最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る


 ***

 目が覚めると天井が白かった。灰の匂いは消え、代わりに薄い薬草と湯の匂いが鼻に届く。頬に冷えた布。喉は砂利を嚙んだみたいに渇いていた。
「――起きたか」
 最初に映ったのは美しい銀髪。ルカ様が椅子に腰をかけ、腕を組んでいた。目の下に淡い影。きっと眠っていないのだろう。
「……生きてます。よかった」
「それはこちらの台詞だ」
 彼は立ち上がると、卓上の水を差し出した。手が触れる直前で止まる。彼は私が自分で受け取れるのを待っている。優しさに見せかけた節度。……ずるい。
「査問がある。準備はいいか」
「はい」
 頬のやけどに触れないよう、布を巻き直す。指が震えた。それは恐怖じゃない。あの倉で火の道を読み切れた自分に対する、ぎりぎりの高揚がまだ体内に残っている。
 ――査問室は、石の壁と高窓。光は冷たい。長机の向こうに監査官、宮内書記、治安軍の代表。ギブン様は横に立ち、簡潔な経緯を述べた。
「倉庫内に旧王朝由来の刺繍組織“薔薇織連盟”の暗号布片を確認。青紐商会は輸送・保管の下請けであり、上流の資金経路に“金糸会”の該当部署が存在する公算」
「金糸会は慈善団体ですぞ」
 治安軍代表が眉を吊り上げた。ギブン様は淡々と返す。
「慈善の器ほど運びやすい。書類上の善は遮断を解く合言葉になります」
 視線がこちらへ流れる。私は立ち上がり、短く息を整えた。
「現場の空気は二つの温度でした。西側だけ温い。通気があり、床板が沈む。そこに裏口。針職の男は布帳の角へ金糸を挟んでいました。青紐だけでは針の符号は扱えません。――上に刺繍の規律がある」
「つまり“薔薇織連盟”が金糸会の一部を汚染している、君はそう言いたいのか」
「はい。金糸会そのものではなく、金糸会の一部部署が連盟の回線に貸し出されている形です」
 室内の空気がわずかに緩む。敵の輪郭が巨大な善から、中に紛れた悪い部位へと縮小したからだ。でも、油断はさせない。
「ただし、被害のスケールは小さくない。王都から辺境への文化資材搬送に紛れて鉄が抜け、武具や火薬の原料へ転用されていました」
「証拠は?」
 私は布片を机に置いた。焦げた端に金糸の細い文字。書記が目を近づけ、声を漏らす。
「……織り目に“数列”。寄付台帳の索引」
 ギブン様が続ける。
「寄付名目の振替番号。追えば洗えるのでは」
 監査官が目を細めた。
「誰が洗うのだ」
「私がやります」
 立ち上がったのは――セシリア嬢。白のドレス、落ち着いた青の帯。社交界の窓口である彼女は礼を取り、まっすぐにこちらを見た。
「社交界の動脈は、私の庭です。金糸会の婦人部と文化振興部でしたら明日からでも動けます。是非、殿下のご許可を」
 銀が横に一度だけ揺れた。
「許可する。ただし危険が及ぶ前に下がれ。その補佐をアデル、頼む」
「ご忠告、胸に刻みます」
「殿下、御意」
 言葉は完璧な礼式なのに、その瞳は少年みたいに強情だった。……好きだ、この子。ゲームをプレイしていた時よりもずっと。
 彼女は私と似た危ない頑固さを持っている。査問はそこで一区切りがついた。最後に監査官が念を押す。
「我々は金糸会そのものを敵に回す気はない。あくまで汚染箇所を摘出し、器は残す。決して勘違いするな」
 私は深く頷いた。――それなら戦線を広げず済む。NPC……いや、民の信頼も守れる。
 廊下に出ると、光が柔らかく感じられた。私は深く息を吐き出す。肩から力が抜けかけたところで、ぐいっと腕を引かれた。
「よくやった」
 ギブン様。石壁の陰で人目を避ける角度に身を寄せる。彼の顔は相変わらず無愛想なのに、声は少しだけ温かい。……ふふ、私をなめてもらっては困るわね。乙女ゲームしかプレイしてないと思われたら困る。オタクとして、推理ゲームもちゃっかり履修済みよ!
