最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る
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――夜が明けようとしているのに、まだ街は沈黙していた。セシリア嬢は避難先で無事だったと聞いた。ギブン様は負傷者の搬送を指揮し、アデルさんは短剣を抱えたまま夜を明かした。カイ様は壁に寄りかかり、血の付いた手で煙草を潰していた。その顔には決意と悲しみがにじんでいるようだった。それぞれが別の夜の中にいるように。その時ふと遠くから低い声がした。
「羽は、終わっていない」
辺りを見渡してもそれらしき姿はとうに消え去っていた。風の中に血と煙とわずかな焦げた羽の匂いだけを残して。今も王都の広場はまだ煙を上げている。瓦礫の間で風が泣き、煙を揺らす。静寂の中に人の呼吸だけが生々しく響いていた。そして私は廃墟になった広場で、崩れた建物の影に膝をついていた。腕の中でルカ様が意識を失っている。背中の傷口から滲む血がシャツの布を黒く染めていく。
「……しっかりしてください……ルカ様……」
返事はない。けれどその手が返事をするかのように微かに動いた。周囲の兵が医療班を呼びに走っていく。それでも私はルカ様のそばを離れられなかった。呼吸が荒くなっていくのを感じた。何度も彼の名前を呼んでは、唇を噛んで泣きそうになるのをグッと我慢した。……ダメ、ルカ様。私こんなバッドエンドにするためにこの世界に来たわけじゃないのに! ルカ様、お願いです。生きてください。もう幸せになってもいいじゃないですか。
日が昇る頃、ようやく医療班が到着した。ルカ様は意識が戻りきらぬまま、臨時の療養室へ運ばれていった。私はその後を追い、治療の手伝いを願い出た。カイ様の制止しを受けかけたが、ギブン様が一言、「行かせろ」と言ってくれた。私は涙をこらえて大きく頷いた。
ルカ様の部屋に入ると、光が斜めに差し込んでいた。白布の上に寝かされた彼の顔は、戦場のときよりずっと穏やかに見えた。包帯を替えようとした瞬間、彼の指がいきなり私の手首を掴んだ。
「やめろ。汚れる」
「いいんです。私はもう何度も血を浴びてきました」
「そういう意味じゃない」
目が合った。言葉の先に何かを押し殺す気配があった。
「お前は……まだ、こんな世界の外側にいるべき人間だ。巻き込んでしまって本当に申し訳ない。今頃、普通にメイドとして給仕しているはずだったのに……」
「私は自分で選んでここに来たんです。外側なんてありませんよ。私はあなたと同じ世界で生きるためにいます」
その瞬間、彼の喉がかすかに動いた。息を吸い、何かを言おうとして——止まった。手首から彼の指が離れていく。
「……トウコ」
「はい」
「俺は——」
言葉が途切れた、その時だった。扉の外から爆発音がとどろく。反射的に身体が動いた。私はトレイを掴み、扉を蹴り開ける。廊下の先に黒い外套の影。羽の残党がすぐそこに一人。手に持つ短剣と松明の火がこちらを狙っていた。私を見るなり、待ち望んでいたかのようにとびかかってくる。私はトレイを手にそれを避け、剣を蹴り飛ばし、男の顎を打ち抜いた。喉が潰れる鈍音。相手が崩れる前に胸を押さえつける。……アクションゲーム仕込みだけどなかなか行ける。私も守られてばかりじゃないって証明するんだから!
