最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る

 王城の一日は早い。灰階段を滑るように昇り、白い廊下に音を立てずに移動し、重い扉を支え、茶器の角度を合わせ、花の茎を斜めに切る。覚えることは山ほどあったが頭と体は不思議と軽かった。なんていったって、同じ城のどこかにルカ様がいる。それだけで酸素が甘酸っぱいレモン味になる気がした。配属初日の私の仕事は“市場視察後の殿下衣装室の整理”だった。市場視察――それはつまり。
「失礼しま――」
 そこに銀髪のイケメンがいた。衣装部屋の窓辺に立ち、外を見ている。冷たい横顔、美しすぎるEライン。私の心臓は漫画みたいにトゥンクと鳴った。
「っ、ル……殿下の衣装の整理に参りました」
 ……危ない。あやうくルカ様と言いかけた。練習の成果を発揮しなければ。
 私は一礼し手早く外套をたたむ。袖口に小さなほころび――針を手に取り、指先で裏地をめくる。
「……何をしている」
「ほころびがあったので、直します」
「その程度、誰でも――」
 私は指で糸を送り、二目返して結び目を裏に落とす。癖のある糸だ。革の袖口に綿糸、引きが強いと歪む。優しくだけど確かに進めた。
「終わりました」
「……早いな」
「殿下は手首をあまり見せないので、縁を硬くしすぎると肌に当たります。なので柔らかめに」
 沈黙が漂う。その横顔がほんの一度だけ私の指先を見た。……見た! 今、推しが手を見た!
「下がれ」
「御意」
 私は一礼し、部屋を出る――ふりをして三歩分だけ遅らせた。銀の声が窓に向かって落ちる。
「……あいつ。ハァ、面倒な女だ」
 ……ちょっそれ、完全に褒め言葉だからっ。ついでに蔑んだ目線も欲しかったなぁ。
 耳まで赤くなりながら廊下に出ると、白いドレスの絹が私の前に滑り込んだ。金色の髪がきらきらと揺れている。鼻をくすぐるのは女の子の香り。彼女はくるりとこちらを振り向いた。
「あなた、新顔ね?」
「配属になりました。トウコと申します」
「新人のトウコね、私はセシリア。王都の学寮に通うの。――殿下のご学友よ」
 ……うわ出た、正規ルート最強サブヒロイン! セシリア嬢じゃーん!
 セシリア嬢ーーゲームでは“理知の薔薇”。誰に対しても礼儀正しく、気品がある。でも彼女のルートの最奥では、鋭い観察眼と覚悟を見せて推しを救う、そんな子。
「あなた、手がきれい」
「え」
「先ほどの針の運び。見ていたわ。――あなた、彼の袖口に触れた。普通は許されない」
 喉がぎゅっとなった。彼女の瞳は笑っているのに、底が見えない。
「でも、彼は何も言わなかった。珍しいことだわ。ねぇ、新人さん。あなた――」
「セシリア嬢」
 銀の声が廊下を横切った。ルカ様が出てくる。私は即座に最敬礼。彼女は微笑んで一歩退いた。
「ご学友、あいかわらずご壮健で」
 ……会話が貴族語だ! 字幕ください!
 二人がすれ違う瞬間、ルカ様の視線がわずかに私に滑った。ほんの刹那。けれど確かに。……よし、今日のご飯三倍!
 ――と浮かれたのも束の間。午後、王城に異臭が走った。焦げた金属と湿った灰の匂い。誰もが鼻を覆っていた。
「爆風!」
 アデルさんの叫びと同時、灰階段の下で轟音。灰が巻き上がり、視界が白く塗り潰される。私はとっさにトレイを盾にし、口元を布で覆った。灰の中から影が二つ、三つ――
「警報!」
 鐘が鳴る。騎士たちが飛び込む。灰をまとった黒衣の男が叫んだ。
「〈灰の薔薇〉に栄光を!」
 反乱組織――ゲームの台詞が粟立つ皮膚の下を走る。……ここでルカ様が――。
 灰が晴れた先に美しい銀髪が揺れる。彼は一歩で男の距離に入り、肘で顎を打ち、膝で鳩尾を抜いた。無駄のない動き。速い、静か、美しいの三拍子だ。
「もう一人!」
 背後の影――私は咄嗟に持っていたトレイを投げた。銀の弧はカンと音を立てて、黒衣の手から筒を落とす。そして地面に舞い落ちた筒から火花が散る。
「伏せて!」
 私はリナを抱いて床に転がった。爆ぜた薬包から炎が走る。だが、次の瞬間――冷水が頭から降ってきた。上階の消火樽を誰かが倒したのだ。濡れた床に灰が貼りつく。
「リナ、無事⁉」
「だ、だいじょうぶ……!」
「水を止めろ!」
 ルカ様の声。私は濡れた床に膝をつき、拾った筒を見た。先端には極小の刻印。見覚えのない紋章。薔薇の蔓――だけじゃない。蔓に絡む、針のような意匠。嫌な寒気が襟足を撫でた。……なに、この展開。全然ゲームにないんだけど!
