シンデレラ・スキャンダル
それにしても一緒に住むというのなら、やはり結婚ということになるのだろうか。
「卓也、一緒に住むならパパに言わないと。わたしたち……」
「それは、三か月後にしよう」
「三か月?」
「ああ、色々準備があるんだよ。やらなきゃいけないこととか」
「準備って何を……」
「まあ、いいじゃん。そうだ、綾乃、住所教えておいて」
本当に人の話を聞かない人。わたしの疑問や不安なんて、卓也はいつもお構い無し。
「住所? 何かに必要なの?」
「一緒に住む準備にね」
三か月の準備期間に疑問を抱きながらも、卓也の嬉しそうな顔にわたしはそれ以上深く考えることもなく漠然と結婚を夢見た。そして仕事を辞めて家にいてほしいと言う卓也に、迷いながらも頷いた。好きな人が望むなら、それに寄り添いたかったから。
二十五歳。企業受付を続けられるのも、三十歳ごろまでだろう。卓也と出会い、結婚して子供を産む。そんな人生もいいかもしれない。
そう、思ったのに。卓也はいつだって卓也。
一緒に住もうと言われてから三か月。卓也が言っていた三か月という期間が経つはずなのに、わたしはいまだに家を知らない。そうこうしているうちに、会社を辞める日がきて、退職したわたしに卓也は普通に問いかけた。
「そうだ。綾乃、次の仕事どうするの?」
「……え?」
「仕事。考えてないの? ま、休憩するのもいいんじゃない? でも、転職先については考えておいたほうがいいよ」
「……卓也? あの、仕事辞めてって言っていたよね。家にいてほしいって。一緒に住もうって」
「あぁ、あの時はね」
「三か月後にって」
「一緒に住むのはやめるよ。ああ、それともし期待してたら申し訳ないから先に言うけど、結婚はないから」
「やめるよって……」
「色々考えたんだよ、俺も」
「卓也……わたし、会社辞めたのよ」
「会社って……はは。たかが受付嬢の仕事だろ」
仕事を辞めて欲しいと、一緒にいたいと言った男と目の前の男は同じ人間だろうか。なんでもないことのように言い放ったその男を、わたしはぼんやりと視界に映した。唇がまるで緩慢に動いて、それが得体の知れない生物のようで酷く不快だった。
何も言葉を発することのないわたしを見ることもなく、卓也は携帯電話を手にして仕事のときと同じように冷たい口調で続ける。
「綾乃ってさ、少し世間知らずだよね。見た目は清純で品があって……育ちが良さげっていうの? 貧乏人の家の子でも綾乃みたいになるんだな」
「え、家? お兄ちゃんのこと?」
「まさかだよ」
「いきなりなに……」
「綾乃、お兄さんの行方とか何も知らないの?」
「え?」
卓也は、自分で聞いてきたくせに、わたしの顔を見てどこか居心地が悪そうにして視線を逸らした。
「まあ、知らない方がいいか」
「卓也、何か」
「いや、改めて思っただけ」
卓也から見れば、大半の家庭が貧乏人の家だろう。でも、わたしが気になったのはそこじゃなかった。脈絡があるようで、ないこの会話は、何かを言いたくて、でも言えない、そんな気持ちがあることを暗に示していた。
そして、その後、初めてぶつかったメールでわたしたちの関係は終わりを告げる。二年間一緒に過ごしたはずだけれど、きちんと会って別れることもなく卓也は去っていく。
泣かれたら面倒だから会いたくないと送られてきたメッセージはわたしを黙らせるには十分だった。わたしは、卓也にとってそれほどの存在になってしまったのだ。そして、卓也は更に続けた。
「綾乃と似た顔と体の女は金があればいくらでも手に入る。もっと、ちゃんとした家の女が」
鋭利な刃物のように、心臓を抉ってくる。苦しい、そう感じて、はじめて息を忘れていたことに気づいた。
(——金で、手に入る)
わたしの価値は、「顔と体」。それも、金で買える程度の。目の前がぐらりと歪み、わたしは、文字通りそのまま床に崩れ落ちた。