私はそいつの目を見て、できるだけ低い声で問いかけた。
「何の指令で動いた! 誰の命令⁉」
「……羽の王は、まだ……眠って……いない……」
そのまま男はそのまま気絶した。床に落ちた鼻血が私の靴に広がっていく。息が乱れる。振り返ると、ルカ様がベッドから体を起こし、足を引きずりながらこちらへ歩いている。全身が痛むのか尊雄片目は瞑ったままだった。
「何やってるんだ……」
「敵がまだいたんです。私が——」
「馬鹿が!」
彼の声が低く震えていた。怒りでも恐怖でもない。失うことへの怯えの震えのようだった。私はたまらなくなった。
「どうしてそんな顔するんですか」
「当たり前だ。……お前が死ぬところなんか見たくない」
それだけ言って、彼は俯いた。息が荒く、肩が上下している。私はその肩に手を置いた。彼の熱が伝わってくる。
「あなたが死にそうになった時、私、何もできませんでした。だからもう怖くないです。次に死ぬなら、あなたと一緒でいい」
「……そんなこと言うな」
彼の声が震えた。目を逸らそうとして逸らせなかった。沈黙の中、互いの呼吸だけが残った。彼の手が私の頬に触れかけた。
「俺はお前を——」
その一言の直後、すぐ横の窓の外から再び音がした。突如バリンと大きな音を立て窓が割れ、硝子が雨のように散った。私は咄嗟に身を投げ出し、自由に動くことのできないルカ様を庇って床に倒れた。肩を撃ち抜く痛み。熱と衝撃が同時に走る。私の方には矢が刺さっていた。……え、これは夢? ゲームの中のはずよね。ほんとに痛い。今までの傷はそこまでだったのに、矢はさすがに――。
「トウコ!」
彼の叫びが遠くで聞こえた。視界が滲む。段々と狭まっていく視界の中、ルカ様が私を抱きしめていた。
「ふざけるな……なんで、お前が矢にあたってるんだ……!」
「……あなたが、生きてればいい……私の願いはいつでも変わらないのです。今も昔も」
その瞬間、ルカ様が私の手を強く握った。
「違う。お前が生きてることが……俺の生きる理由だ」
その言葉に息が止まった。けれど、口を開く前に意識が遠のいていった。
夢のような闇の中で、誰かの声が響いた。
「羽は愛を試す。壊れるほどに確かめたいのだろう」
その声は笑っていた。柔らかいようで、どこまでも冷たい笑いだった。どこかで水が滴る音がした。低い振動が頭の奥を叩き、呼吸が段々と浅くなる。黒と灰色の靄にずっと視界を奪われているようだった。……なにこれ、助けて! ルカ様‼
――目を開けると、天井が灰色だった。仰向けのまま瞬きを繰り返し、ようやく自分が療養棟にいると理解した。包帯の下で肩が鈍く疼く。目を横に向けた瞬間、息が止まりそうになった。そこにはルカ様がいた。椅子に腰掛け、眠ったままだ。包帯の隙間から覗く傷が痛々しい。彼の手が私のベッドの端を握っていた。眠りながらも離さないように。喉の奥が熱くなった。……まだ生きてる。いや、一回は事故で死んだけど。私まだこの世界にいてもいいんだ。
ふと、自分の手のひらに握られた紙に気付く。そこに書かれていたのは《一旦、この恋の戦いは休戦ということにしてあげる。お大事にね。S》。その頭文字と内容から考えて、差し出し主はセシリア嬢しかいないだろう。……私、ライバルとしてみてもらえるような女になったのね。
その安堵が胸を満たした瞬間——声がした。耳ではなく、頭の奥に直接響くような低く滑らかな男の声。
「トウコ」
名前を呼ばれた瞬間、背筋が凍るような冷たさを感じた。反射的に周囲を見るが、ルカ様以外は誰もいない。しかもルカ様は眠ったまま。風も、音も入り込むすき間がないような密室であるにもかかわらず。
「目覚めたか。良い子だ」
声は淡々としていて、どこか、私の記憶の奥底を撫でるようだった。
「あなたは誰なの?」
「答えはまだ要らない。お前たちはまだ羽の外側にいる」
思わず息をのんだ。……羽の外側? どういう意味なの?
