シンデレラ・スキャンダル
◇
時計を見れば、ちょうど午前〇時を回ったところだった。足早にシャワーブースに入り、冷たいコックをひねった。まだ熱くなりきっていない水が、火照った肌にじんわりと沁み渡る。
胸の中は、まるで嵐の後の海のように、ずっと騒がしい。そして、言いようのない罪悪感にも似た感情が、渦を巻いている。そのざわめきは、冷たいシャワーを頭から浴びても、決して鎮まらない。瞼の裏に焼き付いた、あの温かいオレンジ色の夕陽。それが眩しすぎて、わたしは思わず目を覆った。その光の強さが、胸の中に眠る別の記憶を呼び覚ます。
あれは一ヶ月前。 高級レストランのシャンデリアの灯りを受けて揺らめく、硬質な光。
◇◇◇
一か月前——。
目の前に差し出された光を纏うネックレス。滑らかな白銀のチェーンの先にあるのは、集めた光を煌びやかに放つ無色透明の石。
「近藤さん、ありがとうございます」
「いえ、綾乃さんに似合うと思って。ロンドン土産っぽくもないですけど」
「とっても嬉しいです」
裏返された弁護士バッジが、目の前に座る男の左襟で光っている。そもそも、その金色の物体がなければ、わたしはこの男と会っていない。この男が四大法律事務所に所属している弁護士じゃなければ、わたしは連絡をとっていない。
自分でもどうしてこんな芸当ができるのかと不思議に思うけれど、高くどこか頼りない声が自分の口から次々に零れ落ちていく。こんなに感情のない声なのに、男たちは嬉しそうに笑うのだ。
「こんなに綺麗な方と一緒にいると、目立ちますね」
「近藤さん、本当にお上手ですね」
「綾乃さんといると周りの男性からすごく見られているのがわかりますよ。今だってレストランに入ってくる男性がみんな、あなたを見ている」
口角を少しだけ上げて視線をテーブルに落とせば、男から聞こえてくる深く小さなため息。わたしは知っている。それが感嘆の溜息だと。わたしに言い寄る男は、結局こういうものを望んでいる。清楚で、可憐で、おとなしい。だから、それを演じて見せるだけ。
この男が終われば、次の男。次の男が終われば、また次の男。1日に二件、三件と掛け持つのは当たり前。全てを絵空事のような会話で済ませれば、手にする袋は増えていく。駅のコインロッカーの前に立ち、再びその扉を開ける。手に持つ袋をまた奥へ奥へと押し込んで。
「ま、だ……はいるっと」
無機質な鉄製の箱の中。有名ブランドの袋が押し込められた、異様な空間ができあがる。
「綾乃さん、この後、僕の家で飲み直しませんか?」
「お家に?」
「はい。いいワインを手に入れたんです。ぜひ、綾乃さんにと。赤坂ですから、遠くないですし」
「あの、ごめんなさい。お家にお邪魔するのはまだ……結婚を前提にしないと、そういうのはやっぱり」
「も、もちろん結婚を前提に考えています。綾乃さんさえ良ければ、すぐにご挨拶して婚約だって——」
テーブルの上、男性にしては華奢な白い手に自分の手を添える。そうすれば、ひゅっと音が聞こえる。文字通り、言葉をのみ込んだみたい。
「あ、綾乃さん」
「嬉しいです。そんな風に考えてくださって。でも、今日は帰りますね。気持ちの準備ができたら……そのときに」
ここで間をあける。考えることなく、こうすることができるのは、上手くいくことを知っているから。
「……お邪魔してもいいですか?」
「はっ、はい!」
ほら、今日もやっぱり絵空事。どうせ、男だって綺麗な顔と体を持つ女を連れて見せたいだけでしょう。自分はこんな女を連れて歩ける男なのだと、周りに誇示したいだけでしょう。
自慢できるようなモノであれば、わたしじゃなくてもいい。いわば、アクセサリー。そういう扱いには慣れている。むしろ、そういう扱いでいい。愛なんて儚いものの方がよっぽど信じられない。
化粧室に立ち、携帯電話を見れば、いつもどおりのメッセージが並ぶ。男たちから送られてくるメッセージはいつだって同じ。仕事のメールのように事務的に定型文を返すわたしは、どこかずっと空っぽのまま。空っぽだとわかっているから、それを埋めるように意味のない出会いばかりを繰り返して、男たちの賞賛の言葉で隙間を埋める。
