治療不可能な恋をした

至近距離にある梨乃の頬は赤に染まり、けれど拒む様子はない。細く震えるまつげが、まるで自分の手を受け入れているように思えた。

逃げなかった。それだけで、理人の理性を崩すには十分だった。

かつての夜、自分から伸ばした手は何事もなかったかのようにすり抜けていた。

けれど今は、目の前にいる彼女がその手のひらの中に留まっている。

(違う。あの頃とは……違う)

そう思いたかった。

カンファレンスでは隣をキープし、さりげない会話を重ねた。飲み会の帰り道には、他愛ない理由をつけて送り届けた。学会の合間には、小さなメモのやりとりをし、そうして少しずつ、少しずつ──この距離を縮めてきたつもりだった。

今だって何度も逃げ道はあったはずなのに。彼女は、逃げなかった。

(……なら)

心の奥底に押し込めていた欲が、静かに、けれど確かに膨らんでいく。

「……嫌なら、止めろよ」

低く、喉の奥から漏れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。

梨乃は、微かに揺れた瞳のまま、何も言わなかった。

その沈黙が、理人の最後の理性をゆっくりと溶かしていく。

そっと唇を重ねると、梨乃の体が小さく跳ねた。
でも──拒まない。

それを確認するように、理人は何度も優しく唇を重ねた。やがて梨乃の肩に手をかけ、慎重にベッドへと押し倒す。

密室。ベッドの上。指先に、唇に、確かに感じる温もり。──何度も欲しいと願って、どうしても手に入らなかったもの。

(もう、絶対に離さない)

理人は梨乃を腕に閉じ込めるように抱き、何度も彼女の名を心の中で繰り返した。

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