私の愛すべき人~その別れに、愛を添えて~

「よかったじゃん! 連絡先聞けて」
「うん、まあね……」

その日の仕事終わり。駅前の喧騒から少し離れた路地裏にある、いつもの居酒屋の暖簾をくぐった。

店内は既に程よく賑わい、醤油の焦げる香ばしい匂いと、隣の席から漏れる朗らかな笑い声が心地よく耳に届く。

菜穂と一ノ瀬と三人で囲むテーブルには、薄暗い照明が温かく落ちていた。菜穂はもちろんビールで、一ノ瀬は相変わらずのコーラ。
互いのグラスが軽快な音を立ててぶつかり合ったのは、つい一時間前のことだ。

どこか地に足がつかないような、ふわふわと浮ついた私を見かねた菜穂が、にやにやと口元を緩めながら「ちょっと飲み行こうよ」と誘ってくれたのだ。

「つまり、王子は凛のこと好きだったってこと? 凛、やるじゃん!」  

そう言って、菜穂が肘で小突きながらからかってくる。その度に、私の心臓は不規則なリズムで跳ねた。でもその期待に満ちた言葉を打ち消すように、私は慌てて両手を横に振った。

「いやいや、そんなことないってば。気になってたとは言われたけど、好きとまでは言われてないし……」

胸の奥で確かに灯り始めていた小さな炎が、不安の影に覆われ、瞬く間に揺らぎ始める。

それに連絡先を交換したからって、本当に彼から連絡がくるという確証もない。

もしかしたら、誰にでも気安く連絡先を教えるような人なのかもしれない。

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