「お前は心で抗った。だからこそ選ばれた。“愛”という名の、この世で最も美しく脆い支配の実験体に」
その言葉に血の気が引いた。
「やめて……」
「やめない。人は愛を誓った瞬間に、自らの意思で服従する。——さぁ、それを証明してみせろ。トウコ」
頭の奥で何かが焼けるように痛い。手でこめかみを押さえた瞬間、ベッド脇の椅子が音を立てた。
「トウコ⁉」
ルカ様の声。視界が戻る。目の前に飛び込んできたのは、私を覗き込んで焦る彼の顔。私は息を荒げながら彼の手を取った。
「……今っ……誰かの声が……聞こえて」
「誰の?」
「男の声で、私たちはまだ羽の外側にいると……」
ルカ様の目が鋭く細まる。
「もう始まってるのか……」
「なにか知ってるんですか?」
「あぁ、トウコが眠っている間、ある情報をつかんだ。それは――俺たちは、羽をただの組織だと思ってた。でも違う。思想だ。人の信じたいものに入り込む寄生体みたいなもんだ」
言葉が途切れた。彼は少し視線を落とし、私の額に触れた。
「熱いな……それに肩もまだ痛むだろう」
「私はもう大丈夫ですから、ルカ様——」
「いいから。今、俺の声だけ聞け」
低く、ゆっくりとした声。その響きが痛みを押し流していく。
「トウコ、あの夜……お前が言っただろ。“次に死ぬなら一緒でいい”って」
「……はい」
「俺は違う。お前が死ぬくらいなら、世界を敵に回す」
その言葉に胸が裂けた。息が詰まり、何も言えない。……ルカ様が、私をそんな風に思ってくれているなんて。
けれど次の瞬間、部屋の照明が一瞬だけ揺らいだ。蝋燭の火がふっと消え、細い煙が空中に線を描く。空気がガラスを揺らした。
「停電……?」
外の廊下が暗闇に包まれた。そして、また——あの声が響く。
「“羽の王”は観測している。恋も忠義も、痛みも。そのすべてが、次の計画の材料だ」
音も光もないのに、声だけが確かに世界の底から響いていた。ルカ様が長剣を構え、私の肩を引き寄せる。
「聞こえてるのか、これ……!」
「はい……頭の中に、直接」
「ふざけやがって……!」
彼が壁に向かって一太刀いれた。音が反響し、沈黙が戻る。息が震える。その時、外の通路から足音がこちらへ向かってくるのが聞こえた。カイ様の声だった。
「ルカ! トウコ! ここにいたのか!」
彼の声と共に灯りが再びともむ。頭の中に響く声はもう聞こえなかった。それはまるで夢のようだった。ただ、夢ではない。私とルカ様のどちらもが聞き取れていたのだ。やはりこの事件はまだまだ長いのだろう。
その夜、私は眠れなかった。頭の奥でまだあの声の残響が蠢いていた。——“愛”という名の、この世で最も美しく脆い支配の実験体。その言葉だけがずっと離れず耳にこびりついていた。窓の外で月が割れた雲の間を漂っている。その光がルカ様の寝顔を照らした。ルカ様は今日も付き添って椅子で寝ている。……一国の王子であるルカ様じゃなくて、一応メイドの私がベッドで寝ていると知ったら、アデルさんはカンカンに怒るだろうなぁ。せっかくお見舞いでフルーツくれてたのに。
包帯の下で静かなルカ様の呼吸を感じる。私はその顔を見つめながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……壊される前に、私が壊してみせる。羽の王なんて全部」
それは誓いでもあり、願いでもあった。
夜が明けた。王都は煙をようやく吐き終えたようだった。相変わらず瓦礫の間を風が吹き抜け、焦げた羽根が路地を転がっていく。朝靄の中、兵たちが無言で残骸を運び出していた。そのどこにも昨夜までの喧噪はなかった。戦いは終わった——ようで何ひとつ終わっていなかった。
***
「え、ギブン様。本当に言ってますか⁉」
「……このタイミングで解散命令、か」
報告書を手にしたカイ様の声はやけに乾いていた。部屋の中には静寂だけが漂う。私は肩よりも胸が痛んでいた。長机の向こうで、ギブン様が資料の束を見ながら声を落としていった。
