最難関攻略キャラ、愛しのルカ様は今宵私の手のひらで踊る
外に出た風は冷たく、夜が一段と深くなっていた。馬場の鍵は開いている。羽は既に幾筋かの逃走路を使っている。これが“拉致”であるなら、取り戻すためには“追撃”と“包囲”と“裏道の遮断”が必要だ。私たちは二手に分かれ、ルカ様とカイ様が正面の追手を潰し、ギブン様が後方包囲を指揮する。私の役目は——セシリア嬢を最短で見つけ、奪還の橋頭堡を作ることだった。走りながら、私はふとルカ様の言葉を反芻した。選べと命じる彼の声は、背を任せる者の最後の頼みだ。私は拳を握りしめた。……終わったら——必ず言葉をもらう。今はただ奪い返すだけ。
叫びと蹄の音の中、私たちは夜の中へ消えていった。闇を裂くように、我々は数手に分かれて城外へ飛び出した。馬の蹄音、走る靴裏の震え、遠くで鳴る犬の声——街は深夜の眠りを装い、だが我々の足跡だけは生々しく刻まれていく。私はルカ様とカイ様と並び、正面追撃組に加わった。ルカ様は剣を片手に、ほとんど息を上げない。彼の肩越しに夜景が流れ、月の光が銀の髪を薄く照らす。追う者の目には余裕はないが、彼の動きは荒々しくも正確だ。
「セシリア嬢はどこに運ばれた?」
カイ様が短く訊く。呼吸に隙がない。
「馬場方向へ。だが羽は迂回して小径を使う。狙いは船着き場だ」
ギブン様の声が静かに返る。彼は先刻押さえた封蝋片を指で転がしながら、状況を組み立てている。封蝋の小片——五芒星の痕。俺たちが握った物証は、羽のルートを示す鍵でもあった。私はその片を握りしめ、冷えた皮膚を確かめる。小さな紙片に、今夜の全てが宿っていると信じた。路地を折れると、一隊の羽が人影の間をすり抜けるのが見えた。セシリア嬢を抱えた人影は、無言で小径を駆ける。彼女は縛られている。だが顔には退路を探る光が残る。彼女の瞳はこちらを探そうとし、見つけられずにいる。胸が締め付けられた。
「行くぞ」
ルカ様の一言で、私たちは速度を上げる。刃の光が路地に断続的な明滅を落とし、影と影がぶつかる。カイ様が先に飛び込み、相手の足を狙って倒す。私も飛び乗り、セシリア嬢を抱える羽の一人と格闘する。
だが羽は数で動く。囲まれ、押される瞬間が来た。私の腕に鋭い痛みが走り、ナイフ先が脇腹をかすめる。血が暖かく指を染めた。視界が一瞬赤くなる。足元で誰かが叫ぶ声がして、遠くで馬の鞭音が鳴る。――その刹那、背後から銀の影が滑り込んだ。彼は私の背後に回り、羽の二人を一手で押し払った。押しのけられた羽が転げ落ち、星屑のように散る。彼の近さに、心臓が異常な速さで脈打った。血の匂い、鉄の温度、そして彼の体温が混ざり合い、目眩のように甘かった。ルカ様は私の肩を取って強く引き、私を自分の身体にぴったりと押し当てる。刃の飛沫が我々の周囲で踊る。彼の息が耳にかかるほどの至近距離で、彼は無言で私を守る姿勢を取った。
「下がれ」
短く、しかし命令とも祈りとも取れるその囁き。その声に私の膝が震えた。身体が自然に彼に寄り添う。彼の腕が固く回り、私の背を固定した。接触は瞬間的で、しかし世界はそこで止まったように細密になった。刃の閃き、遠くで鳴る声、仲間の足音が遠ざかり、私と彼の呼吸だけが鮮明だった。私はその熱と重さの中で、わずかに笑ってしまいそうになる自分に驚いた。こんな状況でこんなに安心していいのかと。だが安堵は長くは続かない。セシリア嬢の運ばれる隊列が再び動き出す。ルカ様は私を押し留めたまま、一瞬だけ遠くを見て、そして決断した。
「行け。だが——後ろを見ろ。お前の顔だけは必ず見る」
