王位を継いだら最強でした~17歳の末姫が、王位に就いたら国が救われたようです~

第12話 秤を持つ者の選択

春の終わり、王都に緊急の報せが届いた。
隣国スレイヴェンとルクス・アルト公国の国境地帯で、複数の武装集団が衝突。瞬く間に小規模戦闘が発生し、国境警備隊の一部が壊滅したという。

それは一通の書簡から始まった。スレイヴェンの国境都市ザールから届いた封蝋の乱れた緊急信。
「燃えている。国境が、家屋が、補給路が。すべてが混乱の中にある」

わずか三行の文面は、装飾も印影もない粗末な羊皮紙に書かれていた。だが、それが伝える切迫と絶望はどんな長文より雄弁だった。

その日から、王国中枢では情報の波が次々に押し寄せた。
魔導通信網には断続的に送られてくる映像と音声。ルクス・アルト在住の王国留学生が送ったものには、黒煙に包まれた住宅地、逃げ惑う市民、打ち捨てられた学び舎の門──そして瓦礫の上に転がる教科書の一冊が映し出されていた。
風にめくられたページには、読みかけの詩がひとつ、途中で途切れていた。

どちらの陣営も「自衛」であると主張しつつ、互いに難民問題を理由に正当化を試みた。
だがその実、どちらの国も、かつてラヴァール崩壊に際して大量の難民を受け入れながら、内政改革を後回しにし、民意を疲弊させていた。

移民排斥、職の不足、物価の高騰──やがて鬱屈した不満は政府を呑み込み、民衆は敵を外に求めた。そして、それは剣と砲声をもって“答え”とされてしまった。

王国議会では、急ぎ緊急会議が開かれた。
場所は王都中央議事堂、第七審議室。かつて戦時内閣が設置された由緒ある部屋だ。
椅子の軋む音。机を叩く拳。老臣の怒声と若手議員の早口が交差する。

「これは軍事的脅威だ! 王国軍を南方に再配置すべきだ!」と声を荒げるのは、貴族派の古参将校。
「武器よりも物資と情報だ。交易路と港湾だけを死守すべきだ」と冷静に述べるのは、商工会議所の代表。
「今動けば、次は我らが巻き込まれるぞ」と諫める声もあれば、「今こそ主導権を握るべき」と煽る者もいた。

混乱と利害のぶつかり合いの中、アウレリアは一言も発さず、ひたすらに沈黙を守った。
彼女の指は、膝上の記録帳の端をなぞっていた。議場の喧騒とは無関係に、その表情は一点の曇りもなかった。

窓の外には春の光が差し込んでいたが、会議場の空気はまるで冬のように冷たく張りつめていた。
一羽の鳥が窓辺をよぎり、羽音がわずかに響く。
その瞬間、アウレリアは静かに席を立った。

彼女の足音は石造りの床をゆっくりと叩き、壇上に立つまで一言も発せられなかった。

「どちらかを選ぶのではなく、私たちは“国として何を守るべきか”を選ばねばなりません」

その声は、叫びではなく、叱咤でもなかった。
ただ、そこに集った誰よりも“冷静で真剣な未来”を見つめている者の言葉だった。

言葉のあと、議場には誰も即座に反論を返さなかった。
それは、彼女の声が圧したのではなく、そこに宿る「正しさ」が空気そのものを制したからだった。

翌朝、まだ朝靄の残る王宮の中で、アウレリアは軍務局と文化局に極秘の指令を出した。

・王国南東部の国境沿いに監視塔を増設、部隊は防衛的配置にとどめること。
・情報局には、戦争の背景と双方の補給経路、そして背後にいる利権勢力の解析を命じること。
・文化局には、再度の難民受け入れ枠と仮設施設の拡張、各都市の受け入れ能力の見直しを委託すること。

そのやり取りのすべてが、声高には行われなかった。
だが、早朝の薄明かりのなかで、ペンと印章の音が幾度も重なり合い、静かながらも確かな命令となって、王国中枢を走った。

