治療不可能な恋をした

上司に頭を下げて執務室を出ると、梨乃は深く息をつき、肩の力をわずかに抜いた。重苦しい会議の余韻がまだ胸に残っており、体の動きは自然と慎重になる。

隣にいた理人も静かにドアの方へ視線を送り、軽く頷く。その仕草だけで、梨乃は少しだけ安心感を覚えた。

「……梨乃」

少し歩いた先で、低く落ち着いた声が耳に届く。顔を上げると、視界に映る理人の表情は暗く、どこか陰を帯びていた。

「……何もかも、本当にごめん」

続けざまに、苦しげな声が落ちてくる。

「必ず守るって……俺が片付けるって言ったのに、何ひとつ間に合わなかった。資料に細工されて、患者にも責められて……お前がどれほど怖かったか」

「理人……」

「……俺、お前に迷惑かけるだけで、何もしてやれなかった……」

理人の肩は小さく震え、拳が悔しさに強く握り込まれている。今にも自分を殴りつけそうなほどの痛ましい姿に、梨乃の胸はぎゅうっと締めつけられた。

(理人は、なにも悪くないのに……)

彼にだって医師としての大事な業務がある。それでも、忙しい中で精一杯問題解決に尽くしてくれたことは、ちゃんと分かってる。

その思いが込み上げ、梨乃はそっと理人の手を取った。

「……理人のせいじゃない。だから、そんなに自分を責めないで」
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