最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る
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冬の名残がほんの少しだけ残る風が吹いた。王都の大通りでは、春祭りの準備が進んでいる。露店の屋根に吊るされた紙灯が淡い橙に灯る。私は小さなカフェを始めていた。転生するまで縁遠かった、ゆったりライフを過ごすのもいいなと思ったからだ。看板を立て直し、トレイでそっと埃を払った。名前は《ノワール》。黒羽を意味するその名をつけたのは、皮肉にもルカ様だった。「影がなきゃ光は映えないだろ。お前のやってることは、影を整える仕事だ」と言っていた彼の笑顔を思い出して、たまにつられて微笑んだりしている。その度に胸の奥が少しだけ痛む。いや、“痛む”というより、“動き出す”感じがする。あれから一年が過ぎた。この世界に来て、春祭りを見るのも二度目になろうとしていた。私はこの店を拠点に、王都の再建に関わる者たちの休憩所を作った。トレイひとつで始めた仕事は、いまや小さな社会の縮図になっている。
早朝、紅茶の匂いにつられるようにやってきたのは――シャロット姫と二人の少女だった。
「おはようございます。シャロット姫、そちらの子たちは?」
「トウコ、おはよう。この子達はお腹がすいているそうなの、二日も何も食べてないんですって。何か準備できたりする?」
「なるほど。これ、今日の朝食メニューなんですよ。もちろん、姫の苦手なものは入っていないですよ♪ なのでこれをみんなで食べましょう!」
「え、お金持ってないのに……お姉ちゃん、いいの?」
「もちろん」
子供たちは目を輝かせた。私は姫とアイコンタクトをした。今となってはシャロット姫は街を出歩けるほど回復した。それに、姫としての矜持が板についているようだ。病弱で細かった手足は多少、肉付きがよくなっている。これは間違いなく私の朝食のおかげだ。時折こうやって、城での朝ご飯をカットして内に食べに来てくれる。……まず人間関係は外堀から! まぁ、シャロット姫と単純に仲良くなりたいと思ってたしね。
彼女は美味しそうにプレートを完食すると、〆のローズティーを飲んで公務に出かけて行った。かつては自分の不安でいっぱいだった内心を、今は他人の一日を温めるために使っているようだ。子供たちも食べ終えると、一礼して街へと消えていった。どちらもまた来ることを約束して。
昼過ぎ、扉のベルが鳴った。入ってきたのはギブン様だった。軍服の襟を緩め、椅子にどかっと腰を下ろす。
「おい、またメニュー増やしたのか」
「ええ。“戦わない人たち”が食べられるものって条件で。あと、お金がない子供向けの無料の食事を提供することにしました!」
「トウコ、お前のそういうとこは敵にしたら一番厄介だわ」
「……あの、ところでなんですけど、セシリアとはどうなってます? こないだお泊り会したんですけど、彼女全然教えてくれなくて! だからギブン様に聞くしかないかなーっと」
「ば、馬鹿。まだ何もねぇよ……」
「まだ、ですか」
「まったく、うるさいなぁ」
彼は大きく咳払いを一つしてカップを手に取る。表面には薄い泡の模様。それを眺めながら、ギブン様が呟いた。
「ルカは今どこに?」
「北方の会議です。貴族評議会との調整で三日ほど」
「……また“あの人”に突っかかってるんじゃねぇのか」
「たぶん、です」
二人で笑った。あの頃の戦場を思い出す。火花と煙と焦げた匂い。けれど、あの中で確かに“生きたい”と思った。今もその気持ちは変わらない。
午後。おやつ時の三時、市場から帰ってきたカイ様とアデルさんが現れる。カイ様は相変わらず腕時計を見て、「段取り通り」と頷く。アデルさんは花束を持っていて、鼻で笑った。カイ様は一枚の手紙を取り出した。
「相変わらず灰の薔薇は沈黙を貫いてるな。……これセシリア嬢が送ってきた。議会承認が通ったってさ」
「本当ですか?」
「ああ。“新しい教育制度”。孤児や労働者にも学問の門を開くんだと。ほんとにあいつらしいよなぁ。それにギブンとも――」
胸が熱くなった。彼女は理性の勇者だ。誰よりも冷静で誰よりも傷つきやすい。その彼女が今、堂々と国を動かしている。
「お前も行けよ、式典」
「私は裏方です。表には出ません」
「トウコ、お前まだ分かってねぇのか?」
アデルさんが笑って言った。
「もう裏なんてないんだよ、トウコ」
夕暮れ。扉のベルがまた鳴った。振り返る。――銀の髪。ルカ様が立っていた。旅塵をまとい、外套の肩口に春の埃をつけたまま。胸が一瞬で熱くなるのを感じた。……推しがやっぱりかっこよすぎる!
