最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る

 数日後。王城では親善の舞踏会が開かれることになった。各地の領主や商人、学寮の代表、生徒たち――そして王族。裏では、〈灰の薔薇〉の動きに対応するため、警備が二倍。セシリア嬢は社交界の噂を集め、私は裏導線の点検に明け暮れた。
「仮面舞踏会、ね。顔を隠せば悪意も紛れ込む」
 アデルさんが短剣を磨きながら、低く言う。
「メイドが短剣持っていいんです?」
「良くはない。だが、持つっ」
「か、かっけぇ……!」
「浮かれるな。お前はトレイ担当だ。いいな?」
「はい、トレイ持ってます」
 私はトレイを盾に王城の裏口から舞踏会場へ。煌びやかなシャンデリア、色とりどりの仮面、渦巻く金の笑い声。そして優雅な音楽、漂う甘い香り。視界の端で銀が動いた。仮面の下でも私はわかる。歩幅、背筋、空気。……いた、多分あいつだ!
 ――と同時に、冷たい視線が肩をかすめた。黒い仮面。蔦に刺。刻印と同じ意匠。奴らだ。ここでイベントが――頭の中で、ゲームの“未公開選択肢”が開いた気がした。
 ▶ A:見なかったふりをして正規警備に知らせる
 ▶ B:近づいてトレイでぶん殴る
 ▶ C:踊るふりで進路を塞ぎ、推しを誘導する
 ……Bは気持ちいいけど悪手! Aは遅い! これは絶対にCだ!
 私は息を吸い、仮面の紳士のふりをした――全然見た目はメイドだけど。トレイを斜めに構え、ルカ様の進路と黒仮面の間に滑り込む。
「失礼いたします」
 カンッ――トレイが燭台を叩き、火花が散る。黒仮面の視線が揺れた。半歩、二歩。私の足が踊る。ステップ、ステップ、ターン。……私、踊れたっけ? 踊れ!
 リズムはオタク現場で鍛えた。サビ落ち、マサイ、推しジャン。その全部を私の足に込めて踊る。
「……何をしている」
 ルカ様の声が背中に落ちた。
「ご案内です、殿下」
「どういう」
「“灰”です」
 短い会話で彼は理解したようだった。私の肩越しにその視線が鋭くなる。彼は片手を差し出した。仮面の下の目がまるで命じるような光を帯びる。
「ならば踊れ」
「は、はいッ!」
 ルカ様と私が広間を滑る。ステップ、ターン、すれ違いざまに視線だけで合図。私はトレイで視界を作り、彼は黒仮面の間を切り裂く。舞踏会場の真ん中、光の中心。楽の音が高まる。二拍子、四拍子、八拍子。視界の端でセシリア嬢が合図を送り、アデルさんが灰階段の扉を閉じた。網が閉じた。
「今です!」
 私はトレイを床に滑らせ、黒仮面の足を絡め取る。彼がよろめいた瞬間、ルカ様の袖が風を裂いた。仮面が跳ね上がり素顔が露わになる。……ん、どこかで見た顔? あっ。
 ――それは面接の際の左隣に座っていた彼。配膳係の青年。目に泣く寸前の濁りが露われる。
「君は……」
 ルカ様の声が、やわらかくほどける。
「誰も、最初から盗みたくて盗むわけじゃない。……そう言ったな。なら」
 彼は剣を鞘から少しだけ抜き、音だけで威圧を消した。
「何が、お前をここへ連れてきた」
「……妹が。病で倒れて。それで薬が、お金が」
「旧印の連中が、弱者を捕まえるのは常套」
 セシリア嬢の声。周囲の仮面がざわつく。私は青年の袖をそっと掴んだ。
「大丈夫。あなたは今話した。だからその罪をここで止まらせることができる」
「もしも止まれなかったら?」
「――私が止めます。物理で」
 目の端で、ルカ様が鼻で笑った。仮面の下の目が、いちどだけ柔らかく細くなる。
「アデル。連行しろ。……だが、治療院へ支度金を」
「よろしいのですか、殿下」
「下がれ」
