところで彼は評価を気にしないため、ウィリアムに背中を素直に見送る。
花祭りが開かれ、中央区の賑わいは日々増している。観光客で人は溢れ、あちらこちらから良い香りが漂う。
さて。お待たせした。
本日はローランド公主催の夜会、第3夜が開かれる。アンジュとアルフレード、2人が初めて一緒に参加する、記念すべきパーティーである。
2日間は、大きな問題も起こらず終わりを迎えた。第1夜と第2夜の出来事は、新聞記事で知ることができる。パーティーで振る舞われた豪華なメニュー、一際目を引いた来客者の衣装、珍事などが取り上げられている。
今夜も無事過ぎれば、一旦心が落ち着くというもの。中央区には祭りの賑やかさの中に、緊張も張り詰めている気配があった。
精霊らに手伝ってもらい、支度を整えた2人。
2人の中指にはお揃いの婚約指輪が嵌められている。
迎えの馬車に乗り、夜会の会場であるローランド公屋敷に向かっていた。中央区中心街から少し離れた23番地域郊外に屋敷がある。借家からは30分。道でガタガタと揺れるキャビンの中、長くもなく短くもない時間でアルフレードはひたすらにアンジュを讃える言葉を贈る。
今夜のために伸ばした髪は、低い位置で内側に巻き込み、うなじをすっきりと見せるギブソン・タック。ボリュームが出すぎず、極めて上品に纏まっている。わがままが詰まった、大人の魅力を演出するための乳白色のドレス。ボードネック部分にため息が漏れるほど美しい繊細なレース生地が健康的に肌を魅せている。胸元とベルト部分に硬質なドスキン生地、スカート部分は柔らかなシルクでドレスの揺れが演出されている。
先日のお披露目では、あまりの美しさに頭が混乱して見苦しい姿のみを晒した。ここぞとばかりに、アンジュへ言葉を贈っている。
アンジュも負けぬ勢いで、タキシード姿の婚約者且つ推しを褒め称える。彼も乳白色のドスキン生地で仕立てられたタキシードが、その美しさに磨きをかけている。
令嬢を忘れる訳にはいかないが、いつ起こるかわからない出来事に気構え過ぎるよりも、まずは夜会を堪能すると決めたのだ。
アルフレードはアンジュの首筋に顔を近づける。すっと鼻に抜ける木と甘さも感じる香りに彼は気持ちを良くした。この香りは、以前にアルフレードがプレゼントした香水だ。私生活でアルフレードが身につけている物ー正確にはアンジュの好みを知りたくて探り探った一品。アンジュと会う時にしか付けないーと同じ香りを、アルフレードのパートナーである印として纏っている。不安に思う婚約者を思ったアンジュが考えだした、五感で2人の仲を訴える作戦だ。
周囲への効果がいかほどであるかは、これから証明になるが、まずアルフレードにはかなり効いている。好きな人から自分と同じ香りがするのだ。独占欲が満たされてしょうがない。
甘える彼にメイクがつかないように気をつけながら、アンジュは彼を受け入れていた。
2人が熱を上げているうちに、目的地に到着した。
馬車から降りた途端、人々の目線を独占する。容姿端麗、目の引く体格の良さと背の高さを誇るアルフレードはいつものこと。最初は誰もが彼の姿にワッと湧き立つも、隣に並ぶ女性の姿に言葉を失う。自信に満ち溢れた、揺るぎない姿。
「…アンジュ、ブルナーだ」
1人の夜会参加者である男性の呟きに、パートナーの女性が驚きの声を上げる。途端に、波の様に話題が広がっていく。
「え、アンジュ、ブルナー?!彼女が?」
「うそよ。だってあんな雰囲気じゃなかったわ」
「アルフレード・ランゲの隣に並ぶのだ。彼女しかいまい」
招待客中には顔を覚えていない者もいるが、特徴的な真っ白な髪に真っ赤な瞳、低い背丈は間違いなくアンジュ・ブルナーと一致する。アルフレードと並べば、幼稚さが引き立つ、西の”化け物娘”。
それが今はどうか。冷静さと可憐さが相まっている。幼さは消え、強い女性の姿がそこにある。
