最低な過去はどうすれば取り戻せる?
 アダムが長い眠りから目を覚ましたとき、世界は一変していた。

「あなたが魔王との戦いで呪いを受けて眠りについてから、百年が経過しました。私はあなたの助手を務めていたルイス・グリフィンから数えて三代目の子孫にあたります。あなたが目覚めたときに困らぬよう、先祖代々眠るあなたをお守りし、今日この日に備えてきました」

 茶色の髪に黒縁眼鏡をかけた青年は、ベッドのそばにうやうやしく膝をついてそのように挨拶をしてきた。
 上半身だけ身を起こして、その口上をぼーっと聞いていたアダムは、終わるなり口を開く。

「ルイス。さすがにそれは嘘だろう」

 うっと、青年は眼鏡の上から目元を押さえて、泣き真似をした。

「おいたわしや、大魔導士さま。ええ、ええ、こんな現実受け入れるのは辛すぎますよね。嘘だろうと言いたくなるのもわかります。わかりますが、これが現実。あなたはこれから、激動の時代における百年の変化を受け入れて生きていくことになるのです……」

 どう見ても、青年はアダムの知るルイスそのものの見た目をしている。声も話し方もそっくりだ。
 アダムは、自分が寝ていた部屋を見回す。四柱式天蓋付きベッドを置いても狭さを感じない、広々として豪華な一室。調度品にも品がある。王城のどこかであろうと、見当をつけた。
 窓からの日差しは明るく爽やかで、目覚めるにはうってつけの日に思われた。

「百年の歳月を感じない。せいぜい三年くらいか。ルイスのその風貌の加齢具合からするに。多少は大人になったようだな」

 アダムがあっさりそう言うと、泣き真似をやめたルイスがつまらなそうな表情で顔を上げた。

「せっかく、驚かそうと思ったのに」
「寝起きの師匠を驚かすのが助手の務めだと思っているなら、どうにかしたほうがいいぞ」

 なんでこんな無駄な小芝居に付き合わせられているんだとぶつくさ言いながら、アダムはベッドから起き上がり、用意されていた柔らかい布の靴を足にひっかける。
 胸元に落ちてきた長い黒髪を後ろにはねのけ、青い目を細めた。

「立ったり歩いたり、平気ですか?」

 ふらついたら支えようとしていたのだろう、さりげなく距離を詰めたルイスが、アダムの足元を見ながら尋ねてきた。

「問題ない。体そのものは、昨日寝て起きたように軽い。肉体的には三年の間、時間が停まっていたようだな。それでも、さすがに百年経っていたら精神にはそれなりにダメージが入るだろうが、三年くらいであれば……」

 ルイスはやけに気まずそうに顔を背けた。泣き真似の小芝居より、よほど深刻そうな表情をしている。
 アダムは、ここで初めて嫌な予感を抱き、おそるおそるルイスに聞いた。

「たった三年だぞ……? しかも、魔王を倒して最大の脅威が去った世界だ。三年でそこまで悪いことが起きるか? まさか、魔王の子どもが跡を継いでブイブイ言わせているわけじゃないだろ?」

「ブイブイ言わせるは死語になってますけど、幸いにしてそういった世界の危機は特に訪れていないです。ただし、お師匠様の人生には最大の危機が……訪れた後で、いまではもう為す術もなくなっている感じですかね」

「俺?」

 絶妙に嫌な返答に対し、アダムが話の先を促すと、ルイスは深く頷いて答えた。

「ご実家のラッセル伯爵家は、弟君のマルコム様が継いでいます。戦時中にお父様が亡くなって、アダム様の帰りをお待ちする関係で当主の座が空いていましたが、そのまま眠りにつきいつお目覚めになるかわからなかったもので」

「マルコムならうまくやるだろう」

 その程度のことか、と思ったところでルイスはさらに話を続けた。

「婚約者であったエイプリル・シンプソン嬢との婚約は、解消されています。先の魔王大戦でシンプソン子爵家は当主が死亡。一人娘であったエイプリル嬢は財をなげうち勇者軍への支援を惜しまず、大戦後は没落。エイプリル嬢は、ご自身のことを伯爵家の令息であるアダム様との結婚相手にはふさわしくないとお考えになり、自ら婚約解消を申し出たのです。今は平民として、養護院の職員をしながら生計をたてておいでのようで」

 アダムは、栗色の髪に澄んだ水色の瞳をした婚約者の姿を思い浮かべる。

(俺が眠りについただけなら、待っていてくれたかもしれない。だが、俺の家を弟が継ぎ自分のところは没落したとなれば、婚約解消(そういう決断)にもなるだろう。彼女の性格上、婚約をたてに援助を期待していると思われたくないと、自分から距離を置きそうだ)

 大変なときにそばにいられなかったのだな、と悔しい思いを噛み締めながら、アダムは身に着けていた絹の寝間着を脱ぎ捨てた。

「迎えに行く。着替えはどこだ?」

 ルイスは「クローゼットに用意してありますよ」と言いながら寝間着を拾い上げ、あわただしく動き出したアダムの背を見て、ぼそりと付け足した。

「止めませんけど、覚悟なさってくださいね」
「何を?」

 まだ何かあるのか? とアダムは血の気のひく思いで聞き返す。
 ルイスは、洒落にならないほど気の毒そうな顔をして言った。

「エイプリル嬢、一児の母になっています」

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