治療不可能な恋をした
グラスをテーブルにそっと置いて、席を立つ。
「あれ?仁科先生、どこ行くの?」
隣に座っていた白石に声をかけられ、梨乃は曖昧に微笑む。
「少し酔ったみたいで。水をもらってきます」
「え、大丈夫? 付き添おうか?」
「平気です。ついでにお手洗いも寄りたいので」
そう言い残し、居酒屋の奥にあるトイレへと足を向けた。
雑多な笑い声やざわめきが背後に遠ざかるにつれて、むしろ胸の中のざわつきがはっきりと輪郭を帯びてくる。
洗面台の前で立ち止まり、蛇口をひねる。
冷たい水が手のひらに当たると、張りつめていた感情が少しだけ和らいだ気がした。
(……何やってるんだろ、私)
勝手に盗み聞きして、勝手に苛ついて、逃げるようにここまで来て。
そもそも、こういう騒がしい飲みの場は得意じゃない。それでも今日は入局時からお世話になっていた先輩の送別会でもあったから、出席しないわけにはいかなかった。
当の本人とはまだ会話どころか挨拶も交わせていない。だから中座もできず、ただ気持ちだけが取り残されていた。
「はあ……」
理人が女性に囲まれているのも、愛想がいいのも、昔からのこと。それを知っているのに、心の奥がずっと痛いままだった。
──「気になってる人とかいないんですか?」
思い出すだけで、胸がぎゅっと締め付けられる。