「トウコ」
 顔を上げると目の前にはルカ様が立っていた。濡れた髪から滴が落ちる。冷たい瞳に、薄い焦りの色。
「危険だ。下がれ」
「殿下――」
 口が勝手に動く。
「お怪我は?」
 一瞬、彼の瞳が揺れた。それはほんの、ほんの一滴の温度。
「……ない」
「よかった……」
 胸の真ん中がゆるむ。私の言い放ったよかったが勝手に零れ落ちる。私は次の瞬間、我に返った。……まずい、職務怠慢‼
「濡れた床は滑ります。こちらへ」
 私は彼の前に立ち、濡れた床の埃と灰を払い、進路を作る。彼は何も言わずついてくる。すれ違いざま、アデルさんが微かに頷いた。息が合い、少し喜ぶ。……いや違う。これは仕事。でも嬉しいものは嬉しい。
 事件はすぐ“未遂”として片付けられた。犠牲者はなし。灰階段の壁が一部崩れただけ。だが、裏では騎士団が走り回っている。〈灰の薔薇〉――ゲームでも出た名前だが、動きはもっと鈍かった。今は早い。速すぎる。
 夜、私はギブン様の書斎で刻印を紙に写し、考え込んでいた。セシリア嬢が音もなく入ってくる。
「セ、セシリア嬢はどうしてここにっ」
「今それはいいの。……その刻印、見せて」
「かしこまりました」
 彼女は紙を覗き込み、細い指で意匠の一点を示した。
「薔薇の蔓の節が一つ多い。これは旧王朝の密造印。……それに針。これは刺繍針。王城の内から――」
 言葉がそこで切れ、彼女は私を見る。試すように、測るように。
「あなた、ただの新人じゃないでしょう」
「私は……ただの、推しの平穏を願う民です」
「ふふ。可愛いこと」
 セシリア嬢がほんの少しだけ笑った。
「敵は内にいる。そう仮定するのが妥当ね。――殿下の周りを薄く、見えない糸で囲いましょう」
「協力してくださるのですか?」
「協力も何も……彼が、好きだから」
 私の胸がきゅっと鳴った。……ああ、これがヒロインの矜持。綺麗だし眩しい。でも、負けない。今、私は主人公としてこの世界にやってきたのだから。
「じゃあ、私は見習いメイドの鈍くさいふりで近くにいます。セシリア嬢は、社交界側を」
「役割分担ね。いいわ、トウコ」
「はい」
「あなたの目はまっすぐ過ぎる。刺すなら、最後まで刺し通しなさい」
「はい。私、推しを刺すのは視線だけなので」
 セシリア嬢が呆れて笑う。そのあとすぐに彼女はギブン様の邸宅を離れていった。
 その夜、私は王城の裏庭で深呼吸をした。大きく吸って吐く。月が白く、草は甘い匂いがする。眼前の練兵場では、騎士たちが交代で見張りをしている。ルカ様はいない。任務に出たらしい。胸の奥が寂しい音を立てた。
「……大丈夫。これはゲームじゃない。私は見て動けるんだから」
 私はポケットからルカ様の白い布を取り出した。こんな夜に嗅ぎたくなる紅茶と革の匂い。……私、ヘンタイすぎるっ⁉ でもいい匂いすぎるのが罪なの。
「うわ、やる気出る……」
 鼻に布を当てた瞬間――背後の茂みがかすかに鳴った。
「誰?」
 返事はない。だけども風ではなく、確かにそこには人の重みがあった。私はしゃがみこみ、拾い上げた砂利を三つ、指の背で弾く。カンと柱に当たり、暗い影がひるむ。その刹那、私はそこに飛び込んだ。
「出てこい!」
 引っ張り出したのは、背の低い黒衣の影――
「……リナ⁉」
「ト、トウコ……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 涙目のリナの手には銀の小さな板。刻印――さっきの“密造印”。
「どうしてこれを」
「私の里……仕事をしないと、お兄ちゃんが……!」
 言葉にならない声。震える肩を見ると胸がきゅっと痛んだ。ゲームと違う。これはただのモブの涙ではない。
「リナ。大丈夫よ、あなたは悪くない」
「でも……」
「でもじゃない。悪いのは“これ”を押しつける人」
 私は彼女の手から銀板を受け取り、そっと抱きしめた。ここから私のルートは変わる。推しだけじゃない。救えるものは全部救う。それがきっと、この世界に転生してきた私の宿命なのだ。
「私が考え付く方法といえば……ギブン様の助けをもらうってことくらいかな。そして、あなたを巻き込んだ人間を見つけて止める」
「……うん」
 顔を上げたリナの目に、小さな炎が灯っていた。
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