言葉は短い。私は頷き、彼の腕の中から抜け出し、全力で前を追った。彼の視線が私を追い、私の肩越しに小さく残る温もりが、突き動かす燃料になった。追走は廃工場の裏を通り、古い船着き場へと至る。月光に濡れた水面が、一筋の道を作る。羽は二艘の小舟にセシリア嬢を押し込み、漕ぎ出そうとする。船頭の一人が鞭を振るい、漕ぎ手が桟を押す。離脱の速度が上がる。私たちは最後の力を振り絞って突入する。ルカ様は正面から切り込み、カイ様は横合いを封じ、私は小舟に飛び乗ろうとした――その時、船の甲板の上でセシリア嬢が一瞬だけ目を開けた。こちら方を見つめ、指先で微かに手を振る。彼女の目は「頑張れ」と言っている。そして私の視線が合った瞬間、彼女が唇をわずかに震わせた。――その反射で、私は小さく声を出してしまった。
「私は、絶対に戻します!」
その叫びが水面に落ち、漕ぎ手の耳に届いた。刃の閃きが再び近づく。私は飛び掛り、腕でロープを掴んで船縁にしがみつく。だが足元が滑り、体勢が崩れる。小舟が揺れ、漕ぎ手がバランスを崩す。その瞬間、ルカ様が飛び込んできた。彼は水をものともせず、私を抱え上げ、同時に一人の羽を剣で押し倒す。湿った髪が額に張り付き、冷たい海風が頬を刺す。私と彼の顔がほんの数十センチの間隔で向かい合う。彼の眼差しはいつもよりずっと近い。剣の先も危うく、だが彼は私から視線を逸らさない。呼吸が重なり、心が騒ぐ。
「トウコ……」
彼が言った。音は小さく、それが故に胸をえぐった。戦の只中で、彼の声は私を呼び、守ると同時に、確かめるようだった。私は答える代わりに、目を閉じて一瞬だけ彼の胸に顔を寄せた。心臓が早鐘のように鳴る。匂い、熱、剣の冷たさ、全てが同時に押し寄せる。言葉は要らなかった。二人だけの静かな合図が、そこにあった。だが安全圏は短い。背後でカイ様の声が叫び、羽の残党が再び押し寄せる。私たちは無理矢理引き離され、セシリア嬢は依然として船の中央で縛られ、二人の羽に守られている。小舟は漕ぎ手によって岸を離れようとする。ルカ様が短く命じる。
「網を張れ」
その合図一つで、ギブン様の部隊が連携し、桟橋の先で待ち構えた網とロープで漕ぎ手の軌道を断つ。波が砕ける。小舟の速度が落ち、羽の計算が狂い始める。だがその時、遠くの波間に黒い影が二つ、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。船の影ではない。もっと大きく、もっと整然とした影。上位の存在の手が、直接動き始めたのだと直感が告げる。冷たい風が海面を走った。空気が一段と重くなる。夜は深いが、なにかが近づいている。波間に立つ黒い影。それは舟でも兵でもない。“指揮”そのものが海上に立っていた。月光を拒むような深い黒外套。膝まである長衣の裾が、風に揺れては戻る。顔は覆面に隠れ、ただその胸元だけが光っている。王冠と羽と五芒星。――ここに来て、三つの層が一つに重なった。……羽の実働じゃない。“羽の意志を代弁する階層”そのものみたい。
水面を踏むように、その影は静かに手を上げた。その仕草だけで羽の兵が全員動きを止める。小舟に乗せられたセシリア嬢の目が震える。彼女も理解したようだった。この男は、交渉では倒せない種別の敵だと。影が口を開いた。声は決して荒れず、絶対の静謐を纏っている。
「その女を返せと言うのなら、代価を示せ」
代価——祈祷と同じ論法。人を材料に変換する思想そのもの。その瞬間、カイ様が怒鳴りつけた。
「代価? ふざけんな! 人間を駒にすんな!」
だが影は揺れない。むしろ――愉悦に近い沈黙。
「ああ、やはり。君らは支払いを拒む側か」