「おかえりなさいませ、殿下」
「……その呼び方、まだやめないのか」
「では、“ルカ様”とお呼びしますね」
「それも微妙だ」
「じゃあ、一旦挨拶ということで――おかえりなさいませ」
「……ああ、ただいま」
彼が微笑んだ瞬間、すべての音が遠くなった。外のざわめきも、鐘の音も何もかも。その一言で、私の世界が春色に色づいた。
「仕事、終わりました?」
「ああ。けどやることは増えた」
「また国の話ですか?」
「いや“人の話”だ」
彼はポケットから、小さな箱を取り出した。古びた銀の懐中時計。前に私が直したものだ。
「動かなくなった」
「油切れですね。すぐ直せます」
「じゃあ……」
彼が机に置いた。私は工具を手に取り、分解する。
「相変わらず器用なもんだな」
「段取り屋ですから」
「そういう意味じゃない。現に今はカフェをしている一般市民だろ」
「あ、まぁ今はそうですね。また羽が動いたりしたら、一般市民じゃなくなりますけどね」
顔を上げると彼の瞳が真っすぐこちらを見ていた。春の光が差し込み、その中で微笑むその人が私は本当にどうしようもなく好きだった。
「ルカ様」
「ん?」
「私、あなたに愛を伝えたのはいつが最後でしたっけ。最近は全然愛を伝えていないような気がします。こんなにすぐに推しがいるというのに……私結構もったいないことしてますよね?」
彼の眉が上がった。
「それは……今更か?」
「いえ、逆に今だからこそです」
手の中で、時計の針が再び動き出した。小さな音。それが私たちの鼓動みたいに聞こえた。
「……動いたな」
「ええ。もう止まりません」
「どっちの話だ?」
「両方です」
二人で笑った。
夜になった。店を閉め、裏口の階段を上る。屋上には私たち以外誰もいない。王都の灯が遠くに揺れている。やってきたばかりの春が私の頬を撫でた。
「トウコ」
「はい」
「お前、本当にもう“仕える”って言葉、やめたのか」
「やめました」
「じゃあ、今は何なんだ」
「“隣にいる”です」
静かに手が重なった。
「……お前の段取り、聞こうか」
「え?」
「俺の未来の、だ」
「そんなの、まだ白紙です」
「なら、一緒に書くか」
息が止まる。その言葉が、どんな誓いよりも強かった。遠くで、春祭りの花火が上がった。音が夜空を割り、光が街を照らす。その下で私は小さく笑った。
「また踊りますか、今日私は気分がとてもいいんですよ」
「それはいいことだが……音楽は?」
「花火の音があるでしょう? 十分じゃないですか」
「……なかなかにハイセンスだな」
「私、花火好きなので」
彼が肩をすくめる。そして手を伸ばした。
「なら——もう一度だけ」
火花の光が私たちの影を包み、ゆっくりと踊りが始まった。静かな夜。踊りながら、私は思った。……この一年半ほどであまりに多くを失い、そしてあまりに多くを得た。“守る”ことと“生きる”ことは、もう別の意味じゃない。どちらも、人の心が動かすものだ。かつて私は、ただの段取り屋だった。今は違う。彼と共に一つの舞台を作っている。人生という舞台を。ゲームを越えた自分たちだけのシナリオを描き続けている。夜が深まり、花火が終わる。風の中で彼がぽつりと呟いた。
「なあ、トウコ」
「はい」
「今でも俺は扱いにくい王子だと言われているらしい」
「もはや光栄じゃないですか、あなたはいつだってこの世界の最難関攻略キャラなのですよ」
「どういうことだ? トウコは俺についてどう思ってるんだ」
「そうですねぇ。まだ攻略途中ですよ」
「……どこがだよ」
「全部です。あなたはみんなの言う通り、扱いづらいですからね」
「それ、お前が言うか?」
「はい」
私は笑った。風が強く吹き、春の花びらが夜空に舞う。彼がふと私の手を握った。その力がほんの少しだけ震えていた。私は何も言わず彼の手を握り返した。
「この先、また戦いが来るかもしれない」
「そうですね」
「その度にまた俺を踊らせる気か」
「もちろん」
「懲りないものだな」
「それが私の生き方ですからねって、わぁぁぁ! なにしてるんですか!」
突然ルカ様は私の身体を持ち上げた。
「お、下ろしてくださいよ! 重いでしょう⁉」
「そうか高い所が嫌いなのか。すまない、下ろすぞ」
「いや、そういうのじゃないですけど!」
……推しについに抱っこされてしまった。しかも本物の王子がするお姫様抱っこ! これ、もう私お姫さまってこと⁉ ってまだキスもしてないのにこんなに騒いで私ってピュアすぎるかな。
ゆっくりと地面に足をつけた。そして再び彼の隣に座る。彼の肩にもたれながら私はそっと目を閉じた。