ヒソヒソ、ざわざわ。
アンジュの耳に周囲のざわめきが届く、届く。赤い瞳を、パーティー参加者に向ける。
(皆さんのおかげだ。ありがとうございます)
わがままに付き合ってくれた全ての人に、アンジュは何度も心の中で感謝の念を送る。
夜会の主戦場でもある大舞踏室は実に荘厳、絢爛。過度な装飾を好まない夫妻によって改装された、比較的新しい建築内装は基本的に実用性に富んでいる。天井が高く、シャンデリアが輝き、床はダンスのために磨き上げられている。
それでも、もっとも会場を彩っているのは招待客である紳士、淑女。他種族が顔を揃え、それぞれ春の陽気を表現したように華やかに着飾っている。
参加者の1人1人が、花のようだ。
ハプニングの瞬間を押さえれないか、周囲を熱心に見渡す記者の姿もある。会場は気分を盛り上げる演奏と花の良い香りで空気まで飾られ、奥の区切られた一角には豪勢な食事がこれでもかと並び、招待客は舌鼓を打っていた。
主催者は要人の迎えに、しばらく会場に姿を見せないと言う。ならば、もう1人の主催者にまずは挨拶をすることにした。
「ご無沙汰しておりますマリー様。今宵の宴、お招きにあずかり感謝いたします」
ローランドの妻、マリー・シボレー。シャンデリアの煌めきが移ったように美しい金髪、澄んだ湖を思わせる瞳。若い頃に夫と共闘し戦場を泥臭く生き抜いた夫人だ。永劫の時を深く大地に根付く巨木のような強さがある。華やかな会場の中で、静かに、存在感を放っている。
夫人の声にもしっかりと、大地に染みる強さがある。
「会えるのを楽しみにしていました。いろんな方からも活躍などは聞いていましたが、やはり会って話さないとわからないものがあるから…。よかった、元気そうで」
「温かいお言葉、痛み入ります。夫人も、お変わりないようで」
マリーの頬が緩む。慈愛の満ちた瞳に、アルフレードは内心驚いた。豪快溌剌なローランドの笑顔を陽だと例えるならば、彼女は冷静沈着。愛想が悪い訳ではないが、基本的に喜怒哀楽を表す質ではない。
彼女の微笑みに気づいた、周囲にいる招待客も目を見開いている。
「おかげさまで悪夢も見ないわ。あの人が彼らと会場に戻り次第、2人に声をかけるようにお伝えしておきます。今夜をめいいっぱい楽しんでくださいね。ああ、ちょうど時間のようね」
大舞踏室に流れる音楽が変わった。ダンスの時間の合図だ。
中心へ人が集まり始める。
「さあ、存分に楽しんでいって。また後でゆっくり話をしましょう。あぁアンジュ」
マリーは1つアンジュに耳打ちする。小さなささやきでアルフレードには聞こえなかった。アンジュは少し申し訳なさそうな表情を浮かべたが、しっかりと頷いた。
マリーに見送られ、2人も真ん中へと移動する
「マリー様はなんとおっしゃっていたんだ?」
「うん。少しお気遣いいただいたの」
答えになっていない返事に疑問符が浮かぶも、アンジュにとっては良い話のようだ。なら気にすることではない。
2人は踊りに興じることにした。
(夢みたいだ)
アルフレードとの初めての夜会。
踊り、食事を楽しむ。会場にはお互いの家族と関わりのある貴族らがいたため、合間を縫って彼らとも挨拶を交わす。
妙に目線が集まっているのは気になるが、今は無視を決め込む。アルフレードが隣にいるのだ。注目を浴びるのは当たり前だ。
「………兄さんたち、遅いな」
「そうだね。混雑してるとか、お仕事が押してるのかな」
待ち合わせているロベアタたちは一向に姿を現さない。今夜をアンジュ並みに楽しみにしていたのだから、遅れてくるはずもないのだが。彼女たちは何をしているのだろうか。ポエテランジュの力の副作用で語感が優れていようと、生憎アンジュは千里眼は持ち合わせていない。首を傾げながら、皿に盛ったチキンを頬張った。
(おいしい!)