その台詞と同時に、小舟の脇で待機していた羽の一人が、細い短剣を抜き——セシリア嬢の喉へ当てた。波音が止まったかのようだった。私は思わず前に出た。だがその腕を再び掴んだ影がいた。ギブン様。叫びでも指示でもなく、押し殺した焦燥のままの声が落ちる。
「気持ちはわかる。だが今が動けば、落ちるのは“彼女”の方だ」
理屈ではなく本能として理解した。この状況で前に出ることは「即時の殺害宣告」と同義だ。唇を噛み、血の味が広がる。その痛みの奥で、私は気づいてしまった。ルカ様の手が震えている。怒りでも混乱でもない。“奪われる”という恐怖に対する震え。彼は今、セシリア嬢の命だけでなく私の動揺 すら恐れている。その事実が胸を撃ち抜いた。こんな時に、こんなことで心臓が走るなんて残酷だ。黒い影は静かに続けた。
「代価は簡単だ。その女を渡すだけでいい」
その一言が境界を燃やした。男の指さす先には私がいる。次の瞬間、真っ先に踏み出したのはルカ様だった。誰の指示でもない。作戦でもない。感情が先に剣を動かした。足音が一歩——それだけで羽の兵が反応する。黒外套が一斉に揃って刃を構えた。にもかかわらず、ルカ様は止まらない。震えの残る声で、低く、噛み殺すように言った。
「誰が……トウコを代価と言った」
その声音は怒りではなかった。奪われることへの本能的拒絶そのものだった。羽の兵が一斉に動き出す。黒布が閃き、刃が夜気を裂く。だがルカ様は最初の突進を捌き、その首筋へ冷静な一閃を落とした。床に崩れた羽の体が月光を跳ね返し、波が揺れた。その血飛沫の前で黒い影が静かに笑った。
「そうだ。いずれ王になる者よ。守りたいものを持つ者から奪えば、人はこうして理性を失う」
まるで観察記録のような声だった。私は言葉を失ったまま、拳を握った。胸で脈が暴れ、骨の内側を焦がす。これは戦術じゃない——感情そのものが開戦の引き金になった戦だ。黒影は続ける。
「ならば、こうしよう。守る者を試す」
合図のように、羽の兵が二列に分かれた。一列は小舟——セシリア嬢へ。もう一列は——こちら、つまり私へ。左右から同時に刃が来る。……選べってことね。
黒影の狙いは明白だ。嬢か、私か。守り順を選ばせて崩壊させる戦術だろう。海がうねった。どちらも止める時間はない。私は一瞬だけルカ様を見た。彼は剣を構え、私を見返した。その目は、「行け」と言いながらも、「行くな」と叫んでいるようだった。戦場で人が二つの顔を持つ瞬間。理性と心が噛み合わず、どちらを選んでも誰かが傷つく。私は息を吸い、決めた。彼が私を守るなら、私は彼の守れない方を守る。足元を蹴り、小舟の方へ走った。風が頬を切り、背中に熱が走る。羽の兵が二人、私の進路に立ちはだかる。刃を交わすたび、肩の傷が裂け、血の匂いが立ちのぼった。痛みよりも、焦燥が早い。背後で鉄が火花を散らす音がする。ルカ様が動いた。彼の剣が空を裂き、海風が逆巻く。怒りも理屈もない。ただ「奪わせない」という意志だけで成り立った斬撃。羽の兵が倒れ、波が赤く染まる。その一瞬の隙に私は舟へ飛び込んだ。セシリア嬢が拘束具の中で震えていた。私を見るとほっとしたように息を漏らした。
「……遅いわよ、トウコ」
笑う余裕などないのに彼女は微笑んだ。私は縄を掴み、歯で噛み切る。指先が震えて力が入らない。その時、背後で水音が弾けた。ルカ様だ。彼は波間を蹴り、舟の縁に飛び乗る。濡れた髪が額に張り付き、視線は獣のように鋭い。
「トウコ、下がれ!」
「無理です! 一人じゃ外せません!」
言葉の間に刃が飛び二人同時にそれを避ける。身体がぶつかる。彼の手が私の腰を支えた。熱い。鼓動が重なって、世界が狭くなる。
