治療不可能な恋をした
翌朝の院内は、いつもと変わらぬ慌ただしさに包まれていた。
モニターの警告音、ナースコール、薬剤のチェック、移動するストレッチャー。そのどれもが日常で、慣れたはずの風景のはずだった。
なのに──今朝はどうしてだろう。世界がどこか、よそよそしく見えた。
(……変な夢でも見たみたい)
そう思いたかった。昨夜の食事、やりとり、そして理人の最後の一言。
──「仁科がそうしたいなら、そうするよ」
穏やかな声だった。けれど、どこかその言葉がずっと引っかかっていた。
(……私が、そう望んだのに…)
理人の本音は分からない。でも、自分の気持ちを尊重してくれたのは分かる。だからこそ、胸の奥がずっとひりひりしていた。
(……やめよう。仕事中に余計な事を考えるべきじゃない)
無理やりそう言い聞かせて、カルテに目を戻したそのときだった。
「……ん?」
患者の名前と処置指示の欄を見て、梨乃は小さく眉をひそめた。
担当している子の経管栄養用チューブが見当たらない。それと同時に、昨日ストックを切らした事を思い出した。
一瞬だけ迷ったが、ナースたちの手が足りていないことは目に見えて分かる。それなのに、わざわざ補充の依頼だけで声をかけるのは気が引ける。
(自分で見に行った方が早いか)
椅子を立ち、白衣のポケットからPHSを取り出して時間を確認する。診察までにはまだ数分ある。
「ちょっとストック取りに行ってきます」
近くにいた後輩医にひと声かけてから、足早にナースステーションへと向かった。