シンデレラ・スキャンダル
 卓也の後ろを、秘書として背筋をピンと伸ばして歩く。すぐに大理石の受付カウンターが現れ、鋭い目つきの警備員たちが周囲を警戒している。

 卓也は、まるで自分の自宅に帰ってきたかのように慣れた様子で、受付の女性に近づいた。女性は卓也の顔を見るやいなや、無言で、しかし(うやうや)しく、一枚の用紙を差し出す。その流れるようなやり取りから、彼がこのビルにとってどれほど重要な人物であるかが(うかが)い知れた。

 紙を受け取った卓也は、わたしに視線を投げた。

「綾乃、名前と連絡先書いて」

「ええ」

 記入し終わった用紙と引き換えに、受付の女性から磁気式のセキュリティカードを受け取った、まさにその時だった。

 受付カウンターに並ぶ、もう一人の若い女性が、わたしに、いや、正確にはわたしの隣に立つ卓也に、強い、ねっとりとした眼差しを向けていることに気付いた。なぜだか、その子はわたしの方に視線を移すと、こちらをじっと見つめたまま、ゆっくりと唇の端を引き上げ、艶のある声で「田辺さん」と声をかけた。

「プーケットに連れて行ってくださってありがとうございました。本当に素敵な思い出になりました。また、ぜひ連れて行ってくださいね」

 その視線の先は、わたしのまま。でも、もちろん、わたしに話しかけているはずもなく。

「ああ、またね」

 卓也は、その女性に一瞥すら与えず、その短い言葉には、特別な感情も配慮もない。その冷たい対応に彼女は一瞬顔を曇らせたが、すぐに元の表情に戻った。

 彼女の必死な笑顔を見て、胸がちくりと痛む。ほんの少し前の自分が、そこにいる。男の僅かな関心を引くために、プライドを捨てて……いや、プライドを捨てる感覚さえなく、ただ全てを受け入れていた自分。

「綾乃、こっち」

 背中に添えられた手。 以前なら誇らしく感じたその重みが、今はただの枷《かせ》のように重苦しくて、思わず身をよじった。

「卓也、前行って」

 わたしは、手を軽く振り払い、先を歩くように促した。

「え? ああ」

 卓也は一瞬戸惑った様子を見せたが、わたしの前を歩き出す。彼の背中を見ながら、わたしは皮肉を込めて問いかけた。
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