最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る
夜が明けた。海から戻る頃には、東の空が薄桃色に染まっていた。風は冷たく潮の匂いが城壁の上まで上がってくる。まるで戦場の残り香を運ぶように。王城の門は半ば閉じられ、衛兵の顔には疲労の色が濃い。誰もが何かを失い、何かを守った夜だった。勝利という言葉はまだどこにも存在しない。軽く手当てを受けた私はセシリア嬢の乗る救護馬車の後ろを馬で追い掛けた。セシリア嬢は腕に包帯を巻き、唇をかすかに噛んでいる。痛みよりも、彼女は奪われたものの意味を考えているようだった。
「……敵は、“羽”ではなく“羽を名乗る何か”だった」
ギブン様が馬車の傍らで呟く。声は低く、誰に向けたものでもない。
「五芒星を紋に持つ組織。祈祷を超えた枠……あれは国家の外側だ」
ルカ様が応じる。その声には冷たい理性が戻っていた。夜の激情をどこかへ置いてきたような、落ち着いた声。私はその背中を見つめながら、昨夜の光景を思い出していた。あの一瞬、彼の瞳が見せた恐怖と愛情の混ざった色がまだ胸に残っている。海風が触れるたびに、その温度を思い出してしまう。歩く足音が重なり、静かな朝靄の中を進む。王城の石畳には、昨日の血痕が乾いて赤黒く残っていた。兵たちがそれを水で洗い流す。流れた赤が陽光に照らされ、虹のように光った。美しいのにどこか痛い光景だった。
王の間では、既に臨時会議が始まっていた。各地の貴族や司祭が呼び出され、羽の件について報告を求められている。私たちもすぐに召集された。重厚な扉を開けると冷たい空気が肌を撫でた。広間の奥に座るのはこの国の国王。白い髭が朝光を受け、雪のように白い。青白い肌は発光するようだった。
「……“羽”が再び現れたと聞いた。そしてわが娘シャロット、セシリア嬢が襲われたと」
低い声が響く。誰も軽々しく答えられなかった。沈黙が数拍続いた後、ギブン様が前に出る。
「陛下、昨夜の襲撃は“羽”を名乗る組織によるものです。しかし彼らは、従来の羽とは構造が異なります。五芒星の印を持ち、王権の上位を自称しておりました」
その言葉に、会議の空気が凍る。国王の眉がわずかに動く。
「王権の……上位だと?」
「はい。祈祷による国家支配を自然な秩序と称しておりました。つまり王家を支払う側と定義しているのです」
室内の誰もが息を呑む。セシリア嬢が椅子の肘を握りしめた。国王はしばらく黙り、ゆっくりと立ち上がった。その背筋はまだ真っ直ぐで威厳があった。
「……かつて、我らの祖が祈祷の契約を結んだとき、それを神聖と呼んだ。だが今それは呪いに変わっているのかもしれぬな」
その言葉が、王国の歴史の歯車を一つ動かしたように思えた。会議が終わる頃には、陽が高く昇っていた。私は国王の間を出て、回廊に出る。冷たい風が吹き抜け、海の匂いがまだ残っていた。ルカ様は昨夜よりも静かな顔をしていた。けれどその目は、まだ眠っていないように見えた。
「……無事か」
「はい。少し痛みますけど」
「痛みは、生きている証拠だ」
短い沈黙が流れる。風が二人の間を抜け、草の匂いを運ぶ。ルカ様は少しだけ視線を逸らし、低く言った。
「昨夜、言えなかったことがある」
「……なんですか?」
「お前を“代価”と言われた時、頭が真っ白になった。あんな感情は戦場でも初めてだった」
心臓が強く跳ねる。彼の言葉は静かだったのに胸の奥で何かが弾けた。
「……それは、怒りですか?」
「いや。……多分、違う」
彼はわずかに笑い、その笑みがやけに寂しく見えた。
「守りたいって気持ちは、時々理性を壊すんだな」
そう言って彼は歩き出した。背中が陽に照らされて、遠ざかっていく。その姿が、いつになく孤独に見えた。私は立ち尽くし、胸の奥で痛む心臓の音を数えた。……大好きなゲームの最推しを手のひらで踊らせるはずだったのに! なんか推理ゲームとかRPGとかFPSごちゃまぜなんだけど! こんな怪我するゲームじゃないはずだったのに。でもよけにそれがリアルっていうか、余計に好きになっちゃうんだよね。
