治療不可能な恋をした

「まあまあ、あとで時間あったら戻ってこいよ。とりあえず教授に挨拶だけでもしとけって!」

「人気者はつらいねー。ま、逢坂ならすぐ出世街道でしょ」

「他の奴らも来てるみたいだしさ、顔出しにいこうぜ!」

理人は梨乃の方を一瞬だけ振り返った。ただその視線は彼らの肩越しに遮られて、梨乃には彼の表情まで見えなかった。

次の瞬間には、理人は完全に輪の中に飲み込まれ、そのまま廊下の方へと連れていかれてしまった。

「…………」

誰もいなくなった隣の席に、梨乃は小さく息を吐いて目を伏せる。開きかけた唇からは何の言葉も出なかった。

(……なんか、こういうの、昔もあったな)

記憶の底に沈んでいた、あの頃の感覚がふいに顔を出す。

大学の頃。賑やかな輪の中心にはいつも理人がいて、梨乃は一歩引いた位置からその背中を眺めていた。

自分のいる世界とは、少し違う場所にいる人。そう思い込んでいた。

(そういう人だった。ずっと)

けれど──最近になって交流が増えて、さっきみたいな、心を揺らされることがいくつかあって。

ほんの少しだけ近づいた気がしていたのは、自分だけだったのかもしれない。

「……バカみたい」

かすかに呟いた声は、自分でも聞こえないほど小さかった。

静かに立ち上がると、梨乃はゆっくりと席を離れた。

ランチョンのチケットは申し込んでいなかったし、どこかのコンビニで何か買って、外の空気でも吸おう。そう思い、梨乃は鞄に荷物を詰めて立ち上がる。

広い会場の廊下には、昼食会場へと向かう人々の足音が響いていた。

< 69 / 306 >

この作品をシェア

pagetop