シンデレラ・スキャンダル
 ガラスドアを抜けた先、コーヒーショップの前に、いつものネイビーのストライプスーツを身にまとった卓也が立っている。右手をポケットに入れたまま、もう片方の手をわずかにこちらに向けて上げてみせる。

「綾乃」

 低い声でわたしの名前を呼ぶ。その響きに、もう心がざわつかないことに、微かな安堵を覚えて、ふっと小さく息をもらす。

「久しぶり」

「ああ、焼けたな。ハワイどうだった?」

 顔色の変化を確かめるように見てくるその視線に、かつてなら動揺していただろう。だけど、今のわたしは、もう揺らがない。

「楽しかったよ。卓也こそ日焼けしてない?」

「プーケットに行ったんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしは無意識に奥歯を噛み締めた。いつものように、鋭い痛みが胸を刺すのを待ったから。

(あれ……?)

 けれど。 痛みは、来なかった。まるで、他人の天気の話を聞いているみたいに、心がシーンと静まり返っている。拍子抜けするほど軽い。

「よかったね」

 わたしの唇は勝手に動いて、ただその言葉をなんの感情もなく紡いだ。
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