白衣とエプロン②お医者様は今日も妻に恋わずらい
なんだかんだで二月も半ば。

幸運なことに、勝さんがジュエリーデザイナーさんに心当たりがあるとのことで、日曜の昼間に予約を取って四人で出かけることが決まっていた。

そして、その前日の土曜日は――。

二月といえば……そう、バレンタイン。

当院カトレア耳鼻咽喉科クリニックでは、女性スタッフ全員からということで、男性医師へ“平等に”同じチョコレートを贈るのが慣例となっている。

チョコレートの購入は事務スタッフの仕事なのだけど、福山(ふくやま)さんがはりきってくれて私はノータッチ。

まったく、ありがたいことである。

こういう言い方もあれだけど、私は“我が家”のバレンタインのことで頭がいっぱいなので……。

「今夜、時間ありますでしょうか?」

土曜日の朝、通勤途中の車の中で話を切り出す。

たぶん、私がいろいろ企んでいる(?)ことはお見通しだ。

「あるよ、時間」

楽しそうに笑う彼に、心の中で小さくガッツポーズする。

「よかった。あ、今夜はお鍋にしようと思っているんです」

「いいね」

「水炊き、秋彦さん好きですよね」

「うん。しめはご飯? うどん?」

「迷うので、どっちでもいいように用意しておいて気分で決めましょう?」

「名案だ」

鍋の話をしているようでいて、何か別の楽しみについて話しているようなおかしな感じ?

そう、バレンタインはもう始まっている……的な。


職場は朝から浮足立っているかというとそうでもなくて。唯一、福山さんだけが張り切っていた。

「貴志先生、これは女性スタッフみんなから。それから、こっちは私個人からです♪」

福山さんは正直あまり仕事熱心なタイプの人ではない。

ここで働いているのもドクターとお近づきになってあわよくばという目論見があるからだとか。

当院に勤務する男性医師は、保坂先生、貴志先生、桑野(くわの)先生の三人。

スポットで関連病院から来ていただくこともあるけれど、当院の場合はごくまれだ。

三名の先生は全員独身。

福山さんは今でこそ貴志先生にご執心だけれど、過去には保坂先生をターゲットにしたこともあった。

それは彼がK医出身で医者家系のサラブレットだと知ったのがきっかけだったのだけど。

けれどもその後、彼がモデルのような超美人と親密デートをしていたという目撃情報を聞いて、早々と断念。

しれっと何事もなかったかのように「はじめから貴志先生一筋です♪」というノリで現在に至る。

もちろん、モデルような超美人は私であるわけがなく、その正体は彼のお姉さんだったのだけど。

「ありがとう。ホワイトデーは頑張らないとね」

「わーい♪」

ちなみに、貴志先生は福山さんを恋愛対象とは思っておらず……ただ、おもしろおかしく観察しているそうな。

まったく、福山さんも福山さんだけど、貴志先生は貴志先生でいかがなものかと。

ただ、私は貴志先生に恩があるともいえる。

貴志先生は“モデルのような超美人”が、他ならぬ保坂先生のお姉さんであることを知っている。なのに、皆には黙ったまま。

おかげでというか、保坂先生は福山さんからのモーレツアプローチから解放され、私も安堵したといえばそうだもの。

「キミ、ボクに何か渡すものとかないの?」

診療終了後、貴志先生に声をかけられた。

他のスタッフは退勤していて、私のほかに残っているのは診察室でカルテの整理をする麗華先生だけ。

静かなスタッフルームにイケボと言われる貴志先生の美声がやけに響く。

私は淡々と帰り支度を整えながら、さらっと答えた。

「さあ、特には? 何かお借りしてましたっけ?」

(あっ……)

言ってから「しまった」と気づいたけれど遅かった。

「そうね、貸しならいっぱいある気がするけど?」

(やっぱりそうきたか……)

「貴公子は見返りなんて求めないものなのでは? ノブレスオブリージュ?」

「ぜんぜん話が違うでしょ、まったく」

「福山さんから豪華なチョコレートもらってましたよね?」

「ああ、まあね。既製品でよかったよ。手作りとか、正直ちょっとね」

福山さんには気の毒だけれど、貴志先生の気持ちもわからなくはない。

「キミはなに、彼氏に手作りチョコとかあげたりするわけ?」

「しませんよ、そんなこと。というか、プライベートなことですよ」

「よく言うよ」

「福山さん、本気でホワイトデーに期待してると思いますよ」

「気が重いね」

「それこそ、ノブレスオブリージュ?」

私が貴志先生とこんなふうに気安く話しているなんて、福山さんに知られたらどうなることか。

それ以上に、私と保坂先生の関係を知られたら……。

もちろん、いずれ必ず知られるところではあるのだけど、今は考えるのはよしておいた。

「では、お先に失礼します」

「はいはい。ハッピーバレンタイン」

貴志先生は白衣のポケットの手をつっこんだまま、やや呆れた調子で溜息をついたのだった。
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