一口サイズにカットされた焼き鳥は、肉は柔らかくともジューシーであった。きっちり血の処理もされており生臭くなく、香味野菜とスパイスの香りが鼻を抜けていく。
「美味しい?」
口に入れた途端目を輝かせば、美味しかったのだろうと簡単にわかる。分かっていても、聞いてしまう。その愛らしさに、アルフレードは頬から口元が緩んでしまうのを必死に耐え忍ぶ。アルフレードの短い問いに、小刻みに何度も頷くアンジュ。彼女の2番目の兄、セオドアの相棒精霊であるアフと同じ反応である。彼なら食べてる間に次々と一口を頬張るに違いないが。アンジュはしっかりと噛み締めて、味わっている。
(あぁ夢みたいだ。夢みたいなのに、邪魔な目線が多いな…)
アンジュが夢のひとときを過ごしている今、アルフレードは少し面倒な感情の中でもがいていた。それはもう、溺れそうになるのを必死にもがいている。
アンジュ同様夜会を楽しんでいるが、何より気になるのはアンジュを汚す瞳。
(いつも、いつも、アンジュを貶める発言を繰り返すくせに)
今は惚けて、アンジュの美しさに見惚れている。中には身体を舐めるよう、目元が歪んでいる男すらいる。宝物をアルフレードは隠したくてたまらなくない。
招待客の中にはアルフレードに想いや憧れの乗った熱い瞳が変わらず向けられているが、今はそんなことよりもアンジュへの邪な瞳の方が気になってしょうがない。
隣にいる最愛の人は、周囲から向けられた目線に気がついていないのか、ニコニコと楽しんでいる。至極幸せそうだ。
ようやく2人で出席できたのだ。周りなど気にせず、目の前の彼女に集中すればいい。
意識をそらすためにアンジュが顔を輝かせたチキンを食べれば、確かに旨みが口一杯に、パリパリとした皮から香ばしい味が広がる。
「うん。美味しい」
(みるな、見るな、みるな、見るな)
アルフレードは強く、肉を噛み潰した。
(……)
アルフレードはストレスを感じると、仕草に出る。今は周囲の目線から逃れようと背中を向けているのを彼女は見抜いていたあ。それが、自分を隠す壁になろうという本心までは見抜けなかったが。
(よし)
これでは本当の意味では楽しい夜会を過ごせないと、アンジュは一工夫することにした。
「のど、乾いたな」
「飲み物貰ってくる。アルコール?」
「うん。お願い」
アンジュが喉の渇きを訴えると、アルフレードは足早に飲み物を取りに行く。並ぶ中から、ベリー系の酸味の強い果実酒を選ぶ。鳥の脂で満たされた口の中をさっぱりと直してくれるに違いない。
アルフレードは2つグラスを受け取り、婚約屋の元へと戻ろうとした。
その時。
「ねぇ、アルフレード」
後ろから、小さな声でアンジュに名前を呼ばれた。振り返ると彼女右手でグラスを受け取り、左手でアルフレードの手に触れると、ゆっくり、後ろの薄暗い廊下へ導いていく。
「アンジュ?」
輝くような笑顔ではなく、一滴影を落とし、溶け込ませた妖しい微笑みに、アルフレードの心臓は大きく鳴る。
婚約者に手を引かれるままに、彼は廊下に足を踏み入れた。
と本題に入る前に、偽アルフレードについての進展があったので報告させて欲しい。
丁度アンジュとアルフレードも、ウィリアムからあらましの説明を受けているところだ。彼の話から、要点を纏めて話をしようと思う。
まず、偽アルフレードが逮捕された。今まで集めた証拠と裏どりが認められ、朝一番に男を逮捕に向かった。丁寧に片付けられた部屋で、彼は静かに待っていたと言う。逮捕に来た同胞が、罪状を読み上げている間安堵のため息すらついていたと、現場にいた担当官の話である。
犯人の男は、アルフレードが信頼を置いている人物であった。集められた証拠から導き出された存在に、アルフレードは間違いであって欲しいと祈っていたが、逮捕された彼は全てを認めていると説明にされ、彼は静かに受け入れている。
次に、アンジュに散々喧嘩を売っていた伯爵令嬢が行方不明になっている件について。5日前に家族との話し合いの中で、殴られた彼女は感情の限り暴れ屋敷を飛び出した以降、未だに行方不明。使用人らも必死に探しているが、一向に手掛かりが掴めていない。
唯一得ている確証は彼女が突然姿を消した、状況のみ。男が逮捕された今、1番の問題はこちらだ。最悪が起こる、その懸念。家族との話し合いで忍耐の線が完全に切れた彼女は感情に支配された獣であったと屋敷の様相は酷いものであった。