まだ王国は戦ってはいない。
だが、その静かな備えのすべてが、「動かずにして主導する」ための布石だった。



戦火は激化の一途をたどった。
隣国スレイヴェンとルクス・アルト公国の国境紛争は、わずか数日で想定を超える規模に達し、市街戦へと発展した。双方の軍は従来の戦線を越えて都市部へ侵攻し、砲火は民家、学校、公共施設を無差別に飲み込んでいく。

夜空には遠雷のような砲声がこだまし、地面はひび割れ、炎と煙が街を覆った。魔導通信により送られてくる映像には、倒壊した図書館の前で震える老女、父を捜して泣き叫ぶ子ども、そして泥と血に塗れた医師団の姿があった。遠くで鐘の音が鳴り響くが、それは礼拝の合図ではなく、避難を促す悲鳴のようだった。

王国への避難民は日を追うごとに増加の一途をたどる。南東部の主要関所には数千人規模の列が伸び、食料と水の配布所は早朝から長蛇の列で埋め尽くされていた。仮設施設はすでに限界を超え、一部の町では倉庫や教会が臨時避難所として開放されていた。

野営地では子どもたちが石を積んで遊び、大人たちは無言で鍋の湯気を見つめていた。誰も言葉を交わさず、だがその場には「生き延びた者たちの沈黙」が色濃く漂っていた。

国境警備隊はその対応に追われる一方で、緊張を強めていた。入国審査の遅延、混乱する通行手続き、難民と見分けがつかない武装集団の可能性──報告書は一日で百を超えた。

王国の外縁は、熱と不安と声なき悲鳴で満たされていた。

アウレリアは、即座に特別調停官の派遣を決定する。
「王国は交戦国ではないが、中立国として“和平監視団”の派遣を要請する」との書簡を、両国政府に宛てて送らせた。
書簡には外交文言が用いられていたが、添えられた添状の一節──それは、彼女自身の筆跡だった。

「誰かが見ていること。それは、剣よりも強く、戦を止める抑えとなる」

この一言が、幾つかの国際通信網に漏れ伝わり、王国の中立姿勢を象徴する言葉として広まることになる。

だがその裏で、情報局からは別の報告が上がってきていた。
前線で回収された弾薬の銘、砲台の刻印──それらはすべて、第三国・海洋国家トレマリオンのものと一致していた。
さらに、同国の鉱山会社が戦闘地域に隣接する山岳地帯の鉱物資源に投資を行っていた事実も判明。

「これはただの内戦ではない。“代理戦争”の構図がある」
アウレリアはそう語り、すぐに新たな命令を下す。
王国が過去に講和の舞台とした中立都市・フィレナを調停の場として設定し、準備を進めるよう通達。

フィレナは歴史的に戦火を免れた穏やかな交易都市であり、政治色が薄い地として各国の信頼も厚い。
円形劇場を模した“百合の円形議事堂”を改装し、非武装の交渉空間として整えることが決定された。
石造りの柱と大理石の床を持つその会堂は、日光を受けて白銀に輝き、まるで沈黙の守護神のようだった。

一方、王都では反発の声が上がっていた。
「なぜ王国が他国の争いに口を出すのか」
「難民と武装勢力の区別などできない」

王都広場では保守派団体が集会を開き、赤い塗料で大きく書かれた幕が掲げられる。
『中立とは沈黙なり。関わるな、巻き込むな』

その下には、仮面を被った若者たちがラッパを吹き、笛を鳴らしていたが、誰一人笑ってはいなかった。

王国にとって「平和主義」と「現実的防衛」との境界線が揺らぎ始めていた。

アウレリアは、その問いに対して大々的な演説を打つことはしなかった。
代わりに、王宮中庭で行われた記者団向けの短い声明の場で、静かに語る。

「この争いの先に、私たちの境界線があるのです。
戦火が国境を超える時、私たちの選ばなかった沈黙が、その口実になります」

その声は穏やかであったが、誰も言い返すことはできなかった。
なぜなら、彼女は“手を伸ばす中立”を選んだ唯一の指導者だったからだ。



和平交渉は、まさに氷上の綱渡りだった。

フィレナに設けられた“百合の円形議事堂”では、連日、朝から晩まで各国代表が席に着いた。議場は音を吸い込むような石造りの構造で、言葉の重みが空気に残り、次の発言者を黙らせた。