――まだ夜は終わっていない。むしろ、ここからが本当の闘いだと思った。
夜明けの海戦から三日。王都はようやく息を吹き返した——はずだった。けれど街の空気はまだ安堵と熱気のあいだで揺れている。英雄の名が一つ、あらゆる噂の中心にあった。ルカ様――黒影を斬り裂き、姫を救った騎士そしてこの国の王子。その名が王都中に鳴り響くたび、私は胸が少し痛んだ。広場に掲げられた絵画ではいつも彼が中心にいる。私はその横に描かれているだけの影のような存在で、それが役割なのだと分かっていても息苦しくなる瞬間があった。セシリア嬢は戦後の会議で正式に「シャロット姫の権限代行」を任された。彼女の凛とした立ち姿は、王国の新しい象徴になっていた。だがその美しい横顔が時折見せる“柔らかい笑み”の行方は——たぶん、私だけが気づいていた。
「ルカ様。あなた、少し痩せたわね」
「戦が続いた。セシリア嬢も無理をなさらぬよう」
「セシリア嬢、ね。あなたは相変わらず距離の取り方が上手ね」
微笑みながら、セシリア嬢は彼の腕を取った。周囲の貴族が息を呑む。けれど彼女はまったく気にしない。むしろ、わざと見せつけているようだった。——まるで、宣戦布告。私はその場の端で控えながら、唇を噛んだ。任務の顔で立っているつもりでも、心はまるで制御不能。……なんで、そんなに近づけるのっ!
彼の手が姫の白い指に触れた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。血が逆流したように、身体が熱くなる。なのに足は一歩も動かない。立場という鎖が私を縛りつけていた。
「――ト・ウ・コ!」
私はその声に驚いて後ろを振り向く。
「うへぇ⁉ あ、アデルさぁぁぁん!」
「帰ってきたなら、メイドとしてこき使うからな。明日から覚悟しておけ?」
「は、はいぃ!」
その言葉で私の背筋がすっと伸びた。
夜、城の回廊を歩いていると後ろから声をかけられた。
「……泣きそうな顔してるな」
振り向くとギブン様だった。相変わらず皮肉な笑み。でもその目は優しかった。
「家に帰らないのですか? それに別に泣いてなんか——」
「おいおい、これだけ活躍した俺が城内に居たらまずい理由なんてないだろ。トウコは嘘が下手だな。あのルカの隣、見てただろ?」
「……見てません」
「そういうところが可愛いんだよ」
軽口に見えて声は本気だった。彼は少し近づき、壁にもたれて言う。
「俺は昔から、ルカより自分の方がまともだと思ってた。でも今は違う。お前を見るたびに心がまともじゃなくなる」
心臓が跳ねた。視線をそらしたけれど顔の熱が収まらない。
「ギブン様、冗談は——」
「冗談で口説くほど器用じゃない」
彼の声は真剣で、逃げ道を塞ぐように静かだった。手のひらが私の髪に触れかけた瞬間――。
「……そこまでだ」
低く、切り裂くような声。振り向くとルカ様が立っていた。月明かりに照らされたその目は、氷よりも冷たかった。
「任務中に私語とは、いい身分だな」
「今は厳密には任務ではないだろう。……嫉妬か? 珍しい」
「違う。ただ不用意な手は切り落とす主義だ」
二人の間に火花が散る。……何でもかんでも戦うのやめれますかね。
ギブン様は笑ったまま肩をすくめ、「じゃあまた後で」とだけ言って去っていった。残された私は何も言えなかった。ルカ様の視線が鋭く私を射抜く。怒っているようででも何か違う。
「……お前、泣くな」
「泣いてません」
「嘘が下手だな」
さっきと同じ台詞を違う声で。そのままルカ様は近づき、手の甲で私の頬に触れた。その手はまだ冷たく少し震えていた。
「俺は、誰にも触れさせない」
囁く声が耳の奥で鳴った瞬間、胸の奥に火が落ちた。……な、何なんだこの男は‼
翌朝、王都は舞踏会の準備で浮き立っていた。海戦勝利と再建の祝賀、そして新しい婚約発表の噂。城の中庭で侍女たちが囁く。
「ルカ様とセシリア嬢がくっつくとか」
「まぁ、素敵……!」
私は笑ってみせた。でも指先がわずかに震えていた。……まだ、終わってない。