彼女はすでに理性の境がなくなっていると考えていい。そんな存在が、覚悟を決めた、また追い詰められた末に起こす行動恐ろしさを軍人はよくよく知っている。
「いざとなれば信頼できるのは自分自身だ」
ウィリアムは淡々と部下に告げる。
「はい。しかし軍人になってから、常時その危険は心得ております。何より、今は2人ですから」
するとアンジュは平然と答えた。その態度には、諦観も不安もない。いつもの様に前を向いている。彼女の言葉に、アルフレードもしっかりと頷いている。
「健やかな時も、病める時も、か。存分にやればいい。変わらず見張りはつける。何かあれば存分に暴れろ。責任は俺が取る」
「班長、何が何でも責任を取っていては今後の動きに支障が出ますよ」
「俺個人で他に成せることもない。今は令嬢も見失った。なれば部下と、他国民を守るのが俺のできる仕事だ」
ウィリアムはそう言い残すと、そして来た時同様颯爽と立ち去り街の喧騒へと姿を消した。
彼も今日は仕事は休みだ。男逮捕の知らせを聞きつけ、人ごみの中わざわざ借家にまで出向き、2人に仔細を伝えに来たのである。恐らく今日も、独自調査に精を出すのだろう。仕事熱心と言うべきか、独断が過ぎると表現すべきか…。何を言ったところで彼は評価を気にしないため、ウィリアムに背中を素直に見送る。
花祭りが開かれ、中央区の賑わいは日々増している。観光客で人は溢れ、あちらこちらから良い香りが漂う。
さて。お待たせした。
本日はローランド公主催の夜会、第3夜が開かれる。アンジュとアルフレード、2人が初めて一緒に参加する、記念すべきパーティーである。
2日間は、大きな問題も起こらず終わりを迎えた。第1夜と第2夜の出来事は、新聞記事で知ることができる。パーティーで振る舞われた豪華なメニュー、一際目を引いた来客者の衣装、珍事などが取り上げられている。
今夜も無事過ぎれば、一旦心が落ち着くというもの。中央区には祭りの賑やかさの中に、緊張も張り詰めている気配があった。
精霊らに手伝ってもらい、支度を整えた2人。
2人の中指にはお揃いの婚約指輪が嵌められている。
迎えの馬車に乗り、夜会の会場であるローランド公屋敷に向かっていた。中央区中心街から少し離れた23番地域郊外に屋敷がある。借家からは30分。道でガタガタと揺れるキャビンの中、長くもなく短くもない時間でアルフレードはひたすらにアンジュを讃える言葉を贈る。
今夜のために伸ばした髪は、低い位置で内側に巻き込み、うなじをすっきりと見せるギブソン・タック。ボリュームが出すぎず、極めて上品に纏まっている。わがままが詰まった、大人の魅力を演出するための乳白色のドレス。ボードネック部分にため息が漏れるほど美しい繊細なレース生地が健康的に肌を魅せている。胸元とベルト部分に硬質なドスキン生地、スカート部分は柔らかなシルクでドレスの揺れが演出されている。
先日のお披露目では、あまりの美しさに頭が混乱して見苦しい姿のみを晒した。ここぞとばかりに、アンジュへ言葉を贈っている。
アンジュも負けぬ勢いで、タキシード姿の婚約者且つ推しを褒め称える。彼も乳白色のドスキン生地で仕立てられたタキシードが、その美しさに磨きをかけている。
令嬢を忘れる訳にはいかないが、いつ起こるかわからない出来事に気構え過ぎるよりも、まずは夜会を堪能すると決めたのだ。
アルフレードはアンジュの首筋に顔を近づける。すっと鼻に抜ける木と甘さも感じる香りに彼は気持ちを良くした。この香りは、以前にアルフレードがプレゼントした香水だ。私生活でアルフレードが身につけている物ー正確にはアンジュの好みを知りたくて探り探った一品。アンジュと会う時にしか付けないーと同じ香りを、アルフレードのパートナーである印として纏っている。不安に思う婚約者を思ったアンジュが考えだした、五感で2人の仲を訴える作戦だ。
周囲への効果がいかほどであるかは、これから証明になるが、まずアルフレードにはかなり効いている。好きな人から自分と同じ香りがするのだ。独占欲が満たされてしょうがない。
甘える彼にメイクがつかないように気をつけながら、アンジュは彼を受け入れていた。
2人が熱を上げているうちに、目的地に到着した。
馬車から降りた途端、人々の目線を独占する。容姿端麗、目の引く体格の良さと背の高さを誇るアルフレードはいつものこと。最初は誰もが彼の姿にワッと湧き立つも、隣に並ぶ女性の姿に言葉を失う。自信に満ち溢れた、揺るぎない姿。
