最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る
そう決めたのに。夜更け、私の寝台のカーテンがそっと揺れて低い声が落ちてくる。心はそう簡単に平然じゃいられないようだった。
「起きているか」
「ル、――隊長?」
「うるさくするな。薬を持ってきた」
彼は私の枕元に座り、淡い軟膏を指に取る。照明は落とし、風は冷たい。彼の指が頬へ、そっと――。
「冷えるぞ」
「だ、だいじょうぶです。自分でできますからっ」
「大丈夫ではない。ちゃんと塗らなければ痕が残る」
……その声音は反則ですよ。ゲームでも少し優しくされたと思って勘違いしていたら、気づいたらバッドエンドになっていたりしたことあるんだけど‼ むむ、このイケメン(最推し)読めない!
「仕事だ。誤解するな」
「誤解しません。できません」
言葉より先に鼓動が裏切る。彼の瞳が揺れた気がした。ゆっくりと指が、その視線が離れる。夜の匂いがやけに澄む。
「明日もよく動く。早く寝ろ」
「はい」
「トウコ」
「はい」
「……よく、踊った」
小さく呟かれたそれは、舞踏会の続きの、遅れてきた一拍のようだった。返事をし損ねた私の前で、銀の影は音もなく消えた。……ずるい。勘違いしそうじゃん。
枕に顔を埋めて声にならない悲鳴を出した。やっぱりこの任務は心臓に悪い。
――昼下がりの荷通りは汗と粉塵と、煮詰まった鉄の匂いで息が重い。私は粗い麻布の外套で体を覆い、荷車の列に紛れて進んでいた。荷札は“王城向け乾物”。ギブン様が用意した偽の納入書は、検められたとしても最低十分は通用する。潜り込むなら正面。そして見つかった瞬間に仕事として振る舞える立場で。
青紐商会の倉庫は三連棟。入り口は絞られていて、兵ではなく文官上がりの管理人が検めている。つまり目は鋭くないが、帳簿の数字には敏感。
「納入、二件。乾物二樽、穀一袋」
私は帳簿に淡々と読み上げ、視線を伏せたまま提出する。管理人は鼻で笑い、判を押し返す。何の疑いもしない。見下す者は盲目になりやすい。倉の厚い扉がギギィと軋みながら開く。中は暗く、油灯の点がまばらに浮かぶ。人の目は“光の点”へ吸われる。その周囲にこそ動きが生まれる。だから私は、人の視線が集まる灯りから一歩だけ外れた位置で荷を降ろした。荷を捌きながら、私は倉の癖を測る。足跡の偏り、埃のつき方、縄の磨耗、樽の置き方。帳簿に記された出入りより二割程度多い鉄――それがどこで吸われているのか、その痕跡がどこに滲むか。……この倉は、出口が一つじゃない。空気の温度が揃っていないもの。
東側は乾いた穀の匂い、西は温い。温度差は通気の差。それは西側には風が出入りしていることを示す。壁沿いに積んだ木箱。その下で板が微かに沈む音がした。……ある。床下か壁裏か。おそらくそのどちらかね。
私は振り向かずに麻袋をずらすふりで視線だけ滑らせた。同じ列で荷を降ろしていた男が、こちらを一度も見ない。不自然なほど意識して見ない。人は見たら困るものがある時だけ、極端に逸らす。私は麻袋の口を閉じるふりをして、声を落として刺す。
「……ここ、二割抜けてるのよね」
男の喉が一瞬で跳ねた。それだけで充分だった。振動が殺気に変わるより速く、私は手を離し距離を取る。同時に――背後の扉が内側から「ガン」と閉ざされた。来た――。静寂が破れた瞬間を私は逃さない。逃げるより先に観”。観測が勝てば、この後の闘いは半分決まると言っても過言ではない。
「荷降ろしは終わったか」
倉の奥から別の声が響く。暗がりから一歩出てきたのは――制服でも武装でもない。裁縫用の革前掛け。針仕事の人間。……やっぱり――刺繍の線ね。彼の手には布帳が握られている。布の入出庫登録のはずなのに、角に意味ありげに“金糸”が挟んである。金糸が絡む限り、これは青紐単体の犯行じゃない。私は息を整え、外套の裾を握りながら完全に鈍い女に戻った。
「すみません、納入は終わりました。下がってよろしいでしょうか」
針職の男は笑う。目が笑っていない。
「下がらなくていい。――いや、下がらせない」
その瞬間。倉の扉板の外側でギィと靴音が止まった。……来たっ、次は誰?