終わらせない。
風は新しい季節を告げていた。恋も、戦いも、これからが本番だ。
――王都はその時まるで息を潜めたように華やかだった。復興の祝賀舞踏会。金糸の幕、香の漂う大理石の廊下、笑い声の奥で誰もが誰かを値踏みしている。メイドの私は何とか参加したくて、仮面をつけ、招待客の列の中を歩いた。胸の奥が少しだけざわつく。自分の鼓動が音楽に合わせて速くなる。そして壇上へセシリア嬢が現れた。人々の視線はその一点に集まる。薄紅のドレスが舞台の光を浴びて揺れる。まるで朝露を受けて輝く一輪のバラの様。その姿は絵画よりも完成された美だった。一方の彼女の視線は迷いなく一点を捉えていた――もちろん王子であるルカ様の方へ。
「本日、この場を借りて宣言いたします」
会場が静まる。
「私はシャロット姫の代わりとしてこの場に立っておりますが、ルカ=フォン=アルティア王子と婚約し、いつか胸を張ってこの場所に立つことを誓います!」
ざわめきが広がった。拍手と歓声、驚愕と嫉妬。私はその場で足が止まった。彼の表情が見えなかった。けれどわかった。——今、この人は私を見ていない。……ここまで頑張ってきたのに、あなたを追ってこの世界に来たのに。すべてはあなたの恋人になるため――でも結局は一国の王子であるあなたと付き合うのは、やはり難しいのね。
人の波が押し寄せ、音楽が再開された。仮面の下で呼吸が苦しい。外の空気を吸おうと私は回廊へ出た。夜風が無慈悲にも頬を冷たく打つ。月が高く、庭園の噴水が淡い光を散らしていた。そこに——足音が近づいた。
「……逃げるのが早いことで」
ギブン様だった。手には二つの仮面。私が持っている者よりずっと美しく、スパンコールがあしらわれていた。彼はそのうちの一つを差し出し、微笑む。
「踊らないのか?」
「踊れるほど器用じゃないです」
「だったら俺が誘う」
手を取られる。抗う暇もなく、小さな階段を下りる。彼は庭の舞台へと私を引いた。音楽が遠くで鳴り、風がドレスを揺らす。
「君がルカを見てる間、俺はずっと君を見てた」
その言葉に心が震えた。彼の手が、私の腰に触れる。優しいけれど切実な手。……な、ナリコイでは、ギブン様はこんな熱烈アタックしてくる人じゃなかったはずなのに!
「俺じゃ、駄目か?」
目を逸らした。言葉が出ない。でも頷けなかった。……ギブン様、私はこう見えても初志貫徹するタイプです。もちろん、ギブン様も素敵な方だけど‼
「……ごめんなさい」
それでも彼は微笑んだ。
「だろうな」
そう呟き、絡まった指を離す。
「でもいい。お前が誰を見ていようと、その視線の先に立てるように俺も生きることにする。それにこの物語はまだ終わったわけではない」
夜風が彼の言葉をさらっていった。それは私にとってあまりにも優しくて、痛い告白だった。踊りの音が遠のいたあと、私は庭の奥に立つ影に気づいた。仮面を外し、冷たい瞳がこちらを見つめていた。――ルカ様だ。
「……セシリア嬢の返事はされたのですか? あの場で黙っていて、いいんですか?」
「いいわけがない」
「じゃあ」
「だが今は否定できない。否定した瞬間、お前が――」
その言葉の続きはなかった。静かに風が彼の銀髪を揺らした。ルカ様はゆっくりと近づき、目の前に立った。
「俺は、姫を守る役目がある」
声が震えていた。理性と感情の境が紙一枚で裂けそうだった。
「ルカ様……」
「言うな。今、名前を呼ばれたら抑えがきかない」
静かに告げられたその一言が、私の心を焼いた。風が吹き、彼の外套が翻る。そして彼は背を向けた。
「任務だ。これは恋などではない」
その背中が遠ざかる。けれど私はその言葉の奥に確かに違う意味を感じていた。
舞踏会の喧噪が遠くへ沈み、王都の夜は静まり返っていた。だがその静けさは安らぎではなく、嵐の前の息継ぎのように重い。私は侍女たちの片付けを手伝いながらも、心の奥が落ち着かなかった。――ルカ様の無表情、セシリア嬢の婚約宣言、そしてギブン様の告白。胸の中で何かがぶつかっては砕け、その破片が眠ることを許してくれそうになかった。……ルカ様、私はどうすれば。