「現場で拾った“数列”。お前以外だと見落とした。――助かった」
「……褒めてくれてるんですよね」
「事実を述べた」
「それ、世間では“褒め”って言います」
 ふっと笑いがこぼれる。肩の布を直そうとした時、彼の指が一瞬先に触れた。私の手と彼の手がほぼ同時に布の端をつまむ。距離が縮む。息が混ざる。
「……傷は痛まないのか」
「大丈夫です。冷やしてますから」
「そうか」
 それだけ言って離れるのがギブン様だ。ゲームと変わらないこの感じ。近づきすぎた温度を必ず自分で冷ます。……ずるいのはこっちも同じ。目が覚めちゃう。
 そこへ、風のようにカイ様が見事なスライディングを披露する。
「王都女子! 今の見たぞ。参謀殿が照れて――」
「口を噤め」
「へいへい」
 狼が肩を竦める。けれど目は笑っていない。真面目な声になる。
「王都の外れで“金糸会”の倉がもう一つ見つかった。名目は孤児院向けの衣料。その便に“薔薇織連盟”の針印が混ざってる」
「い、行きます!」
 私が即答すると、カイ様が悪戯っぽく片目をつぶる。
「いいねぇ、その返事好き」
 背中で気配が揺れた。振り向くと、ルカ様が、ほんの少しだけ目を細めていた。怒っているのか心配しているのか。その冷たい視線では見分けがつかない。
「同行する。……行軍の準備を」
「はっ」
 声が自然と締まる。この人が“一緒に来る”と言っただけで、空の色が濃くなる。
 ――王都の外れの倉は、前の“青紐”と違ってずいぶんと明るかった。壁は白く塗られ、窓は大きく、庭には乾かし中の小さな服。出迎えたのは、柔らかい笑顔の女主人――ミラベル。金糸会・婦人部の幹事だという。
「孤児たちの冬支度を急いでいて……倉が散らかっていてごめんなさいね」
 彼女の手は仕事人の手だった。爪は短く切られ、指先には針の小さな痕。私は最初の一歩で決める。敵か味方かを匂いで測る。彼女の瞳の奥は濁っていない。けれど倉の隅が、不自然に“綺麗すぎる”。
「こちら、王都の検めです。危険物が紛れていないかの確認を」
 ギブン様が前に出て淡々と説明する。ミラベルはうなずき、作業台へ案内した。
「ここ数日、寄付が急に増えて――助かってはいるのですが、正直なところ手が足りていません」
「寄付はどこから?」
「常連の商人さんと、顔も知らない裕福な方々。封筒に現金と……寄付の目録」
 目録に封筒。私は紙束に手を伸ばして、ざっとめくる。半分は普通の寄付。半分は織り目の数列が欄外に小さく記されていた。……で、出たっ。
 私は静かにトレイを作業台に立てかけ、反射で数字を並べ替える。数列は“日付+便の号数+糸の太さ”。この倉では便――人の流れの単位に相当する。つまり、衣が運ぶのは服だけではない。
「ミラベルさん。この目録の端の数は、どなたが?」
「え? ……私が書きました。寄付者のメモに数字があって、控えたほうがいいと」
「その寄付者の封筒は残っていますか」
「はい。こちらに」
 封筒の角は金糸で補強され、裏には小さな蔓薔薇の節。ただし――先日の倉で見た針印とは節の数が違う。私は思わず前のめりになる。
「この節の数、青紐倉庫のものとは違う。別系統が混ざっています」
 ルカ様の視線が鋭くなる。
「別系統?」
「薔薇織連盟の中でも分派が複数。青紐に流していたのは“補給線”の節。こっちは“選別”の節。まるで孤児院という窓口を使って拾い上げをしているような……」
「拾い上げ?」
「孤児の中から、手先が器用で目が利く子を――刺繍手にするための選別。……教育費名目の寄付と見せかけて、針の弟子入りに連れていくと言ったストーリーが推測できます」
 私は某ゲーム仕込みの迷推理を披露する。すると室内の空気が凍った。ミラベルが唇を震わせる。
「そんな……私は、子どもたちを守るために!」
「あなたが悪いのではありません。器が汚染されている。器を守るために汚れた手を外すだけです」
 私は彼女の手を握った。手袋越しに伝わる体温が震えている。ミラベルの目に涙がたまった。
「お願いします。……どうすれば、守れるの」
「まず便を止める。次に選別役を釣る。――餌は、あなたの忙しさです」
 ギブン様が頷く。
「虚の帳場を作る」
 カイ様がにやりと笑う。
「狼の牙も、飢えを装って隠すってな」
