治療不可能な恋をした
. . 𖥧 𖥧 𖧧


長く待ち望んでいたはずの朝は、思ったより静かにやってきていた。

玄関に並べたトランクとバッグ。玄関はすでに出発の空気でいっぱいだった。

梨乃は小さな不安を拭えず、何度も中身を確認してはファスナーを閉め直している。

「梨乃。もう大丈夫そうか?」

後ろからかけられた声に、彼女は小さく頷く。

「…たぶん」

「ん。じゃあ、行くか」

理人はふっと笑みを浮かべ、片手を伸ばしてくる。荷物を受け取ってくれるのかと思った瞬間、腰をぐっと引き寄せられ、梨乃は驚きに目を瞬かせた。

「えっ、ちょ……」

「荷物の前に、まずこっち」

耳元で囁かれ、頬が一気に熱を帯びる。

軽く唇を触れ合わせてから、理人はひょいとトランクを片手に持ち上げ、もう片方の手で梨乃の手を取った。

「こっちは俺が持つから。梨乃は鍵しめてくれるか?」

「わ、わかった」

梨乃が靴を履き、鍵を確認している間も、理人の視線はずっと自分を追いかけていることに気づいた。

ふと意識して顔を上げると、理人は少し不意を突かれたように目を開いたが、すぐに柔らかく笑みを浮かべた。

「……どうしたの?」

問いかけると、理人は一瞬だけ言葉を探すように黙り込み、それからふっと目を細める。

「……いや、秋服の梨乃も可愛いなと思って」

「!な、何それ」

頬が熱くなるのを誤魔化すように、梨乃は視線を外す。

そんな反応に理人は満足げに微笑み、自然に手を差し伸べて梨乃の手を握る。

二人は言葉を交わすこともなく、手を繋いだまま玄関を出る。

秋の朝の澄んだ空気が肌に心地よく触れ、トランクを軽々と持つ理人の横で、梨乃は自然と寄り添い、心が弾むのを感じた。

駐車場までの短い道のりも、二人の距離は近く、手を繋いだ温もりが穏やかな幸福感で満たされていた。
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