「あ、あの! セシリア様がお呼びですっ」
息を上げて走ってきた侍女の声に、思わず顔を上げる。気が付けば手の中のグラスが震えていた。
彼女の部屋は、灯りが一つだけ点いていた。香の匂いが薄く漂い、カーテンを揺らす夜風と共にこちらへ吹き寄ってくる。ノックをして扉を開けた瞬間、セシリア嬢は鏡の前で、金のまとめ髪をほどいていた。
「入っていいわ、トウコ」
穏やかな声。けれどその背中には揺るがない意思が宿っている。
「……今夜のこと気にしているのね」
「……セシリア嬢」
「あなたが私をどう見ているかもう分かってるわ。それを知ってどうかするということもない」
セシリア嬢はゆっくりと振り向く。裸足のまま、床を歩いて近づいてくる。月光が髪を照らし、その瞳がまっすぐに私を射抜いた。
「ルカ様のことが好きなのね」
それは問いではなかった。ただ事実を確認する、宣言のように重く響いた。私は言葉を失い、ただ視線を落とした。……今となっては姫ポジのあなたには言えません! ルカ様のことがこの世界に来る前から、何なら出会う前から好きだったことなんて絶対に言えないです‼
沈黙が長く続いた。やがて彼女は小さく息をついて笑う。
「私ね、嫉妬してるの。だってね彼が私を見る時の目より、あなたを見る時の方が……少し柔らかいから」
「っ、いえ。そんなことは——」
「そんなこと、あるのよ。気づいてないのはあなた達本人たちだけだわ」
セシリア嬢の微笑みは、どこか痛々しかった。それは勝者の顔ではなく、まぎれもない恋する一人の女の顔。
「でも、私は負けないわ」
その一言に、息が止まった。彼女はそっと私の頬に触れる。
「あなたも彼を想うなら、立ちなさい。泣くことも逃げることも許さない。——女は、想いを誇りに変えて戦うものよ」
指先が離れた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。……そうだ、私は何のためにここに来たの? トウコ、思い出して。私はルカ様を個の手のひらで躍らすためにこの世界で戦ってきたじゃない!
「……負けません」
かすれた声だった。でもそれは本心だった。セシリア嬢はふっと笑い、背を向けて窓をそっと閉じた
「それでいい。でもね——どちらが勝っても、きっと羽は私たちを狙うわ」
「……羽が?」
「彼らは消えていないわ。むしろ今夜の舞踏会を“見ていた”かもしれない。愛も忠義も、奴らにとっては利用する道具にすぎないのだから」
その言葉に寒気が走った。月が雲に隠れ、部屋が暗くなる。
「トウコ。もし、ルカ様が狙われたら……あなたはどうする?」
その問いに私は即答した。
「守ります。命に代えても」
セシリア嬢はしばらく黙っていた。そして静かに微笑む。
「——なら、あなたはもう私の敵ね。とても大きなライバル」
その微笑は悲しくて美しかった。彼女は背を向けたまま続けた。
「いい夜を。嵐はすぐそこ、かもしれないけれど」
一礼して部屋を出るとき、私は振り返らなかった。でも背中で感じた。彼女もまた、涙を堪えていたことを。廊下を歩く足音が妙に響いた。外の空気が重い。窓の向こう、黒い雲が動いている。まるで彼女が言ったように王都の上に、大きな影が落ちようとしているように。……羽、確かにまだ終わってない。
――深夜一時。王都の警鐘が鳴った。鉄を叩くような重い音が石壁を震わせる。ベッドで布団にくるまって、うとうとし始めていたまさにその時のことだった。
「南門突破! 羽の残党だ!」
通信士の叫びが響くより早く、私は走り出していた。 寝間着のまま廊下を飛び出し、腰のトレイを掴む。金属製の円盤。護身具であり、この世界での私の武器。戦場では銃弾よりも多くの命を救ってきた。階段を下りる途中で、誰かの影が現れる。
「トウコ!」
息を荒くしたカイ様が、剣を肩にかけて駆け寄ってきた。
「南側、炎上中だ。ルカとギブンが先行してる」
「セシリア嬢は?」
「避難中だ。だが“羽”の奴ら、狙いが彼女だって噂だ」
「行きましょう」
