治療不可能な恋をした
声をかけてきたのは、麻酔科の女医だった。クリップボードを抱えながら理人の正面にすっと回り込み、視線を絡め取るように見上げる。
「この前のオペ、素晴らしかったです。術中の判断がすごく的確で、患者さんの回復が早かったって。さすが逢坂先生ですね」
「……そう?ありがとう」
理人が軽く笑って返すと、彼女は嬉しそうに笑みを深めた。
「また今度、一緒に入る機会ありますよね?その時こそ、ちゃんと打ち上げしましょうね。前みたいに流されないうちに」
言葉の端々に、業務とは思えない色が滲んでいる。さりげなく袖口に触れそうな距離感、視線の絡め方、笑い方──すべてが、慣れている。
「そうですね。タイミングが合えば、ぜひ」
理人は驚いた様子も見せず、むしろ自然に受け流していた。それが逆に、彼の日常を雄弁に物語っているようで、梨乃の胸に冷たいものが差し込んだ。
(……彼にとっては、これが日常なんだ)
仕事のついでに、軽く声をかける──そんな立ち位置の自分とは、まるで違う。
(ああいう人が、彼にはよく似合う)
ファッションもメイクも華やかで、笑顔も計算されていて。たとえ職場でも、武器を惜しまない女性。
自分は、まるでその対極だった。
「……お先に失礼します」
聞こえないような小さな声でつぶやいて、梨乃はカンファレンスルームを出た。
資料を抱える手が少し震えていたのに、気づかないふりをした。