「国王からの命令だ。『羽』の件は一時的に中央情報部の管轄に移すとよ。……つまり、俺たちは口を閉じろってことだ。ルカも猛抗議したが、王子の殻に傷をつけたというのがやはり問題だったんだろう」
「皆、すまない」
「ルカ様は何も悪くないです! ……勝手な話ですけど、国王の気持ちもわかります」
「あぁ、まあそういうもんだろ。だが、問題は羽の王らしき野郎の声だ。お前ら聞いたんだろ?」
沈黙が漂う。私とルカ様が同時に目を伏せる。
「……あれは、ただの幻聴じゃない。何かが確かに繋がっていた」
「だからこそ、だ」
ギブン様が立ち上がり、机に両手を置いた。
「俺たちは解散を言い渡された以上、バラバラに散る必要がある。——これ以上一ヶ所に固まると危険だ。皆傷だらけだろう。今度は本当に命が無くなるぞ」
その言葉に胸が痛んだ。心のどこかでは分かっていたことだった。けれどもいざその現実を突きつけられると、やはり受け止めきれなかった。カイ様は無言で顎を引き、アデルさんは俯いたまま指を握りしめていた。
「ルカは北の療養地だ。ここは国王がしていたところだからしばらく動けないだろう。カイとアデルは王立軍の再編部隊へ。トウコ……お前は、ここに残って情報局と連携してくれ。セシリア嬢もここに残るはずだ」
ギブン様の声は、いつになく静かだった。命令は拒否できない。それでも心は抗う。
「……ルカ様が行くなら、私も——」
「駄目だ」
ルカ様の声がそれを遮った。低く、短く、けれど誰よりも強く。
「お前がここにいないと誰が王都を守る。俺たちの帰る場所を残してくれるのは、トウコだけしかいないんだ」
言葉が喉で止まる。彼は立ち上がり、杖をつきながらこちらへ歩み寄った。まだ完治していないはずの身体で。距離が近づく。息が触れるほどの距離で、彼が小さく呟いた。
「……お前がいないと、ここに帰ってくる意味がなくなってしまう」
胸の奥が熱くなる。言葉が出ない。ただ頷くことしかできなかった。その瞬間、ギブン様が視線を逸らし、窓の外を見やった。
「出発は正午だ。……解散だ」
王都北門では正午を告げる鐘が鳴る。軍馬の蹄が石畳を叩き、行軍の列が街を抜けていく。アデルさんがこちらを振り返り、いつもの無表情のまま小さく手を振った。カイ様は「戻ったら酒奢れ」とだけ言い残し、笑って去っていった。そして最後に——ルカ様。手に杖を握り、隣のセシリア嬢ではなく振り返って私を見つめた。灰色の外套の裾が風に揺れる。その目はあの夜と同じ。何も言わずにすべてを伝えてくる。私は無理に笑った。胸の奥が痛くて喉が震える。
「必ず、戻ってきてください。私、あなたの秘密とか知らないまま死んだりできませんからね」
彼はわずかに頷き、そして言った。
「あぁ、その時は……ちゃんと話す」
「私のこともお忘れなきよう、ご学友。そして婚約の件、私が王子に申し込むのもおこがましいので、是非ご検討をしてくださいな。この国を任せられるよう、ルカ様が帰られるまでの政治はお任せください」
「……わかった、セシリア」
それだけ残して彼は馬に乗り、隊列の中に消えていった。音が遠ざかり、視界の端で白い羽が一枚、風に舞った。それが誰のものなのか、もう分からなかった。
その夜、再び一人になった部屋。セシリア嬢の言葉を思い出しては心がチクリと痛んだ。ふと、机の上のルカ様が置いていった懐中時計に視線が向いた。蓋を開けると、秒針の音が静かに響いた。その裏蓋に彫られていたのは《次に会う時、君を選ぶ》。だんだんと視界が滲んだ。……私、ようやくルカ様と。もちろんセシリア嬢の婚約とか壁はあるけれど、やっとずっと攻略できなかった彼を!
時計を胸に抱きしめ、私は小さく笑った。
「……その時まで私も立っていられるようにします、しっかりと自分の足で」
窓の外で夜風が囁く。街の遠く黒い影が屋根の上を走るのが見えた羽の形。……終わってない。まだどこかで動いてる。解決しない限り幸せは得られないってことね。
私はトレイを手に取り、壁に掛けられた制服を見上げた。
「——なら、来なさい」
誰にも届かない挑戦の声が、静かな部屋の中に消えていった。