だがその言葉のほとんどは、自国の被害と正義を語るものであり、互いを責め、過去をなじる声ばかりが壁を跳ね返っていた。互いの主張は膠着し、時には怒号さえ交わされた。机を叩く音、議長の制止の声、翻訳官の早口な通訳──すべてが交渉の空気を濁らせていた。

五日間にわたる交渉の中、何一つ具体的な合意に至ることはなかった。
空気は重く、座して聞く使節たちの顔には疲労と焦燥が色濃く浮かんでいた。翻訳官すらも、言葉を選びながら視線を落とす場面が目立ち始めていた。まるで、言葉自体がもはや無力であるかのような、深い沈黙の谷間が広がっていた。

六日目の朝、アウレリアは、調停者として円卓の正面に着席した。
その姿は飾らず、だが凛としていた。
深い藍の礼装に身を包み、金糸の王紋だけを胸元に配した装い。
彼女が言葉を発するその時まで、場に流れていた全ての音が、まるで吸い込まれるように止まった。

「私たちは、兵を出しません。けれど、嘘にも、沈黙もしない」

声は低く、響きは静かであったが、その抑揚には揺るぎない力が宿っていた。

アウレリアは、ゆっくりと手元の文書を広げた。
そこに記されていたのは、海洋国家トレマリオンの貿易商団が密かに双方の軍へ武器と資源を供給していた事実──
弾薬の型番、貨物船の航路記録、交信記録の抜粋、密輸ルートの略図。それは単なる推測ではなく、情報局が水面下で集めてきた実証的資料であり、詳細に照合された一次情報だった。

「この戦争の背後には、利潤を得て笑う者がいる。
その存在に目を閉じたままでは、和平の語など口にすべきではありません」

そう言い切ったとき、議場の天窓から朝の光が差し込み、文書の上で銀色の封蝋が柔らかく輝いた。

彼女はその証拠一式を、両国代表に提示し、王国の公的情報として国際記録に登録するよう通告した。
誰もすぐに口を開かなかった。
それは驚きというよりも、覚悟を突きつけられたような静まりだった。

軍需物資の流通を断ち、共通の「黒幕」を炙り出すことで、戦争を続ける正当性を失わせる。
それは剣ではなく、言葉で放たれた最後通牒だった。

その後の数時間、使節たちは会議室を離れたり戻ったりしながら、水面下の交渉に入った。
扉の向こうでは、書記官が走り、外交官が囁き、補佐官たちが眉をひそめて資料を読み漁った。
廊下の一角では、通訳たちが辞書を片手に密かに意見を交換し、衛兵たちですらその場の張り詰めた空気に身じろぎを控えていた。

午後の陽が傾き、円形議事堂の大理石の床に長い影を落とし始めた頃──
ついに、スレイヴェン代表が再び席に着き、周囲を見渡しながら重く口を開いた。

「……貴国の立場を理解した。協議の余地は、ある」

その一言に続き、ルクス・アルト公国の代表も頷く。
「我らもまた、兵を止める道を模索する」

こうして限定的ではあるが、停戦合意案の協議が進み始めた。
内容は脆く、実効性にも課題は多かったが、確かに火線の動きを止めるための第一歩だった。

数日後、停戦合意が正式に調印された。
王国は兵を出さず、だが傍観もしなかった。
誰よりも強く、そして静かに、平和の糸を手繰り寄せた。

その夜──
アウレリアは王宮の自室に戻り、机にひとり腰を下ろした。
部屋の窓の外には、雨がしとしとと降っていた。
遠くでは鐘の音が鳴り、街の灯りが揺れていた。
風が少し強まり、カーテンがふわりと膨らむたびに、彼女の髪が揺れた。

暖炉の炎が揺らめくなか、彼女は記録帳を開き、銀のインクで一行を記す。

『中立とは、動かぬことではない。選ばぬふりをせず、すべてを見据えて選ぶことだ』

それは、ただ世界を眺める者ではなく、世界にとどまり、手を差し伸べる覚悟を持つ者の記録だった。
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