「……お前は、どうして毎回そこに飛び込む」
「あなたが行けと言うからです」
彼が一瞬だけ息を詰まらせる。その表情を見た途端、胸の奥が疼いた。戦場なのに、ほんの一瞬だけ時間が止まった。刃の音が戻る。黒い影が遠くで手を上げ、再び命じた。
「撃て」
羽の兵が矢を放つ。水面が弾ける。私たちは同時にセシリア嬢を抱え、身を沈めた。矢が頭上を掠め、舟の帆が裂ける。ルカ様の腕が私の肩を抱き込む。心臓が痛いほど速い。
けれど怖くはなかった。この瞬間だけ、命を預けてもいいと思えた。波が割れ、黒い影がゆっくりと後退する。それは撤退ではなく、次の形を選んでいるようだった。ギブン様が遠くから叫ぶ声が聞こえた。
「後衛、集束! 防壁を張れ!」
だが私はまだ、ルカ様の腕の中で呼吸を整えていた。血と潮の匂いの中で、彼の手の温度だけが確かだった。
「行くぞ」
声が響き、波が静かに退いた。黒い影の隊はまるで潮が引くように無言のまま遠ざかっていく。小舟の帆が裂け、煙のような布が夜風に溶けた。羽たちは深い闇の向こうへと沈み、残ったのは血の匂いと、月の光だけ。私たちはまだ舟の上にいた。ルカ様の腕が、私とセシリア嬢を同時に支えている。どちらを優先したのか、本人にも分からないだろう。ただ、その手のひらは温かく、震えていた。
「……戻ったか?」
遠くから、ギブン様の声。その声でようやく現実に引き戻された。
「ええ、セシリア嬢は無事です。怪我も軽傷のようで」
自分の声が掠れているのに気づく。息を吐くたび胸の奥がひりついた。ルカ様はまだ手を離さない。波間に反射した月光が彼の頬を照らし、淡く濡れた睫毛が揺れる。表情はいつもの無表情に戻っているのに、目だけはまだ熱を帯びていた。
「……もう、勝手に前に出るな」
声は低く、怒っているようで、どこか掠れていた。
「あなたがその目で命令したんです。『姫を追え』って」
「命令は……撤回だ」
思わず吹き出した。笑ってしまう。彼の目が少しだけ丸くなった。その表情が珍しくて、余計に胸が痛くなった。
「……笑うな」
「無理です。なんか今のはずるいですよ」
ルカ様は視線を逸らし、片手で髪をかきあげた。月明かりが彼の横顔を撫で、海風がその髪を揺らす。彼の指が少しだけ震えているのを、私は見逃さなかった。沈黙の中で、船がきしむ。セシリア嬢は疲れ果てたように座り込み、ギブン様とカイ様が部下を率いて周囲の負傷者を運び始めている。戦場の終わり。だが静けさは安堵ではなかった。ただ——終わってしまった、という実感だけ。ルカ様が私の方を見た。その瞳の奥に、何か言葉を押し殺すような光が宿っていた。私は視線を合わせ、問いかけるように黙った。彼がゆっくりと息を吸い、言葉を探すように唇を動かした。
「……さっきのは、命令じゃない」
「え?」
「俺がそうしてほしかっただけだ」
喉の奥で音が止まる。言葉が出てこない。その意味を理解した瞬間、胸が焼けた。海風が吹き抜け、彼の髪を乱す。それが妙に美しく見えた。戦場の残り火の中で、たった一つの温かい景色のように。
「……それでも、私は行きます」
私は静かに答えた。
「あなたの望む形でじゃなくて。自分で選んで行きたいんです」
ルカ様は驚いたように目を細め、それから少しだけ笑った。微笑というより、安堵に近いもの。
「……なら、俺も選ぶ。お前を追う、それが俺のやり方だ」
その言葉の意味が胸に深く沈んだ。波が再び揺れ、遠くの灯りがかすかに光る。夜の海はまだ冷たい。けれど——その冷たさの中に、確かな鼓動が二つあった。戦いは終わっていない。だが、私たちの間には確かに何かが始まっていた。