シンデレラ・スキャンダル
 そして、わたしは最後の仕事として、社長車の見送りのために、黒塗りの車の傍に立った。身に纏ったタイトスカートとジャケットの感触が、いつもの日常と、もうすぐ終わる非日常の境界線を教えてくれるようだった。

「社長、ありがとうございました」

 深く、心を込めて頭を下げる。この数年間、わたしは鳥飼社長の傍で多くを学んだ。仕事の厳しさ、喜び、そして、一人の人間としての温かさも。

「松嶋さんも、今まで本当にありがとう」

 後部座席の窓がスライドし、社長の穏やかな笑顔が見えた。社長の優しい声に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。これが最後なのだ、と改めて実感した。

 隣では、奥様の小百合さんが優しく微笑んでいる。

「綾乃ちゃん、お疲れ様。また一緒にお料理しましょうね」

「はい。またお邪魔させてください」

 車内の社長は、わたしと小百合さんのやり取りを、どこか微笑ましげに見つめている。

「じゃあ、みんなもお疲れ様。ありがとう」

 社長の言葉を合図に、黒塗りの高級車は、静かに、しかし威厳をもってゆっくりと発進する。エンジンの振動が足元から伝わり、ゆっくりと遠ざかっていく。わたしは、いつものように、いや、いつも以上に心を込めて、車が見えなくなるまで深く頭を下げた。

 ざらついたアスファルトの上で、ヒールが立てる微かな音だけが、耳に残る。一呼吸置き、ゆっくりと頭を上げた。空は、今日の別れを惜しむかのように、少しだけ雲が薄くかかっている。いつもどおり、もう社長車は見えなくなっていた。街の喧騒の中に、その黒い塊はあっという間に溶け込んでしまったのだ。

 これで、本当に終わった。鳥飼社長の秘書としての、わたしの仕事が。
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