真珠な令嬢はダイヤモンドな御曹司と踊る
 社長が客席のテーブルの間を縫って歩く。ダンスフロア近くのテーブルにノア・シュミット氏はいた。白髪で目がブルーで六十代後半だろうか。やせ型で少し皺のよった額は彼が厳格な人物であることを物語っているようだった。
 社長はドイツ語で私のことを妻だと紹介し、シュミット氏と話し込んでいる。
 シュミット氏は最初の方こそ眉間に皺を寄せて気難しそうな顔をしていたが社長の言葉を聞いている内にだんだん表情が変ってきた。
 ゆっくり頬の筋肉が緩んでいき、最終的にはにっこりと微笑んだ。
 次の瞬間、社長が「本当に?」と日本語で叫んだ。
 その後早口のドイツ語でシュミット氏に話しかける。
 最後にはシュミット氏と固い握手を交わしていた。
 これってもしかして......。

 シュミット氏との話が終わり、私と社長がお辞儀してその場を去った。フロアの外れの人気のないところに行くと社長に抱きしめられた。
 そして社長が叫んだ。
「やったよ。文香!シュミット氏がジュエリーブラッドにアウイナイトの大粒を売ってくれるそうだ。大成功だよ!俺たちのワルツは大成功だったんだ!!」
「ほ、本当に.....?」
 私は嬉しいのと信じられないのが半々でぼんやりしてしまった。社長が本当に喜んでいるのがわかってじわじわと喜びを実感し始める。
 社長によると、シュミット氏は最初こそ「またお前か」みたいな反応だったそうだ。でも私が妻でこの二か月必死に練習してワルツを踊ったことに感心したらしい。
 最終的には「君の情熱に負けたよ。商談に応じよう。日本でアウイナイトを売るといい」と言ってくれたそうだ。
 成功した。成功したんだ。社長の役に立てた......!
 私は気が抜けてかくん、と腰が抜けそうになる。社長が慌ててそれを腕で支えてくれる。
「嘘みたい......」
 私が呟くと社長も「俺も信じられないよ」と笑顔だった。
「またこんなところでいちゃついてる」
 きつめの声が飛んできて、私ははっと振り返った。
 そうだ、今回の功労者がもう一人いたんだった。
「ひめかさん、ドレスありがとうございました。おかげで商談が成立しました」
 ふーん、とどうでもいいようにひめかさんは言った。
 着てきたラベンダー色のドレスが裂けてしまってどうしようとなった時、声をかけてくれたのはあの財閥令嬢雨宮ひめかさんだった。
 ひめかさんはなんと新婚旅行でドイツに来ていてこの舞踏会に参加していたのだ。私と社長は社運がかかっているワルツの話をした。そうしたらひめかさんは日本から持参していたロングドレスをホテルから持ってくるようご主人に頼んでくれたのだった。
 私はひめかさんから借りた薄いピンクのドレスで踊ることができたのだった。
「まあ河原真珠のおかげでダーリンと知り合ったみたいなものだから」
 ワイングラス片手にひめかさんは微笑んだ。
 これもびっくりした話なのだが。ひめかさんはあるパーティに河原真珠で買ったピンクパール一式を身に着けて行ったら今のご主人に
「その真珠とてもよく似合ってますね」
 と言われたらしい。それで気をよくして「ええ誕生石なんです」と話こんだのが交際のきっかけだったそうだ。交際はすぐに結婚へと発展した。年末に式をあげ、ヨーロッパをめぐる新婚旅行で今ドイツにいるというわけだ。
 ひめかさんは今まで会った中で一番幸せそうだった。なんというかもうオーラが違う。あんなに高慢ちきテイストだったのに今ではほんのりいい人そうな気配すらある。きっと旦那様の影響に違いない。素敵な結婚ってこんなにあからさまにわかっちゃうものなんだ。
私は感心せずにはいられない。
 私は借りたロングドレスは日本に帰国して雨宮家に送る約束をした。
 ひめかさんはご主人がいかに自分を愛しているかを力説して日本語でのろけたかったの、と笑った。
「一生を添い遂げられる運命の相手と会えてよかったですね」
 相槌を打って聞いていた社長がそう言った。社長もひめかさんが幸せそうで嬉しいのだろう。それはいいのだけど...私はふと、気になってしまった。
 ワルツを踊って商談が成立した喜びで忘れていたけれど。
 私と社長の関係性は何も変らないのだ。
 契約結婚だから今年の秋にお別れする事だってあり得る。
 一生を添い遂げるって私には遠い言葉なんだな......