扉が二度、軽くノックされた。殺気ではないし、探す音でもない。それは誰かを追っている足音。
「おい、中に女が――」
「開けるな」
針職の男が叫ぶより早く――扉が外から蹴り裂かれるように開いた。
「おい王都女子! なに勝手に先行してんだよ」
蒼狼の茶の髪が逆光に立った。まず最初に見るのはカイ様……予定通りですっ。
私は一ミリも後退せずに言った。
「先に臭い針を見つけました。二割は青紐単体じゃないです。金糸が噛んでます」
倉の空気が一段変わる。カイ様の笑いが消える。狼の目に戻る。
「……嘘だろ。本当だったのか。いや、あそこは善側の看板だろ?」
「善の看板ほど、裏が利くんです」
その台詞に刺繍仕事の男のこめかみが動いた。私は確信した。これは図星だと。その瞬間――倉の二階の梁が軋んだ。どうやら見えない場所、上にも敵はいる。視線だけで天井の梁を追う。そこに、火口を抱いた黒い影が膝をついていた。……火の準備⁉
その刹那、私は叫ぶでも逃げるでもなく、カイ様に背を向けて一歩押し込んだ。理屈ではないし、合図でもない。来るという直感が先に身体を動かした。火が――落ちる。瞬間、世界が橙に裏返る。木板の床が弾け、油煙が鼻を突く。爆風の音が遠くでくぐもり、肺が空気を探す。私は反射で床を蹴った。樽の影に潜り込み、トレイを傾けて盾にする。火花が跳ね、鉄の欠片が肩を掠める。痛みより先に頭が冷たく動いた。……空気の流れがある。炎の道は――左だ。
「トウコ!」
声がする、それは狼の声。カイ様が灰を蹴って飛び込んできた。その髪に火花が散る。
「くそ、こんな狭ぇ倉で爆破だと! 逃げ道は⁉」
「左の壁の裏、風抜けがあります。通気が不自然でした!」
「やるじゃねぇか!」
カイ様が肩で木箱を叩き割り、空気の吸い込み口を露出させる。私はその隙に周囲を見た。針職の男はまだ立っていた。片手に細長い針筒を握り、炎の中で目だけが光っている。
「……金糸の針は、美しいんだ」
男は自分の胸に刺すように針筒を向けた。カイ様が舌打ちして走る。
「やめろっ」
だが、彼の手の中で銀色の糸が閃いた。――“呪糸”。糸が燃えて溶け、皮膚に潜る。男の口から泡が上がり、笑い声が炎の中に消えた。
「やべえ、自己発火式だ! 灰の薔薇の下位兵、こうやって自爆する!」
私は一瞬で判断した。止められないなら使うしかないだろう。
「カイ様、彼の針筒! 火をつける角度、四十五度上!」
「おい何――」
「天井の梁を崩して炎の吸い上げを止めるんです!」
カイ様は躊躇わず腕を振った。爆音がとどろく。梁が落ち、炎の勢いが変わる。空気の流れが途切れ、火が喰えない。その途端、煙が逆流し始めて倉の奥の通路が見えた。そこに鉄の扉が。
「あった、裏口!」
私は走った。煙が目に刺さる。勢いに任せて扉を開けると、外気が冷たい刃のごとく入ってくる。その風の向こうに、長いコートの男が立っていた。
「……また先走ったな」
ギブン様だ。私は煤だらけの顔で彼に向き合った。
「申し訳ありません、けど見つけました」
「報告はあとだ。まず生きろ」
彼の声と同時に、背後の火が再び唸る。カイ様が私の腕を掴んで外へ引っ張り出した。
「もう少しで炭になるとこだったぞ!」
「でも証拠は中にっ」
「証拠よりお前だ」
外気に触れた瞬間、肺が焼けるように熱く痛んだ。膝が笑う。地面の砂が冷たい。けれど、手の中に――私は握っていた。焦げた布片、端に金糸の文字。“薔薇織連盟(ローズ・ギルド)”。……やっぱり!
ギブン様がそれを見て眉をわずかに動かす。
「金糸会だけじゃない。旧王朝の織組織が動いている」
その時、背後から馬の嘶き。銀の閃光――ルカ様だ。彼は馬を降りるより早く倉の前に立ち、燃える梁を蹴り上げる。炎が割れて風が止まる。その瞬間、静寂が落ちた。
「……これ以上、灰を出すな」
その一言で全員が息を呑んだ。炎が鎮まり、灰が雪のように落ちてくる。私はその灰の中でただ一人、ルカ様を見上げた。銀の髪に火の粉が落ちても、彼は一歩も動かない。その眼は炎よりも確かな温度を持っていた。
「誰が命じた」
彼の声は低い。ギブン様が答えかける前に私は口を開いた。
「“薔薇織連盟”。金糸会の中枢ではないでしょうか。青紐はその下請けでした」
ルカ様の目がわずかに私を見た。冷たいのに、どこか熱い。視線の奥で何かが音を立てた気がした。
「……よくやった」
その言葉が落ちた瞬間、膝が抜けた。カイ様が後ろから抱き止める。
「おい、しっかりしろ!」
でも、声が遠い。耳の奥で灰が舞う音だけが響く。……推しのよくやった。それ聞けたら、死んでもいい。いろんなゲームで鍛えててよかった。
そう思った瞬間、私は気を失った。