治療不可能な恋をした
午後は通常どおり診察や処方、病棟回診に追われた。
表面上は普段と変わらない一日が続いていく。だが、その合間には院内のシステム部や事務方とのやり取りが入り込み、気の抜ける時間はなかった。
今回の被害内容を整理し、患者家族への対応を報告する書類をまとめる。そして時折かかる電話やメールで確認事項を詰める。その一つひとつを、梨乃は慎重に、けれど確実にこなしていった。
気づけば退勤時刻を大きく過ぎていて、窓の外はすっかり夕闇に沈んでいた。院内の明かりがガラスに映り込み、夜の始まりを告げている。
「……帰ろう」
小児病棟まで迎えに来た理人からそう声をかけられたとき、梨乃は黙って頷いた。
二人はそのまま病院を後にし、理人の家までの道を並んで歩く。
仕事の疲れは体に残っているはずなのに、足取りは不思議と軽かった。昼間のやり取りで心の重さが少し和らいだのか、言葉を多く交わさずとも沈黙が心地よい。
ふと街灯に照らされた理人の横顔を盗み見る。険しさが和らぎ、いつもの冷静さを取り戻している。その表情に胸の奥がじんわりと温かくなった。
(……やっと、長い一日が終わる)
そう安堵を覚えた瞬間だった。
道の先に、見覚えのある人影が立ちふさがる。
薄暗い街灯の下──瞳から生気を失った菜々美が、どこか人形じみた無機質な表情で菜々美が立っていた。