 短い命令。けれどその音は優しかった。音楽が再開する。人々のざわめきが、何事もなかったように美しく流れ始める。だけどこの夜、王都の空気は確かに変わった。〈灰の薔薇〉は外からだけじゃない。内にも根を張っている。ならばその根を抜くほかないだろう。それも根こそぎ。――曲が終わる。ルカ様が私の手を離す。指先に熱が残る。私はうまく息ができず仮面の内側に汗が滲んだ。
「殿下」
「……なんだ」
「踊り、楽しかったです」
「……変な女だな」
「それ、今日で七回目です」
 仮面の奥で、彼がほんの少しだけ笑った気がした。
 舞踏会の夜更け、私は中庭のベンチで一人、息を整えていた。足が笑っている。膝も笑っている。全身が笑っている。私は仮面を外し、ようやく夜気を吸う。
「――会場の熱は下がったようだな」
 背中から落ちた声に振り向く。ギブン様――月が彼の髪を縁取っている。
「いらっしゃっていたのですね。私は今回の一件で、推し熱は上がりましたけど」
「知ってる」
 ギブン様は隣に腰掛け、静かに言う。
「セシリア嬢が言っていた。トウコは異常なほどの執着がこの世界ありそうだとと」
「そんな大層な。私はただルカ様に生きててほしいだけで。……というか、セシリア嬢と知り合いなら早く言ってくださいよ!」
「あぁ、すまない。まぁ、それで十分だ。彼の生に理由が増える」
 胸が静かに燃えた。そんな言葉は一度ももらったことがない。私が生きていて、誰かの理由になったことがあるだろうか。
「トウコ」
「はい」
「――近いうちに城を出る任務がある。辺境の鉄鉱山だ。〈灰の薔薇〉の資金源が潜んでいる可能性がある」
「なぜそんな情報をお持ちで⁉ 何者なのですか、ギブン様」
「ギブンだが、ナメてんのか?」
「滅相もないですぅ。私、その任務行きます。私に行かせてくださーーい‼」
「まだ“行け”とは言われていないだろう」
「言われる前に言います」
「……やれやれ」
 ギブン様が笑う。月が白く、夜が深い。ルートはもうとっくにゲームの台本を外れた。
 ……任務って何⁉ ナリコイってそんなミステリー要素はなかったはずだけどもっ!
 だったら――私は拳を握った。ここから先は私の手で書く。バッドエンドの欄なんて、ぜんぶ塗りつぶしてやる。風が頬を撫でる。遠くで鐘が鳴る。私は小さく呟いた。
「ルカ様、いつか私はメイドから這い上がって恋人になる女ですっ」
 月が笑った気がした。
 都の朝は石畳が冷たくて、馬の蹄の音がよく響く。ギブン様の指示書を胸の奥で反芻しながら、私は荷馬車の端に腰を下ろした。任務名は「鉄鉱山供給線の調査・切断」。目的地は灰峠の向こう、蒼狼騎士団の駐屯地だ。
「あのギブンに選定された王都女子がまさかお前だとは――三半規管は覚悟したか」
 低い声に顔を上げる。銀の外套に鋭い目。言わずもがな私の最推し。ルカ様は馬上でいつものように風景の一部みたいに綺麗だった。
「殿下、三半規管も推しに鍛えられてます!」
「なにを言っている」
 ギブン様が隣で咳払いした。
「任務中は殿下ではなく隊長だ。トウコ、お前は補助(サブ)」
「了解、ギブン様そして隊長!」
「……補助のくせに声がでかい」
 荷台の反対側では、アデルさんが無表情で短剣を磨いている。セシリア嬢は学寮の連絡係として王都に残留。代わりに今回の任地案内として蒼狼騎士団から一人――
「団長代理のカイだ。よろしくな、トウコ嬢ちゃん」
 日焼けした肌、明るい茶髪、笑うと犬っぽい八重歯。やたらと眩しい。鎧は無骨だけど、動きはしなやか。……こ、これは陽キャ成分たっぷりのイケメン! ここにきて新キャラ登場はアツすぎるぅ。
「よ、よろしくお願いします!」
「意外と手の皮が厚いな、王都のメイドにしちゃ珍しい。働き者ってのはいい女の条件だぜっ☆」
「お、おい。カイ、ストップだ。はじめましてでそれは距離が近いぞ?」
 ギブン様の声が二度ほど低くなり、カイ様は肩をすくめた。
「へいへーい、焼くなよ参謀殿」
 ……おお……早速、火花。いや、それにしても何の火花よ。キザ三番勝負?