「卓也、一緒に住むならパパに言わないと。わたしたち……」
「それは、三か月後にしよう」
「三か月?」
「ああ、色々準備があるんだよ。やらなきゃいけないこととか」
「準備って何を……」
「まあ、いいじゃん。そうだ、綾乃、住所教えておいて」
本当に人の話を聞かない人。わたしの疑問や不安なんて、卓也はいつもお構い無し。
「住所? 何かに必要なの?」
「一緒に住む準備にね」
三か月の準備期間に疑問を抱きながらも、卓也の嬉しそうな顔にわたしはそれ以上深く考えることもなく漠然と結婚を夢見た。そして仕事を辞めて家にいてほしいと言う卓也に、迷いながらも頷いた。好きな人が望むなら、それに寄り添いたかったから。
二十五歳。企業受付を続けられるのも、三十歳ごろまでだろう。卓也と出会い、結婚して子供を産む。そんな人生もいいかもしれない。
そう、思ったのに。卓也はいつだって卓也。
一緒に住もうと言われてから三か月。卓也が言っていた三か月という期間が経つはずなのに、わたしはいまだに家を知らない。そうこうしているうちに、会社を辞める日がきて、退職したわたしに卓也は普通に問いかけた。
「そうだ。綾乃、次の仕事どうするの?」
「……え?」
「仕事。考えてないの? ま、休憩するのもいいんじゃない? でも、転職先については考えておいたほうがいいよ」
「……卓也? あの、仕事辞めてって言っていたよね。家にいてほしいって。一緒に住もうって」
「あぁ、あの時はね」
「三か月後にって」
「一緒に住むのはやめるよ。ああ、それともし期待してたら申し訳ないから先に言うけど、結婚はないから」
「やめるよって……」
「色々考えたんだよ、俺も」
「卓也……わたし、会社辞めたのよ」
「会社って……はは。たかが受付嬢の仕事だろ」
仕事を辞めて欲しいと、一緒にいたいと言った男と目の前の男は同じ人間だろうか。なんでもないことのように言い放ったその男を、わたしはぼんやりと視界に映した。唇がまるで緩慢に動いて、それが得体の知れない生物のようで酷く不快だった。
何も言葉を発することのないわたしを見ることもなく、卓也は携帯電話を手にして仕事のときと同じように冷たい口調で続ける。
「綾乃ってさ、少し世間知らずだよね。見た目は清純で品があって……育ちが良さげっていうの? 貧乏人の家の子でも綾乃みたいになるんだな」
「え、家? お兄ちゃんのこと?」
「まさかだよ」
「いきなりなに……」
「綾乃、お兄さんの行方とか何も知らないの?」
「え?」
卓也は、自分で聞いてきたくせに、わたしの顔を見てどこか居心地が悪そうにして視線を逸らした。
「まあ、知らない方がいいか」
「卓也、何か」
「いや、改めて思っただけ」
卓也から見れば、大半の家庭が貧乏人の家だろう。でも、わたしが気になったのはそこじゃなかった。脈絡があるようで、ないこの会話は、何かを言いたくて、でも言えない、そんな気持ちがあることを暗に示していた。
そして、その後、初めてぶつかったメールでわたしたちの関係は終わりを告げる。二年間一緒に過ごしたはずだけれど、きちんと会って別れることもなく卓也は去っていく。
泣かれたら面倒だから会いたくないと送られてきたメッセージはわたしを黙らせるには十分だった。わたしは、卓也にとってそれほどの存在になってしまったのだ。そして、卓也は更に続けた。
「綾乃と似た顔と体の女は金があればいくらでも手に入る。もっと、ちゃんとした家の女が」
鋭利な刃物のように、心臓を抉ってくる。苦しい、そう感じて、はじめて息を忘れていたことに気づいた。
(——金で、手に入る)
わたしの価値は、「顔と体」。それも、金で買える程度の。目の前がぐらりと歪み、わたしは、文字通りそのまま床に崩れ落ちた。