治療不可能な恋をした
梨乃の発表は、慢性小児疾患の長期フォローアップに関する症例報告と考察。特に気道疾患や自己免疫性疾患など、日常診療で見逃されがちなポイントと、患者家族との関わりについても触れる実践的な内容だった。
壇上に上がり、照明を浴びた瞬間、思ったよりも冷静だった。
(大丈夫。ここまでしっかり準備してきたんだから)
手元のリモコンを握り、スライドを送る指先にも、かすかな緊張が残っていたが、声はしっかり出た。目の前のスクリーンと聴衆に意識を集中させて、臨床で見てきた子どもたち一人ひとりの顔を思い浮かべながら言葉を紡いでいく。
──どんな疾患も、治療だけでは終わらない。成長とともに変化する生活や心理的な課題に、どう寄り添っていくか。
梨乃の声は次第に落ち着き、後半には、患児の家族と信頼関係を築いてきた過程や、外来でのささいなサインを拾った一例を紹介した。
最後のスライドを映し終え、ゆっくりと一礼する。
拍手が会場を包み、その中にどこかで聞き慣れた手の音が混ざっている気がして──少しだけ視線を横に流すと、理人の姿が見えた。
軽く口角を上げ、静かに拍手を送っている。からかいでも冷やかしでもない、まっすぐなその目に、胸の奥がふいにざわついた。
(……なんで、今のタイミングで、そんな顔するの)
熱を持った頬を隠すように、軽く会釈しながら壇を降りた。