「…アンジュ、ブルナーだ」
1人の夜会参加者である男性の呟きに、パートナーの女性が驚きの声を上げる。途端に、波の様に話題が広がっていく。
「え、アンジュ、ブルナー?!彼女が?」
「うそよ。だってあんな雰囲気じゃなかったわ」
「アルフレード・ランゲの隣に並ぶのだ。彼女しかいまい」
招待客中には顔を覚えていない者もいるが、特徴的な真っ白な髪に真っ赤な瞳、低い背丈は間違いなくアンジュ・ブルナーと一致する。アルフレードと並べば、幼稚さが引き立つ、西の”化け物娘”。
それが今はどうか。冷静さと可憐さが相まっている。幼さは消え、強い女性の姿がそこにある。
ヒソヒソ、ざわざわ。
アンジュの耳に周囲のざわめきが届く、届く。赤い瞳を、パーティー参加者に向ける。
(皆さんのおかげだ。ありがとうございます)
わがままに付き合ってくれた全ての人に、アンジュは何度も心の中で感謝の念を送る。
夜会の主戦場でもある大舞踏室は実に荘厳、絢爛。過度な装飾を好まない夫妻によって改装された、比較的新しい建築内装は基本的に実用性に富んでいる。天井が高く、シャンデリアが輝き、床はダンスのために磨き上げられている。
それでも、もっとも会場を彩っているのは招待客である紳士、淑女。他種族が顔を揃え、それぞれ春の陽気を表現したように華やかに着飾っている。
参加者の1人1人が、花のようだ。
ハプニングの瞬間を押さえれないか、周囲を熱心に見渡す記者の姿もある。会場は気分を盛り上げる演奏と花の良い香りで空気まで飾られ、奥の区切られた一角には豪勢な食事がこれでもかと並び、招待客は舌鼓を打っていた。
主催者は要人の迎えに、しばらく会場に姿を見せないと言う。ならば、もう1人の主催者にまずは挨拶をすることにした。
「ご無沙汰しておりますマリー様。今宵の宴、お招きにあずかり感謝いたします」
ローランドの妻、マリー・シボレー。シャンデリアの煌めきが移ったように美しい金髪、澄んだ湖を思わせる瞳。若い頃に夫と共闘し戦場を泥臭く生き抜いた夫人だ。永劫の時を深く大地に根付く巨木のような強さがある。華やかな会場の中で、静かに、存在感を放っている。
夫人の声にもしっかりと、大地に染みる強さがある。
「会えるのを楽しみにしていました。いろんな方からも活躍などは聞いていましたが、やはり会って話さないとわからないものがあるから…。よかった、元気そうで」
「温かいお言葉、痛み入ります。夫人も、お変わりないようで」
マリーの頬が緩む。慈愛の満ちた瞳に、アルフレードは内心驚いた。豪快溌剌なローランドの笑顔を陽だと例えるならば、彼女は冷静沈着。愛想が悪い訳ではないが、基本的に喜怒哀楽を表す質ではない。
彼女の微笑みに気づいた、周囲にいる招待客も目を見開いている。
「おかげさまで悪夢も見ないわ。あの人が彼らと会場に戻り次第、2人に声をかけるようにお伝えしておきます。今夜をめいいっぱい楽しんでくださいね。ああ、ちょうど時間のようね」
大舞踏室に流れる音楽が変わった。ダンスの時間の合図だ。
中心へ人が集まり始める。
「さあ、存分に楽しんでいって。また後でゆっくり話をしましょう。あぁアンジュ」
マリーは1つアンジュに耳打ちする。小さなささやきでアルフレードには聞こえなかった。アンジュは少し申し訳なさそうな表情を浮かべたが、しっかりと頷いた。
マリーに見送られ、2人も真ん中へと移動する
「マリー様はなんとおっしゃっていたんだ?」
「うん。少しお気遣いいただいたの」
答えになっていない返事に疑問符が浮かぶも、アンジュにとっては良い話のようだ。なら気にすることではない。
2人は踊りに興じることにした。
(夢みたいだ)
アルフレードとの初めての夜会。
踊り、食事を楽しむ。会場にはお互いの家族と関わりのある貴族らがいたため、合間を縫って彼らとも挨拶を交わす。
妙に目線が集まっているのは気になるが、今は無視を決め込む。アルフレードが隣にいるのだ。注目を浴びるのは当たり前だ。
「………兄さんたち、遅いな」
「そうだね。混雑してるとか、お仕事が押してるのかな」
待ち合わせているロベアタたちは一向に姿を現さない。今夜をアンジュ並みに楽しみにしていたのだから、遅れてくるはずもないのだが。彼女たちは何をしているのだろうか。ポエテランジュの力の副作用で語感が優れていようと、生憎アンジュは千里眼は持ち合わせていない。首を傾げながら、皿に盛ったチキンを頬張った。
(おいしい!)
