治療不可能な恋をした
梨乃はほんの少し、唇を噛むようにして俯いた。それから小さく、けれど確かに頷いた。
「……うん、いいよ」
その言葉を聞いた瞬間、理人の内心が浮き足だった。だがそれを表に出すのは情けない気がして、わざと肩をすくめて見せた。
「じゃ、決まり。行こっか」
自然を装った声でそう言い、歩き出す。
電車でひと駅。会場を出てからの道のりはさほど遠くなかった。肩が触れそうな距離で並んで歩く梨乃は、相変わらず口数が少ない。
それでも、時折交わす言葉は不思議とぎこちなくはなかった。
理人のマンションに着き、部屋の前まで来たときも、梨乃は特に躊躇う様子を見せなかった。
「上がって」
ドアを開けてそう言うと、梨乃は「うん」とだけ返して、そっと靴を脱いで中に入る。
玄関を閉めた理人は、手に持っていた鍵を玄関先の定位置に置くと、梨乃の後ろ姿に目を向けた。ただそこにいるだけなのに、部屋の空気がほんの少しだけ、違うものに変わった気がした。
(……やば、なんか緊張してきた)
胸の奥ではうるさく心臓が鳴っている。それを必死に押し隠しながら──理人は、何気ないふうを装ってリビングへと足を向けた。