「文香。疲れたのか?」
 私がちょっと暗い顔をしたのがいけなかった。社長が気遣って声をかけてくれる。ひめかさんはご主人が待っている自分達のテーブルに戻って行った。
 確かに少し疲れていた。ワルツを踊るための緊張が解けたのと身体のつかれを一気に感じている。社長と予定通りホテルに帰ることにした。クロークでバッグとコートを受け取り二人でタクシーに乗った。
 タクシーの後部座席でうとうとしながら窓の外の景色を眺める。
 あれ……なんか来た時に見た景色と違うような。
 しばらくしてタクシーは止まった。
 降りると冬の冷たい風を感じてコートの前を合わせる。暗いが明らかに昨日私と社長が泊まったホテルじゃないことに気づく。ライトアップされた建物は歴史を感じさせる。メルヘンチックというのかいかにもドイツ風の可愛い建物だ。
「社長、ここは......?」
「アイゼンフットホテル。ドイツの古城のホテルだよ」
 ええっ、と声をあげた。こじょうってお城ってことよね?!
「もともとは貴族の邸宅だったのをホテルにしてあるんだ。ドイツに来てせっかくだから予約しておいた。荷物ももう部屋に運んであるよ」
 口をぽかんと開けてしまった。
 これはいわゆるサプライズというものでは。
「あの......嬉しくて言葉になりません」
 昨日のホテルでも十分素敵だったのに。今夜はお城に泊まれるなんて。なんとロマンティックなことだろう。
「そうか。文香は真珠のようなあっさりした美が好きだからどうかな、と心配してたんだが大丈夫だったみたいだな」
 社長が嬉しそうに顔を綻ばせる。
 私は社長に連れられてホテルアイゼンフットに入って行った。ロビーを一望しただけでとっても素敵だった。凝った織物の椅子に飴色の調度品。もう中世期にタイムスリップしたかのように思える。少し暗い廊下を歩き予約してある客室へと行く。
「少し段差があるから気を付けて」
 そうささやかれてたどり着いた部屋はとても広かった。リビングがあり猫足で高級感のあるふっくらしたソファもある。こんな所でお茶を飲んでみたいと思わせるクラシカルな内装だ。
「広いんですね」
 何から褒めていいかわからずそう呟く。
「ああ。スイートだからね」
 思わず目をむいたけれど、社長は気軽にコートを脱ぎ、寛ごうとしている。
「ルームサービスで夕食を取ろう。疲れてるから店に行くよりいいだろう?」
「は、はい」
 私と社長は順にシャワーを浴びてから夕食を取った。夕食もこのホテルの歴史を感じさせる美味しさで素晴らしかった。ドイツ風カツレツのシュニッツェルを社長は気に入って嬉しそうにしている。
 食器を下げてもらってからワインを楽しむことにした。この地方のワインだ。
「辛口で美味いな」
 いつも笑みを絶やさない人だけれど、今日の社長はものすごく機嫌がよかった。
 私はそんな社長を独り占めできて嬉しい。昨日からずうっと二人でいる。好きな人と踊ってこんな素敵なホテルに泊まれる。人生の嬉しいことがいっぺんにやってきたみたいだ。
 ふふっと声を出して笑ってしまった。
「どうした?」
「社長とずっと一緒だなあ、と思って……」
 ワインのせいか口が軽くなっている。普段口にしないこともできてしまう。
「文香、こっちに座って」
 私は社長と向かい合わせで座っていた。社長のソファは長椅子になっていたので並んで座れる。私は少しドキドキしながら社長の隣に座った。
 社長は私のグラスにワインを注ぎ足し言った。
「昨日、飛行機に乗ってる時に映画を観てたんだ」
 きっと私が眠っていた間のことだ。
「主人公が失恋して友達に言われるんだ。お前はもう人を愛しちゃダメだって。その台詞を聞いた時に感じたんだ。人を愛してはいけない、というのはなんて辛い試練だろうって」
 私は社長が何を言いたいのかわからずワインを口にした。
「愛している人がいるのに愛してはいけないんだ。その人がどうすれば喜ぶのか嬉しがるのか笑顔になるのか、それをいつ何時でも考えてしまうのに、それをしてはいけないと言われたら。やっぱり辛いと思う」
 社長はグラスの中のワインを少し揺らした。
「そして文香の事を思った。文香を喜ばせたり笑わせたりできなくなって。文香の笑顔が見れなくなったら俺は心に穴が開いたようにつらいだろうと思った」
 私はそっとワイングラスをテーブルに置いた。
「俺は母に育てられた母子家庭だったから家族というイメージがよくわからない。でも、その時気づいたんだ。どれだけ相手を嬉しがらせても喜ばせてもいい。どれだけ気をかけてもいい。天井知らずに心を尽くすことができる。それが家族なんだ」
 社長もワイングラスをテーブルに置いた。
「そして今、俺には文香がいる。俺は初めて人と家族になりたいと思った。それが文香なんだ」
 社長は私の方へ身体を向けて私の手を握った。
「俺はいつだって君を笑顔にしたい。知らないだろう。文香の笑顔は最高なんだよ」
 握られた手の指が絡み合う。
 私は社長の言葉にぼうっとなっていた。とても嬉しいことを言ってもらえている。わかっているけれど、嬉しさのあまりなんて返事していいのかわからない。
「俺は君に言っていないことがある」
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