一口サイズにカットされた焼き鳥は、肉は柔らかくともジューシーであった。きっちり血の処理もされており生臭くなく、香味野菜とスパイスの香りが鼻を抜けていく。
「美味しい?」
口に入れた途端目を輝かせば、美味しかったのだろうと簡単にわかる。分かっていても、聞いてしまう。その愛らしさに、アルフレードは頬から口元が緩んでしまうのを必死に耐え忍ぶ。アルフレードの短い問いに、小刻みに何度も頷くアンジュ。彼女の2番目の兄、セオドアの相棒精霊であるアフと同じ反応である。彼なら食べてる間に次々と一口を頬張るに違いないが。アンジュはしっかりと噛み締めて、味わっている。
(あぁ夢みたいだ。夢みたいなのに、邪魔な目線が多いな…)
アンジュが夢のひとときを過ごしている今、アルフレードは少し面倒な感情の中でもがいていた。それはもう、溺れそうになるのを必死にもがいている。
アンジュ同様夜会を楽しんでいるが、何より気になるのはアンジュを汚す瞳。
(いつも、いつも、アンジュを貶める発言を繰り返すくせに)
今は惚けて、アンジュの美しさに見惚れている。中には身体を舐めるよう、目元が歪んでいる男すらいる。宝物をアルフレードは隠したくてたまらなくない。
招待客の中にはアルフレードに想いや憧れの乗った熱い瞳が変わらず向けられているが、今はそんなことよりもアンジュへの邪な瞳の方が気になってしょうがない。
隣にいる最愛の人は、周囲から向けられた目線に気がついていないのか、ニコニコと楽しんでいる。至極幸せそうだ。
ようやく2人で出席できたのだ。周りなど気にせず、目の前の彼女に集中すればいい。
意識をそらすためにアンジュが顔を輝かせたチキンを食べれば、確かに旨みが口一杯に、パリパリとした皮から香ばしい味が広がる。
「うん。美味しい」
(みるな、見るな、みるな、見るな)
アルフレードは強く、肉を噛み潰した。
(……)
アルフレードはストレスを感じると、仕草に出る。今は周囲の目線から逃れようと背中を向けているのを彼女は見抜いていたあ。それが、自分を隠す壁になろうという本心までは見抜けなかったが。
(よし)
これでは本当の意味では楽しい夜会を過ごせないと、アンジュは一工夫することにした。
「のど、乾いたな」
「飲み物貰ってくる。アルコール?」
「うん。お願い」
アンジュが喉の渇きを訴えると、アルフレードは足早に飲み物を取りに行く。並ぶ中から、ベリー系の酸味の強い果実酒を選ぶ。鳥の脂で満たされた口の中をさっぱりと直してくれるに違いない。
アルフレードは2つグラスを受け取り、婚約屋の元へと戻ろうとした。
その時。
「ねぇ、アルフレード」
後ろから、小さな声でアンジュに名前を呼ばれた。振り返ると彼女右手でグラスを受け取り、左手でアルフレードの手に触れると、ゆっくり、後ろの薄暗い廊下へ導いていく。
「アンジュ?」
輝くような笑顔ではなく、一滴影を落とし、溶け込ませた妖しい微笑みに、アルフレードの心臓は大きく鳴る。
婚約者に手を引かれるままに、彼は廊下に足を踏み入れた。