 ルカ様は静かに命じた。
「夜半、便の差し替えを行う。――危険が及ぶ前に子どもたちを移す」
「はい」
 ミラベルの顔に、ほんの少し色が戻る。彼女は強い器の人だ。器そのものを救えば、街の温度が上がる。それがこの任務の本当の価値だ。
 夜。孤児院の庭に白い霧が降りた。私は作業着のまま、荷車の影に身を伏せて待つ。門が軽く叩かれた。
「寄付の便だ。夜しか時間が取れなくてね」
 甘い声。門番役のギブン様が応じる。
「記帳を」
「もちろん。婦人部の皆さんにはいつもお世話になって」
 門が開く。入って来たのは痩せた背丈の男。両手に大きな包みを抱えている。しかし歩き方が荷の重さと合っていない。どうやら中身は軽い。私は息を殺し、男の足元を見た。靴の縁から針の光、糸くずがついていない。作業をしていない指の腹。……偽の寄付役、選別の手ね。
 男は帳場に来るとわざとらしく封筒を差し出した。ギブン様は受け取るふりをして、微妙に手を滑らせる。封筒が半歩ほどずれ、机の隅にあらかじめ置いた反射板(=トレイ)の上に落ちた。私はその瞬間を待っていた。反射で天井の梁に合図が跳ね、庭の奥でルカ様が無音で位置を変える。同時に、カイ様が裏門を塞ぎ――包囲完了。
「寄付、ありがたく――」
 言葉の尻で、私は飛び出した。男の手首に自分の手首を絡め、針筒だけをくるりと外側へ撥ねる。男の肘が返る。肩が外れる前に私は身体を入れ替えた。男の足元がもつれる。穴だらけの慣れ。素人の無理な速さ。
「夜の孤児院に軽い荷は来ないはず。――やり直し」
 男の顔から笑いが剥がれた。その目が針のように突き刺す。そして針筒が引き金を鳴らす――。
「甘い」
 銀の影が横を切った。ルカ様の手が針筒を叩き落とし、足で踏みつける。音は小さい。男の腰に隠した刃が抜ける前に、カイ様が背後から締め上げた。
「針を持つ手は狼の縄で十分だ」
 私は机の封筒を破り、中身の目録を抜き取る。欄外の数列に選別先の地名。そのすべてが郊外の小修道院だ。
「ルートが見えました。孤児院から小修道院。そして手習い場」
「修道院の院長は?」
 ミラベルが青ざめた。
「……昔の友人が院長をしている場所が一か所あります」
 彼女の声は震えていた。信じたいものほど、裏切られたときの傷は深い。でも――器を守るために、汚れた手を切る。
「行きましょう。今夜のうちに」
 ルカ様の声に全員が動いた。
 ――その修道院は夜目にも清潔で、玄関の前には青い花が植えられていた。鐘楼の下で院長と思しき女性が待っていた。顔には薄い笑みを浮かべ、手は祈りの形。けれど――目が祈っていない。
「夜分に失礼します。孤児院のことで――」
 ミラベルが一歩前に出る。彼女の言葉がかすかに揺れた。院長は笑みを浮かべたまま優しく応じる。
「まあ、ミラベルじゃない。どうしたの」
「子どもたちの手習いの件で。寄付の便に奇妙な数列が混ざっていたの。確認を」
 院長は、すべて知っている人の笑い方をした。
「指の訓練は救いよ。みなしごに技を持たせて、明日の糧にする。どこが奇妙なのかしら?」
 ギブン様が書状を示す。院長の目が一瞬だけ細くなる。その刹那、鐘楼の影で小さな足音。私は反射で視線を射抜く。扉の隙間から覗く子どもの目。赤い刺繍糸が手に絡まっている。
「おいで」
 私はしゃがみ、子どもに手を示した。その子はためらいを見せた後、ゆっくりと出てきた。指先が真っ赤にただれている。針の焼け跡も見られる。
「どうして、こんな遅くまで起きているの。よい子は寝る時間よ」
「……速く縫えたら、お祈りが近くなるって」
 院長が小さく舌打ちした。祈りを盾にする言葉。……この女、最低だ。
「夜の祈りは、子に強い正しさを縫い付けるためのものではない」
 私の声は思ったよりも低く出た。ルカ様が横に立つ。
「この院は今夜で封鎖する。子らは保護し、明日から本当の手習いを与える」
「待って。私だって救ってきたわっ」
 院長の声は悲鳴に近かった。救いの形は時として暴力になる。糸は結び目が見えないと誰かの喉を締める。
「救いだと思っていたならなおさら。ここで止めなければ、救いが呪いに変わる」
 ミラベルが涙を拭き、院長を正面から見据えた。
「……私、あなたと一緒に子どもたちを育ててきたわ。それでも今は止めなければならない」
