シンデレラ・スキャンダル
◇
身支度を終えて、重い足取りで窓際に向かうと、真っ暗な海を眺めた。窓の外は、ただ暗闇が広がっていて、優しい波の音が聞こえる。目を閉じずとも、見つめる先で今日のサンセットが蘇った。龍介さんの横顔、リサの温もり、眩いオレンジ色の光。
携帯電話に手を伸ばし、龍介さんの連絡先を表示させようと操作した瞬間、彼の名前が自動的に表示される。それが電話の着信だと理解するまでに数秒かかり、慌てて通話ボタンを押す。
「……は、はい」
ひっくり返ったわたしの声を聞いて、龍介さんが電話の向こうで笑っている。
いつもなら、息をするように自然に出てくる「甘えた声」。それが、どうしても喉の奥で引っかかって出てこない。演じなきゃ。いつものように、男が喜ぶ完璧な女を。そう頭では分かっているのに、携帯電話を持つ手が微かに震えている。
(なに、これ……)
次の言葉を一生懸命探すけれど、頭の中にはなにも浮かばない。
「綾乃ちゃん、寝るとこだった?」
少しだけ震えそうになる声を悟られないように、心臓が静まるように、胸に手をあてる。
「あ、いえ。海を、見てて……」
「そう……海、見える?」
「…………真っ暗です」
素直にそう答えると、電話の向こうで笑顔が弾けるのがわかった。
「はは、だよね」
彼の笑い声が、耳元で優しく響く。たったそれだけのことで、心の奥底に沈んでいた不安や孤独が、少しずつ溶けていく。
「眠れそう?」
飛行機でそんなにしっかり眠ったわけじゃないから眠いはずなのに、胸が高鳴って、騒いで、眠れそうな気がしない。
「……がんばります」
「はは、頑張るの?」
「ふふ、頑張って寝ます」
「うん、そっか。一人で大丈夫そう? 寂しくない?」
「龍介さん、心配性ですね」
「あんまり放っておけるタイプじゃないよね」
「龍介さんには初めに情けないところを見られているから、甘えちゃってるのかもしれないですね」
「そんなことないよ。俺だって高所恐怖症だから、高いところは怖いよ」
「高いところって。もう」
電話から聞こえてくる彼の笑い声が心地いい。低くて、でも透き通っているその声。耳元で穏やかに広がるその声に微睡むように、自然とわたしは目を閉じていた。
「ごめんね。遅いのに電話して」
「いえ、嬉しいです。龍介さんの声が聴けて……」
そこまで言ってしまってから、我に返る。少女漫画のような台詞を発した自分にどれだけロマンチストなのかと驚きを隠せずに、その後の言葉が続かない。
「あ、あの」
「俺も……声、聴きたかった」
照れもせずにそう穏やかな声で囁ける彼は、わたしよりもずっとロマンチストなのかもしれない。走り出してしまいそうな気持ちが怖い。落ちてしまいそうな自分が怖い。短く息を吸い込んで、彼に聞こえないように吐き出した。
「そ、そろそろ寝ますね」
「ああ、そうだよね」
「龍介さん、今日は本当にありがとうございました」
「……全然」
「……あの、それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ。また明後日」
通話を終えた後も、まるで魔法の言葉のように、その響きから逃れられない。わたしは、無理矢理ベッドに潜り込んで目を閉じた。
身支度を終えて、重い足取りで窓際に向かうと、真っ暗な海を眺めた。窓の外は、ただ暗闇が広がっていて、優しい波の音が聞こえる。目を閉じずとも、見つめる先で今日のサンセットが蘇った。龍介さんの横顔、リサの温もり、眩いオレンジ色の光。
携帯電話に手を伸ばし、龍介さんの連絡先を表示させようと操作した瞬間、彼の名前が自動的に表示される。それが電話の着信だと理解するまでに数秒かかり、慌てて通話ボタンを押す。
「……は、はい」
ひっくり返ったわたしの声を聞いて、龍介さんが電話の向こうで笑っている。
いつもなら、息をするように自然に出てくる「甘えた声」。それが、どうしても喉の奥で引っかかって出てこない。演じなきゃ。いつものように、男が喜ぶ完璧な女を。そう頭では分かっているのに、携帯電話を持つ手が微かに震えている。
(なに、これ……)
次の言葉を一生懸命探すけれど、頭の中にはなにも浮かばない。
「綾乃ちゃん、寝るとこだった?」
少しだけ震えそうになる声を悟られないように、心臓が静まるように、胸に手をあてる。
「あ、いえ。海を、見てて……」
「そう……海、見える?」
「…………真っ暗です」
素直にそう答えると、電話の向こうで笑顔が弾けるのがわかった。
「はは、だよね」
彼の笑い声が、耳元で優しく響く。たったそれだけのことで、心の奥底に沈んでいた不安や孤独が、少しずつ溶けていく。
「眠れそう?」
飛行機でそんなにしっかり眠ったわけじゃないから眠いはずなのに、胸が高鳴って、騒いで、眠れそうな気がしない。
「……がんばります」
「はは、頑張るの?」
「ふふ、頑張って寝ます」
「うん、そっか。一人で大丈夫そう? 寂しくない?」
「龍介さん、心配性ですね」
「あんまり放っておけるタイプじゃないよね」
「龍介さんには初めに情けないところを見られているから、甘えちゃってるのかもしれないですね」
「そんなことないよ。俺だって高所恐怖症だから、高いところは怖いよ」
「高いところって。もう」
電話から聞こえてくる彼の笑い声が心地いい。低くて、でも透き通っているその声。耳元で穏やかに広がるその声に微睡むように、自然とわたしは目を閉じていた。
「ごめんね。遅いのに電話して」
「いえ、嬉しいです。龍介さんの声が聴けて……」
そこまで言ってしまってから、我に返る。少女漫画のような台詞を発した自分にどれだけロマンチストなのかと驚きを隠せずに、その後の言葉が続かない。
「あ、あの」
「俺も……声、聴きたかった」
照れもせずにそう穏やかな声で囁ける彼は、わたしよりもずっとロマンチストなのかもしれない。走り出してしまいそうな気持ちが怖い。落ちてしまいそうな自分が怖い。短く息を吸い込んで、彼に聞こえないように吐き出した。
「そ、そろそろ寝ますね」
「ああ、そうだよね」
「龍介さん、今日は本当にありがとうございました」
「……全然」
「……あの、それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ。また明後日」
通話を終えた後も、まるで魔法の言葉のように、その響きから逃れられない。わたしは、無理矢理ベッドに潜り込んで目を閉じた。