時計を見れば、ちょうど午前〇時を回ったところだった。足早にシャワーブースに入り、冷たいコックをひねった。まだ熱くなりきっていない水が、火照った肌にじんわりと沁み渡る。
胸の中は、まるで嵐の後の海のように、ずっと騒がしい。そして、言いようのない罪悪感にも似た感情が、渦を巻いている。そのざわめきは、冷たいシャワーを頭から浴びても、決して鎮まらない。瞼の裏に焼き付いた、あの温かいオレンジ色の夕陽。それが眩しすぎて、わたしは思わず目を覆った。その光の強さが、胸の中に眠る別の記憶を呼び覚ます。
あれは一ヶ月前。 高級レストランのシャンデリアの灯りを受けて揺らめく、硬質な光。
◇◇◇
一か月前——。
目の前に差し出された光を纏うネックレス。滑らかな白銀のチェーンの先にあるのは、集めた光を煌びやかに放つ無色透明の石。
「近藤さん、ありがとうございます」
「いえ、綾乃さんに似合うと思って。ロンドン土産っぽくもないですけど」
「とっても嬉しいです」
裏返された弁護士バッジが、目の前に座る男の左襟で光っている。そもそも、その金色の物体がなければ、わたしはこの男と会っていない。この男が四大法律事務所に所属している弁護士じゃなければ、わたしは連絡をとっていない。
自分でもどうしてこんな芸当ができるのかと不思議に思うけれど、高くどこか頼りない声が自分の口から次々に零れ落ちていく。こんなに感情のない声なのに、男たちは嬉しそうに笑うのだ。
「こんなに綺麗な方と一緒にいると、目立ちますね」
「近藤さん、本当にお上手ですね」
「綾乃さんといると周りの男性からすごく見られているのがわかりますよ。今だってレストランに入ってくる男性がみんな、あなたを見ている」
口角を少しだけ上げて視線をテーブルに落とせば、男から聞こえてくる深く小さなため息。わたしは知っている。それが感嘆の溜息だと。わたしに言い寄る男は、結局こういうものを望んでいる。清楚で、可憐で、おとなしい。だから、それを演じて見せるだけ。
この男が終われば、次の男。次の男が終われば、また次の男。1日に二件、三件と掛け持つのは当たり前。全てを絵空事のような会話で済ませれば、手にする袋は増えていく。駅のコインロッカーの前に立ち、再びその扉を開ける。手に持つ袋をまた奥へ奥へと押し込んで。
「ま、だ……はいるっと」
無機質な鉄製の箱の中。有名ブランドの袋が押し込められた、異様な空間ができあがる。
「綾乃さん、この後、僕の家で飲み直しませんか?」
「お家に?」
「はい。いいワインを手に入れたんです。ぜひ、綾乃さんにと。赤坂ですから、遠くないですし」
「あの、ごめんなさい。お家にお邪魔するのはまだ……結婚を前提にしないと、そういうのはやっぱり」
「も、もちろん結婚を前提に考えています。綾乃さんさえ良ければ、すぐにご挨拶して婚約だって——」
テーブルの上、男性にしては華奢な白い手に自分の手を添える。そうすれば、ひゅっと音が聞こえる。文字通り、言葉をのみ込んだみたい。
「あ、綾乃さん」
「嬉しいです。そんな風に考えてくださって。でも、今日は帰りますね。気持ちの準備ができたら……そのときに」
ここで間をあける。考えることなく、こうすることができるのは、上手くいくことを知っているから。
「……お邪魔してもいいですか?」
「はっ、はい!」
ほら、今日もやっぱり絵空事。どうせ、男だって綺麗な顔と体を持つ女を連れて見せたいだけでしょう。自分はこんな女を連れて歩ける男なのだと、周りに誇示したいだけでしょう。
自慢できるようなモノであれば、わたしじゃなくてもいい。いわば、アクセサリー。そういう扱いには慣れている。むしろ、そういう扱いでいい。愛なんて儚いものの方がよっぽど信じられない。
化粧室に立ち、携帯電話を見れば、いつもどおりのメッセージが並ぶ。男たちから送られてくるメッセージはいつだって同じ。仕事のメールのように事務的に定型文を返すわたしは、どこかずっと空っぽのまま。空っぽだとわかっているから、それを埋めるように意味のない出会いばかりを繰り返して、男たちの賞賛の言葉で隙間を埋める。