 荷馬車が軋んで動き出す。私はひそかにトレイを膝に立てかけ、振動に合わせて指先でバランスを取り続けた。推し活の基本は揺れても落とさない。人生も同じ。ルカ様の背中を目で追いながら、私は腹の底で小さく誓う。……絶対、誰も落とさないから。
 ――灰峠は名前どおり灰色だった。岩肌は斑に削れて、細い道は風のたび砂を吐く。昼は焼かれ、夜は切れるほど冷たい。蒼狼の駐屯地に着く頃には、私の三半規管もさすがに根を上げかけていた。
「着いたぞ。ようこそ砂と鉄と汗の楽園へ」
 柵の向こうから野太い歓声。鍛冶台が鳴り、革の匂いに金属の熱が絡む。蒼狼――その名のとおり上衣は濃い青。狼の紋が肩で吠える。荒いのに、不思議なほど隙がない。
「隊長、報告を」
 副官らしき青年が地図を広げた。鉱山の坑口は三つ。今は二つ閉鎖、一つのみ稼働。ただし――。
「この一か月、運び出しは表の帳簿より二割多い。どこかで横抜きがいる」
 カイ様が顎で北の赤茶の尾根を示した。
「裏の口が一つ開いてる。旧王朝時代の逃げ穴だ。俺らも場所までは掴めてない」
 ルカ様は地図に影を落とし、短く命じる。
「夜、偵察をするぞ。昼は見張り線の整理。――ギブン」
「承知」
 配役が決まる。私は補助。糧食、道具運搬、雑音消し、視界確保、そして――灰の匂いの見分け。地味だけどしっかりと命を守る仕事。
「トウコ嬢ちゃん、これ持てるか?」
 カイが担いでいた水樽をひょいと寄こした。ずっしりとその感覚が腕に伝わる。けど、それを抱える。推しのサイン会でダンボール四箱を捌いた経験が火を噴く。
「いけます!」
「はは! やっぱ強ぇわ」
 目が合って、彼は悪戯っぽく片目をつぶった。その瞬間、なぜかギブン様が視線を逸らし、空を見た。……うん? 風向きでも読んでるのかな?
 夜の灰峠の月は薄い鉛色で、風が草の先に刃を立てる。私たちは息を殺し、裏口の目星をつけた尾根へにじり寄った。先導はカイ様、斥候はアデルさん。私はルカ様の後ろでトレイを背中に背負い、匍匐する。……見てる? トレイの新しい使い方だよ、お母さん。
 岩の影に三つ四つとぼんやり灯りが浮かんでくる。そして静かな中にかすか囁き声。私は耳を澄ます。
「……次は夜明け前に」
「王都の刻印は――」
 刻印、その単語が出るということは間違いない。――旧印の連中だ。アデルさんが指で合図、“二、三、四”。一斉に囲む配置につく。ギブン様が私の肩を軽く叩いた。口の形から読み取れたことは“お前はここで待て”。その瞬間、風が一瞬止まり、銀色の影が跳ねる。ルカ様が無音で斬り込み、アデルさんが喉を掠め、カイ様が背に回る。待てと言われても、ここで何もしなければやってきた意味がない。私は石を蹴って音を作り、逃走線を塞ぐ。三息で終わるはずだった。だがしかし――四人目が、いた。岩陰から飛び出した影が、火縄に火をつけかけていた。松脂だ。爆ぜれば坑道が落ちる。私は反射で動いた。背中のトレイを滑らせ、火縄にゴンッ!――火花が逆流して火口を外す。だが、松脂は派手に散って熱が私の頬を撫でた。
「あ、あっっっづぃぃぃ‼」
「トウコ!」
 カイ様の腕が私の腰をつかみ、地面に引き倒した。すぐ頭上を投げ槍が唸って過ぎる。耳の中で世界が低くうなる。砂が歯に当たる、気持ちの悪い感覚がある。次の瞬間、重い体温が覆い被さってきた。
「無茶しすぎだっての」
 顔が近い。……そんな狼みたいな目が笑わないでください、カイ様。
 真剣に私だけを見ている。指が頬の火傷に触れ――。
「離れろ」
 低い刃の音。カイ様の手がピタリと止まる。銀の影――その主であるルカ様が私と彼の間にすべり込んだ。夜の中の歩幅が冷たい。仮面なんてないのに、その顔はまるで仮面を被っているようだった。
「任務中だ」
「おう。“任務中”な。悪かったよ」
 カイ様はあっさり下がった。だけど言葉の尻だけは彼らしく軽く跳ねる。
「――あとで薬塗っとけ。痕になる」
 ルカ様の指が、私の顎をほんの一瞬だけ持ち上げた。月が反射して銀が薄く震える。
「痛むか」
「え、えっと、熱いだけで……大丈夫です」
「ギブン。処置」
「はいはい」
 ギブン様が無骨な小瓶を取り出し、薬草を押し当てた。ひやっとした感触に、身体の力が抜ける。
「……二度と今の角度で飛び込むな。死ぬ」
「角度ですか」
「トウカの癖は正面から行く。それが正しいときもあるが、基本的には命取りになりかねない。だから火には横から。……覚えろ」
 その言い方は――叱責の形をしているのに、心配の温度が濃かった。薬の匂いが近い、ついでに距離も近い。私の視界からギブン様以外のものが消える。……近すぎる!
