白衣とエプロン②お医者様は今日も妻に恋わずらい
医療者と指輪
二月に入ってすぐのことだった。
「そろそろ、婚約指輪を買いに行こうか」
「えっ」
通勤途中の車の中で、不意打ち(?)だった。
「プロポーズのときにパカっとケースを開けたら立て爪のダイヤの指輪が入っているとか、あれは現実的ではないよね。だって、好みとか絶対にあるでしょ?」
「それは、まあ……」
(ど、どうしよう)
正直、困惑していた。
彼の話しぶりから察するに、購入することは確定済みで、しかも……。
「いろいろ見て千佳さんが気に入ったものを買おう」
ものすごく高価なものを買ってあげたそうな雰囲気が、ありありと。
「それとも、もう気になってるものとかお店とかあったりする?」
「それは、ぜんぜん……」
「三月は忙しくなるから今のうちに、ね」
今日、彼は外勤で帰りは別々。
私は仕事終わりに麗華先生に相談する時間をいただいた。
「婚約指輪のことで悩んでるの?」
「そうなんです」
ソーセージが絶品というドイツ料理のお店で、とりあえずビールで乾杯する。
「かんぱーい」
「おつかれさまです」
「若い二人の未来に!くぅ~、ようやくここまで漕ぎつけたかぁ!」
麗華先生は景気よくビールをあおると、ぷっはーと言って愉快そうに笑った。
「婚約指輪でしょ? ブルガリ、カルティエ、ティファニーで迷ってるなら、いっそハリー・ウィンストンに行っちゃえ!」
「ええっ」
「まあねえ、年収的にはちょっと背伸びしてる感あるけど。でも、大丈夫!あいつ、専攻医時代に馬車馬のように働いてしこたま貯めてるはずだから」
「あ、あのっ」
専攻医とは医師免許取得後の二年間の初期研修を終えて、自身の選んだ診療科の専門医となるべく研鑽を積む医師をさす。
「ほーんと、稼ぐばっかで使う時間がなかったからね。おかしな散財をするタイプでもないし。それがようやくひのめをみるのねえ」
「あの、そうではなくてですねっ」
「うん?」
麗華先生はようやく話を聞いてくれた。
「ご相談したかったのは、婚約指輪はどうしても必要なのかということでして……」
「はぁあ!?」
(ですよねー、そうなりますよねー)
聞いておいてなんだけど、麗華先生の反応は予想通りといえばそのとおり。
「ちょっと、アキがそう言ったの!?」
「ち、違うんです。秋……保坂先生は買いに行こうと言ってくれて。私の気に入ったものを買ってあげたいと思ってくださっていて」
「だったら」
「でもですね……」
私は遠慮がちに切り出した。
「やっぱり、もったいない気がしてしまって。私は、ああいうのって見るぶんには“素敵だなぁ”と思って楽しいし好きではあるんですけど。じゃあ、自分で欲しいかと言われると、正直ちょっと……。そもそも、医療従事者ってアクセサリーとか基本つけられないですし」
「まあねぇ」
「ただでさえ婚約指輪をする期間は短いでしょうに、大事にしまうためだけに買うようなものじゃないですか」
「それは、うーん」
私たち医療従事者は仕事中にアクセサリーをつけることを基本は禁じられている。
それは安全面や衛生面を考慮した必要なルールで、決してマナーといった類の話ではない。
ただ、婚約指輪ではなく結婚指輪については認められている医療機関等もあるようだけど。
「清水さんの言い分はもっともよ。でも、それでもアキは買ってあげたいんでしょうよ」
「うーん。でも、唐木さんは結婚指輪も買わなかったと仰ってましたよ?」
看護師の唐木さんの旦那様は内科医をされていて、つまり医療者同士の結婚ということになる。
それで、ご夫妻の場合は「どうせつけることないからいっか」となったのだそう。
「ちょっとあなた、まさか結婚指輪も買わないつもり!?」
「いえ、結婚指輪はあってもよいかと」
ささやかでも結婚式はしたいという憧れはあるし、そうすると指輪の交換だってあるわけだし。
「まあ、そうねぇ……確かに、私の友達でも結婚指輪は買わなかったという人はいた。同期の友達で男性なんだけどね、奥様はナース。でも、彼は婚約指輪は奮発して買ってあげてたわよ。ほら、お相手のご両親の手前もあるから」
「ご両親の手前、ですか?」
「そう、こんな話もあるわよ。やっぱり同期の男友達の話なんだけどね、お相手のご両親から婚約指輪の値段についてクレームがついたって話」
「はい?」
「まあざっくり言うとね、医者なのにこんなものだとは、うちの娘の価値はこんなに安いのか、みたいな。80万なら妥当なところで個人的には安いなんて思わないけど。ただ、そのご両親としては娘を安く見積もられたと感じたんでしょうよ」
(まるで別世界の話みたい)
だって、ちょっとネットで調べた感じだと一般の会社員の相場は30万から40万とされていたし。
「まあその友達の場合は、大騒ぎだったのはご両親だけでお相手の女性は十分満足されていたんですって。でも、それこそご両親の手前ということで、合わせて時計を贈って解決したって言ってたわ」
「そんなことが」
「まあ、そんなこともあったりなかったりという話。アキも気持ちも汲んやって欲しいけど、清水さんの気持ちも大事だからね」
「はい……」
「確かに指輪はしまっておくだけになっちゃうけど。ペンダントとか時計とかならいいんじゃない? ネックレスなら服の下でつけているぶんには問題ないんだし」
「なるほど」
「好きな石を選んでオーダーするのもいいかもよ? 案外ダイヤの指輪を買うよりもお値段も抑えられるかもしれないし。アキとしては、あなたから“こういうのが欲しい”って率直におねだりされるのが嬉しいんじゃない?」
麗華先生とお話ししていた、なんだか方向性が見えてきた気がした。
「それにしても、清水さんて」
「え?」
「ほんと、おば様の好みに合ってると思うわ」
ここで言う“おば様”とは、彼のお母さまのことになるのだけれど???
「地に足がついた感じというのかしら、あなたみたいな堅実な人がアキのお嫁さんになってくれるの、おば様はさぞや喜ばれるでしょうね」
「そうだと、よいのですが……」
「大丈夫よ、きっと」
(なんか、元気が出て、勇気がわいてくるみたい)
「ちなみに、私はハリー・ウィンストンで150万の婚約指輪を買わせたけどね」
「ええーっ」
(麗華先生、おそるべし……)
「まあ、私の話はおいといて。とにかく、アキはあなたのことが好きで好きで、可愛くて可愛くて、大事で大事で仕方がないのよ。だから、面倒かけちゃうけど、あいつのその気持ちを上手に受け取ってやってちょうだいな」
「わかりました」
(本当、幸せすぎてもったいない)