 鐘が一度鳴った。夜の音が揺れる。カイ様が裏手で動き、出入り口を押さえる。ギブン様が封印状を読み上げる。私は子どもの指に薬を塗り、包帯を巻いた。その小さな手が、私の手をぎゅっと掴む。
「ねえ、おねえちゃん、踊れる?」
「ちょっとだけね」
 私は包帯の上から、指で小さなリズムを取った。あの舞踏会で覚えたステップ。踊れるトレイ術の音のない一節。子どもが目を丸くして笑う。救いの形は本来こういう温度であるべきだ。封鎖の手続きがひと段落すると、夜風が少しだけ甘くなった。中庭の片隅で私は大きく息を吐いた。そこへ足音が二つ。
「……よく、止めた」
 ルカ様の声が低く落ちる。私は笑って首を振った。
「止めたのは、私だけじゃない。あそこにいたみんなです」
「お前が最初に見つけた。最初に糸を断った者が責任者だ」
 その言い方に胸の奥で火がつく。近くでカイ様が無駄に咳払いをした。
「よーし、真面目な空気はここまで。腹、減ったろ。修道院の台所を借りたんだ。狼スープを作ったぞ」
「狼スープ?」
「肉を使わないのに温まるやつ。飢えた狼でも満足するって意味の、豆と根菜のスープだ。旨いぞ」
 湯気が立ちのぼる。香りが夜を優しく包む。その匂いにつられた子どもたちが続々と起きて、器を両手で受け取る。ミラベルが隣で目を細める。ギブン様は書類を束ねながら、私の器にもそっと一杯よそった。
「ありがとうございます」
「礼はスープが旨かった時にカイに言え」
 口は悪いのに匙の置き方は静かに優しい。私は笑って一口飲んだ。温かさが喉から胸へ落ちる。今日だけは泣かないでおこうと思っていたのに、ちょっとだけ目頭が熱くなった。スープを飲み終えた子供たちを、ミラベルと私で寝かしつけた。
 修道院の寝所は静かだった。窓を細く開けて、夜の空気を吸う。風は冷たいのに頬だけがまだ熱い。火傷ではない。言葉の余韻のせいだ。包帯の上からそっと指を添える。痛みはもう薄い。ただ、胸の真ん中だけはまだ落ち着かない。私は小さく笑った。落ち着かないのは悪い兆候じゃない。まだ熱がある証拠だ。
「……落ち着け。まだ終わってない」
 呟いたその瞬間、足音。廊下の板が一枚だけ小さく鳴る。迷いを含まない歩み——戦う人間の歩幅。扉がノックもなく開いた。
「起きていると思った」
 ギブン様だった。灯を持たないのに、影の形がぶれない。最初に沈黙が落ちた。私が口を開くより早く、彼が簡潔に告げる。
「糸の仕入れ先が割れた。“染め窯”だ。港にある。——行くぞ」
 予想していたはずなのに、喉が一瞬だけ固まった。港は遠い。夜に動くには理由がある。誰かが明日を待たないということだ。
「出発はいつですか」
「今だ」
 短い言葉一つで世界がまた動き出す。私は寝台から立ち上がり外套を羽織る。眠れていないの、不思議と目は重たくなかった。ギブン様の視線が一度だけ私の頬をかすめた。包帯を見たのだろう。だが何も言わない。その沈黙こそがいつもより近かった。
「他の方にも——」
「ああ。外で待っている。……ただ一つだけ」
 そこで彼は言葉を切り、珍しく言い淀んだ。私は思わず顔を向ける。
「お前は——もう、“燃える前に”引け。いいな」
 命令口調ではなかった。保険でもなかった。それは私個人だけに向けた言葉だった。胸の奥で何かが静かに鳴った。
「……引けるところまでは、引きます」
「引けきらなかったら?」
「その時は、誰かが止めてください」
 ギブン様は目を伏せて、呼吸を一つだけ置いてから言った。
「止められると思うな」
 それは脅しではなかった。“止めるだけの力が残らない可能性”を、先に知れという忠告だった。私は外套を結んだ。扉の外の夜は黒いままで、まだ何も起きていないのに、始まってしまった気がした。廊下に出ると風が抜け、別の足音が重なった。狼の笑い声と銀の衣擦れ。——港へ、染め窯へ行く。罪の色を落とすために。ここで止めなければ、次は国家規模になる。そんな予感がした。階段を下り、玄関を出た瞬間、夜が胸に噛みついた。私は息を整え、前を見る。
「行きましょう」
 誰の合図より早く、私が言った。
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