治療不可能な恋をした
(自分から距離を取ってるくせに)
そんなことで動揺している自分に、嫌気が差す。
蛇口をひねって水を止めて、手を拭く。まだ心の中はざわざわしているけれど、ここにいても答えが出るわけでもない。
意を決してお手洗いを出て店員から水を受け取る。部屋へ戻ると、ちょうど話題は別の方向へ流れていた。ほんの少しだけ安堵した反面、居心地の悪さがわずかに残る。
元の席に戻る気にはなれず、梨乃は手にしたお冷を持ったまま、空いていた別の席──異動する先輩の近くへと腰を下ろした。
「お疲れ様です、林先生。ご挨拶が遅れてすみません」
「ああ、仁科先生!いやあ、今日はきてくれてありがとうね〜。こういう席苦手なのに、俺のためにわざわざきてくれたんでしょ?」
梨乃は一旦水を置き、林の空いたグラスにビールを注いだ。
「いえ。先生には入局した時から随分とお世話になりましたから、当然です」
「おっ、ありがとう!かわいい後輩に酌までしてもらえるなんて、先輩冥利に尽きるよ」
ビールを口に運んだ林は、頬を赤らめながら上機嫌に笑う。かなり酔いが回っているようだった。
「懐かしいなあ。あの頃ひよっこだった仁科先生もすっかり逞しくなって。これで安心して転院できるよ」
明るく弾んだ声に、梨乃は穏やかな微笑みを返した。けれどその心は、どこか別の場所にあった。
目の前の会話に集中しようとしても、どうしても意識は離れたテーブルへと引き戻されてしまう。
聞こうとしていない。見ようとしていない。
なのに、どうしても拾ってしまう。
耳が、心が、勝手に彼の方ばかり向いてしまう。
その理由は、最後までわからなかった。