 あまりにも近いその距離のおかげで睫毛の本数が数えられそうだ。彼の目は煤で黒く縁どられて、普段より柔らかく見える。その唇がやっと動いた。
「……もっと慎重にしてくれ。心臓に悪い」
 息が喉の奥で跳ねた。いつも冷静な人がこんな直球を投げるのは、さすがに反則じゃないだろうか。
「わ、私の心臓も悪いです。いつもと違ってギブン様が近いので」
「すごい慌てようだな」
 ふ、と彼が笑う。……危なかった――あと半歩で“迫られ形”に突入するところだった。いや、まだ任務中。それに私が攻略するのは天下のルカ様よ、ギブン様は一度攻略しているのだから。頑張れ理性! 
 ――捕らえた四人は口が固かったが、荷の中から旧印の“銀板”が束で出てきた。裏口は尾根の裂け目に隠した木戸。人を選んで開けている。それはつまり内通者がいることを指す。蒼狼側か、鉱夫か、あるいは商人か。
「一度、駐屯地に戻る。尾根の木戸は俺たちで封鎖。内側は――」
「任せろ」
 カイ様が肩を回した。狼の目が笑う。
「内側で吠える裏切り者は、匂いでわかる」
 帰路、私は馬の尻尾をぼんやり眺めながら、頬のひりひりを指で確認した。やけどは浅い。薬も効いてきた。すると――横から、薄い布がすっと差し出された。
「巻け」
 ルカ様のハンカチ。もはや懐かしさを感じる紅茶と革の匂い。条件反射で胸がきゅるるんと鳴る。
「ありがとうございます、隊長」
「……ルカでいい」
「え?」
「任務外だ。今は戻りの休息だ」
 さらっと爆弾を落として、彼は視線を前に戻した。……ずるい。あなた普段は殿下と呼ばせてくるくせにっ。さっきのギブン様といい、今日は心臓に良くない日だなぁ。ほんとにいつか迫られる伝説のルートが来るのでは⁉
 馬の横で歩幅を合わせてくれる銀の影。前を行く、明るくて頼もしい狼の背。隣に歩くと、何も言わずに小瓶を渡してくれる参謀の横顔。世界が少しだけ、私の味方をしてくれている気がした。
 蒼狼の拠点に戻ると、カイ様はすぐ鎧のまま酒場棟へ駆け込んだ。「情報は酒場だ」が口癖らしい。私は炊事班に混じって、灰を吸った肺を温めるスープを大鍋でかき回した。疲れた騎士が肩を落として入ってくるたび、器が空く。トレイの角度で湯気の逃げ道を作り、やけどを防ぐ。推し活の人流整備、ここに極まれり。
 夜半、扉が乱暴に開いた。カイ様が戻り、指を二本立てる。
「二件。裏抜きの取引先の候補が出た。片方は“青紐商会”。もう片方は……」
「もう片方は?」
「――王都の“金糸会”」
 私の手からおたまが滑り落ちた。カランという音がやけに大きく響く。心臓が嫌な跳ね方をした。金糸会――それは王都の寄付と文化事業を牛耳る名士の会。華やかで、善良で、強いはずの。けれど、私の脳裏にはあの夜見た針の意匠がちらついた。……絡みつく蔓に刺。刺繍針そして金糸、か。
 私が固まっているとルカ様が一歩、前に出た。銀の目が静かに光る。
「証はあるか」
「まだ薄い。だが金糸の名を出したのは、二人の商人だ。片方は震えてた。もう片方は笑ってたがな」
「震えていた方を保護。そして笑っていた方を泳がせろ。――ギブン、金糸会の王都側の動線を洗え。アデルは青紐商会の現場を」
「了解」
「……トウコ」
「は、はい!」
「お前はカイと行け。青紐の倉に裏口があるか、トレイの目で見ろ」
「トレイの目?」
「無駄が嫌いな女の目、という意味だ」
 ……無駄が嫌い。それ、褒められてる? うん、褒められてる!
 肺がくすぐったくなって、私は思わず背筋を伸ばした。
「任せてください。推しと国家の邪魔は全部どかします」
 カイ様が笑う。
「いいねぇ。王都女子、気に入った」
 その時、彼は小声で付け加えた。
「で、どうなんだい。あの銀髪の殿様と、参謀殿。君はどっちに男に落ちたいのかな?」
「落ちる前提で聞かないでください!」
「“落ちない女”はここには来ない。落ちるってのはちなみにヘマするって意味だけどな」
 カイ様は片手で私のハンカチを指した。推しの匂い。私は顔が熱くなるのを誤魔化ように大鍋を豪快にかき混ぜた。……大丈夫、私の推しは簡単に恋に落ちない。逆に私は落ちるなら計算して落ちる。
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