二人で階段を駆け抜ける。廊下の窓越しに見えた王都の空は、赤と黒が混ざりあったような地獄の色だった。
中央広場に着いたとき、すでに剣同士が火花を散らす音と悲鳴が交錯していた。炎の中に見えるのは黒衣の男たち。白い“羽”の刺繍が胸に刻まれている。その数ざっと五人、いや——十人以上。ルカ様がその中央で剣を構えていた。ギブン様は横で制圧射撃。弾アデルさんが背後の瓦礫から狙撃支援。皆、その指先がわずかに震えていた。
「ルカ! 背後から二人!」
「分かってる!」
ルカ様とギブン様の協力プレイが炸裂し剣が閃く。火花が散り金属の軋む音が響いた。私はトレイを構え、敵の一人がこちらに突っ込んできた瞬間、全力で振り抜いた。金属が頭蓋を叩き、鈍い音が響く。敵が崩れ落ちる。息が荒くなった。心臓が速すぎて、胸が裂けそうだった。
「トウコ、下がれ!」
ルカ様の声。
「無理です!」
「命令だ!」
「それでも!」
声を張った瞬間、敵が飛びかかってきた。私はトレイを盾に構え、衝撃を受け止める。膝が軋む。相手の腕を掴んで捻り、体勢を崩させ、そのままトレイの縁で喉を打ち抜く。
……どうして、こんなはずじゃなかったのに。私はただのOだったはずなのに。
温い血が頬にかかった。それでも手は止まらなかった。
「後方にセシリア様を確認!」
アデルさんの声が響き渡る。彼女は防衛隊を引き連れて、北門から逃げる途中だった。だが南側の路地に動く影。人影が——もう一人。その中央に立つ男の背には、黒いコート。風に翻るその裾に、銀糸で刺繍された羽の紋章。ルカ様がそれを見た瞬間、表情を変えた。
「……羽の“影将”だ」
彼が呟く。
「影将……?」
「羽の中でも命令権を持つ層。ギブンが幹部だと特定した」
その男が炎の向こうでゆっくりと帽子を脱いだ。痩せた顔、深く刻まれた皺。笑っていない口元。だがその目は異様に澄んでいる。
「貴様がお前が俺を斬ることはできない」
「やってみるか」
言葉と同時に二人が動く。剣と刃物がぶつかり合う音が夜に溶ける。ギブン様が援護しようとした瞬間、上空から瓦礫が落ちた。
「危ない!」
私が押し出したその瞬間——視界が白く弾けた。ひどい耳鳴り。世界が揺れるような感覚に陥る。腕の中にあったのは——ルカ様の身体。彼が私を庇っていた。背中から血が流れている。
「……ルカ様!」
「大丈夫だ……まだ……」
彼は苦笑した。血が唇を濡らす。その赤は炎より鮮やかだった。ギブン様が剣を構え直し、叫ぶ。
「カイ! アデル! 制圧線を上げろ! ルカが落ちる!」
カイ様が即座に応じる。アデルさんも後方から援護射撃を行う。その剣が風を裂き、羽の兵が次々と倒れる。煙の中で、私はトレイを握り直した。ルカ様を地面に横たえ、立ち上がる。
「下がってください」
ルカ様が私の腕に触れるが、その手を払いのけた。
「トウコ——お前は」
「命令は聞きません。守りたいと思った人を守る。守られてばかりじゃダメだってずっと思ってました。だからもう決めたんです!」
敵の一人が突進してくる。私は体を低くして踏み込み、トレイを胸に叩き込んだ。骨が砕ける感触が腕を伝う。敵が崩れる。私も膝から崩れ落ちた。深く息を吸い、気持ちを何とか落ち着かせる。焼けた空気が肺に刺さる。ふと顔を上げた時、燃え上がる塔の上に一つの影が立っていた。風が吹く。長い外套がなびく。その男がまるで夜空に語りかけるように呟いた。
「——“羽”はまだ眠っていない」
その瞬間、王都全体の灯りが一斉に落ちた。光が消え、燃え盛る炎だけが残る。……急に何⁉ 停電とかではないだろうけど。なんかまずい予感がする!
暗闇の中ルカ様の声が低く響く。
「トウコ……立てるか」
「はい」
「こいつら……今夜だけで終わらない」
風が止んだ。焦げた匂いの中で、白い羽が一枚ゆっくりと落ちてきた。世界がスローモーションのようにその一枚を見せつけているようだった。そしてそれは私の目の前で焼け焦げて黒く変色した。そしてその瞬間、ドサッという音が聞こえて――。
「ル、ルカ様⁉ 返事してください! ねぇ、ルカ様‼」